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幕末の志士で最も活躍した人は誰?

最近、明治維新近辺に凝っています。 個性豊かな登場人物が多いですね。 そこで皆さんのご意見をお聞きしたいのですが、幕末の志士で最も活躍した人は誰だと思いますか? 人物とその理由をお聞かせ下さい。

みんなの回答

  • ara09
  • ベストアンサー率33% (34/102)
回答No.9

 No3で回答した者です。  好きなことだけ書いて、理由が全然足りませんでしたね。興奮しすぎのようです(笑)申し訳ありませんでした、補足いたします。  私も一番初めに思いついたのは坂本竜馬なのですが、個人的に彼の思想は、吉田松陰以上にグラバーの影響を受けていると思っています。  薩長同盟自体の発案がグラバーであると言う説もありますし、竜馬を通じて薩摩に渡った資金や武器の流通経路には、グラバーの手によるものも少なくありません。グラバー邸の隠し部屋の中には、竜馬が住んでいたといわれる部屋もあるようです。  明治維新と言うのが激動の時代であり、何が本当かと言うのは今となってはわかりませんし、様々な説が飛び交っているのですが、個人的に「明治維新(大政奉還)=グラバー発案説」を採っているため、先のような回答になりました。  また、志士ということでなければ、新撰組の斉藤一が一番好きです。死ぬ最後の瞬間まで正座し、座して自分の死に相対したという「精神」に惚れました。「この世に絶対的な正義などなく、ただ自分自身の正義を最後まで貫く。」という精神は、なかなか実行できませんね。殺人の是非はあると思いますが、「人」として好きな方です。  では、再見!!

tgoda
質問者

お礼

なるほど~。僕も少しグラバーについては調べてみたのですが、結構謎の人物ですね。 幕末に出てきた突拍子もないアイデアは竜馬のものだったのか、グラバーのものだったのか、、、考えるとワクワクしますね。 新撰組の斉藤一という人は知りませんでした。そんな人は現代ではいませんね(笑)。ちょっと調べてみます。 有難うございました!

  • ran-chang
  • ベストアンサー率24% (12/50)
回答No.8

こんばんわ(^^) いろいろ意見はあると思いますが、知れば知るほど甲乙つけ難し、と思います。 (この質問を読ませていただいた時、誰を推そうか真剣に迷いました(^^;) ものすごい速さで動く時代を、自分の信じる道のためまっすぐに生きた、その生き方すべてに、敵見方関係なく魅力を感じます。 まさに、時代を駆け抜けたという感じでしょうか? お手本にしたい生き方を、後世に残してくれた幕末の志士たちに尊敬の意を表しつつ今を生きる、そんな私です。 (まったく質問から外れてますね、ごめんなさい)

回答No.7

すみません、補足です。 私も、大塩平八郎は幕末の人ではないだろうなと思ったのですが(江戸時代後期だそうです)、調べていたら幕末の動乱を予期させる出来事が、「大塩平八郎の乱」だと書いてあったので、そういう経緯で回答させて頂きました。 あと西郷隆盛の魅力なんですが、やっぱり「九州男児」という先には、この人がいますよね。 図太くて男らしい、情もある・・こんな感じではないでしょうか?(歴史人物のキャラクターから言うと) でも、“太っちょの兄ちゃん”というイメージで良いと思います(笑)。 私は、この人を見るとドカベンを思い出します(^^; 個人的には、坂本竜馬より「日本!」という感じが強いです(坂本竜馬はやっぱり、アメリカ寄りで感覚も新しいと思う)。

参考URL:
http://adselene.hoops.ne.jp/bakumatsu-reimei1.html
tgoda
質問者

お礼

「図太くて男らしい、情もある」。なるほど。これは男が好きになる男ですね(笑)。 有難うございました!

