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物理学の基本法則

物理学の基本法則は、古典力学、一般相対論、量子力学すべて微分方程式で表されています。ということは初期条件が与えられると、この宇宙の全未来と全過去が決まってしまうということです。たとえばモーツアルトの音楽はモーツアルトの誕生以前の初期条件の中にすでに存在していたこのになる。したがって我々の創造性も倫理も意味をなさなくなってしまう。 物理を勉強している皆さん、あるいは生業にしている皆さん、そんなことが信じられますか。ご意見をお聞かせ下さい。 因に、量子力学の不確定性原理は単に微分方程式に従う実態が数ではなくて、演算子あるいは波動関数だと言うことを主張しているだけですので、演算子に対する物理学の基本法則のこの初期条件による決定論的性格は変わりません。 また、フォン・ノイマンの観測の理論は物理学の基本法則の枠外の理論ですので、これを認めてしまったら、そもそも物理学におけるの基本法則の概念も無意味になってしまいます。

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  • N64
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回答No.1

物理の数式で表せる物や事柄は、ごく限られたものにすぎません。ましてや、人の一生やモーツアルトの生涯など、表すことができるはずがありません。それでも、最近は、コンピュータで天気予報ををするなど、初期条件が分かれば、数式で表せるものは、その先どうなるか、予見できます。しかし、たとえば、気象一つをとっても、初期条件がほんの少し変わっても、結果が大きく違ってきます。複雑なシステムになればなるほど、初期条件の影響が大きくなります。おそらく、ひとの場合などでも、その初期条件を、明確に選択することは、不可能でしょう。初期条件が、はっきり決まらなければ、たとえ数式で表されたとしても、未来を正しく予見することはできないでしょう。

cyototu
質問者

お礼

有り難うございました。

cyototu
質問者

補足

現在の我々の到達している知識では、数式で表せる物や事柄はごく限られているかもしれません。また、我々の能力には限界があるために初期条件を明確に選択することは不可能ですし、また、たとえそれが明確に選択されたとしても、不安定な系での10の何十乗個もの成分を持つた方程式を解くことは、我々にも、また、どんなに優れたコンピューターにもできないでしょう。 しかし、これはすべて我々の能力に関わった人間中心的な限界であり、宇宙自身は我々の予見能力の限界には無関係に存在していると私には思えるのです。まさか、物理学の基本法則が宇宙のあり方を表しているわけではなくて、我々人間の認識能力の限界を表しているのだということを主張しているわけではないでしょうね。あるいは物理学とは人間の予見能力を探る人文科学だと主張しているのでしょうか。もしそうだと主張しているのであれば、私には光速やプランク定数などの宇宙定数の意味が分からなくなってしまいます。

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