  • zawayoshi
  • ベストアンサー率31% (302/946)
回答No.6

既出ではありますがまず坂本竜馬。 彼がいなかったら薩長同盟はありえず、倒幕も厳しかったのではないでしょうか? もう一人上げるとすれば村田蔵六(大村益次郎)。 天才軍学者たる彼の存在無くして、倒幕軍の優勢はなかったでしょう。

tgoda
質問者

お礼

村田蔵六ですか。渋いとこ来ますね~(笑)。 ご回答有難うございました!

回答No.5

私は、大塩平八郎だと思います。最も好きな歴史人物です。 最初は役人だったのですが、辞めて陽明学者になり、大阪の飢饉に憤慨し幕府に 一人で立ち向かい、人々を助けた人。 すごい勇気があって、かっこいいと思います。 でも最後には、自害してしまうんですよね。

tgoda
質問者

お礼

ちょっと明治維新近辺ではなさそうですが、彼の生き様はカッコいいですよね。 日本にあーゆー役人がいるのか否か。。。

  • n0s
  • ベストアンサー率26% (37/138)
回答No.4

西郷隆盛です。 ひとつは「侠(おとこ)」であったという意味。 もうひとつは、もし幕末志士の中で神になる可能性があるとしたなら誰かという点において、です。 彼は、周囲に動かされたイメージが大きいですが、彼が動かねば後に従わなかった者が多かったのも事実。 実際、個人対個人としてではなくカリスマとして人心を掌握できたのは唯一彼だけではなかったでしょうか。 不利も悪境も分かっていながら、何もかもを呑み込めた西郷隆盛は陰の立役者だったと私は思います。 私はかなり長い間、西郷隆盛を否定していたんですが、三島由紀夫の天皇制に関する文献を読んで、 なんや、天皇に求められるのがそういうことなら、西郷隆盛も十分ドえらいことやっとったんやんけ、と 思った次第なのです。 三島の言う天皇とは「臣下が握った熱い握り飯を、中も疑わず熱さもそのままに、食らう」存在だそうです。

tgoda
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 西郷隆盛は大変な有名人ですからそれなりに知ってはいるんですが、僕が一つ分からないのが、彼がなぜそこまでのカリスマ性を持っていたのか、という事です。 言わば、神、天皇、的な扱いをされていましたよね、あの太っちょの兄ちゃんが(笑)。 すっごく謎なんですよ。ご存知ありませんか?

  • ara09
  • ベストアンサー率33% (34/102)
回答No.3

 「志士」ではありませんが、グラバー氏だと思います。むしろ主要人物となった志士はグラバーにいいように使われていたように感じています。  グラバー邸から今だに幕末の新資料や新しい隠し部屋などがみつかっているのも印象的です。本国での活動も含めて、もっと調査の手を入れても良い人物の気がするのですが。  では、再見!!

tgoda
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 トマス・グラバーですか。彼は一体何者なんでしょうか?(笑) 貿易商人として薩摩に武器を売っていた事はチラと読んだんですが、彼がそこまで重要だったのはどうしてなんでしょうか?

  • ykkw_2001
  • ベストアンサー率26% (267/1014)
回答No.2

竜馬は、いずれ出るでしょうからここは、吉田松陰とさせていただきます。 久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋・・・ 松下村塾の塾生は、尖がった人たちでいっぱいです。 多くの精鋭の精神的拠り所を作った松陰は、「最も活躍」にふさわしいと思います。

tgoda
質問者

お礼

彼がいなければ高杉や木戸は輩出されてませんからね。 でもなぜ彼の元にはあんなに尖った人たちが集まったんでしょう? ご回答有難うございました!

  • deadline
  • ベストアンサー率63% (1239/1943)
回答No.1

ありきたりですが、『坂本龍馬』でしょうか。 理由は、何といっても『不倶戴天の敵』同士といっても言い『薩摩』と『長州』を連合させたこと。『薩摩』と『長州』の連合なくして、明治維新は不可能だったのではないかと思います。

tgoda
質問者

お礼

龍馬はいいですね。大好きです。 本当に彼のコミュニケーション能力は参考になります。 ご回答有難うございました!

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