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「あなたが悪いのよ」という心理
ネットの相談(対人、人生関係系ですかね)に寄せられる回答パターンで、そりゃあなたがわるいのよ、相手に謝ってください、懺悔してくださいなど、とにかく相談者を悪人に仕立て上げるかのような姿勢で回答するパターンというのがあるようなのです。私はこういうことはまったくする気にならないのですが、どういう心理でこういうことをするのでしょうか?なにか憂さ晴らしにやっているようにも思えてしまいます。叱咤激励というのは、不特定な相手に対しては、失礼に当たらないでしょうか?すくなくとも、自分が隠れていて、さも相手より上のような態度をとることはどうも違和感が強いです。
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批判されたことがあるので良くわかるのですが 回答者のタイプは 1・行き成り気に食わない(回答者自身が)ことを書く 2・質問者の文面を指摘する 3・自分に当てはまることに関して否定したいという願望 4・自分が質問カテの管理者であると思い込んでいるタイプ 5・全く関係ない(1~4を含め)事を指摘する。 6・質問者との抗論になり逆上するタイプ 7・その他 自分が経験した中ではこんな感じです。 これは心理的リアクタンスが働いている ものと思われます。また一人がその様な 批判を書くとそれに釣られて我も我もと 芋ずるになって書くという奇妙な現象を 発見しました。 同調効果で調べてみたところアッシュ同調 というのが出てきました。 これは明らかにAのが長いのにサクラ(ダミー) が「Bだよね」とか言うと「B」と言ってしまう 心理です。 また批判の場合生贄を一人作ることによって 他の人との一体感を持ちたいという心理も働く 様です。 上記のような快感を得るため1~7に当てはまって しまう人たちは次々と獲物を狙っていますw 質問者さんのような質問は格好なターゲットでしょうw 批判するもしくは「それは間違えているよ」という暗 示に掛るようなアドバイスをするかもしれませんw
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考えられるに ・そもそも相談者さんの立場に立って考えようとしない、共感能力の低さ ・相談者さんの質問の意図とは違う回答(相手に謝ってください、懺悔してくださいなど)をし、それに対する相談者さんの反応を楽しむ、愉快犯的発想 ・ディベートなどで相手を論破していくことに楽しみを覚える唯我独尊的価値観 などでしょうか? そういった回答をする人の回答履歴を全て読み込んでいけば、個人個人の心理分析ができそうですが、ネガティブな気持ちになりそうなので止めたほうが良さそうですね。
お礼
共感能力、イメージ力の不足は感じます。能力的な問題は心的姿勢の問題と不可分ですね。愉快犯いるんですよね。私も今回の質問で、あらためてその存在を認識しました。今まで甘かったです。唯我独尊も似たような傾向です。あまり、ネガティブな分析は役にたたなそうです。しかし、意義はあるでしょうね。
NO.7,8,11,12です。 批判者は社会心理学的内在傾向が強いようです。 ある集団の中に入っているとその集団の中の 雰囲気に騙されあたかもその現象が真実だと思えて くるような錯覚にとらわれるという心理です。 回答をする人もある集団(今回では批判者)に属している という感覚があるのかもしれません。 ある人が批判すると「俺(私)も批判してやれ!」という心理 が働き質問者を批判するその後質問者から「それはおかしい のではないか?」などと言われるとそこに心理的リアクタン スが働きその内自分の批判は正しいと思い込むようになり(錯誤帰属) それが強化につながり攻撃することで妨害されている自分の 欲求が達成されることにより攻撃行動の学習をするようになるの です、もはやこうなってしまうと攻撃の手がかりさえあれば何で も批判するようになるでしょう。 たぶん質問者さんが正論を書けば書くほど批判者はより高度な 内容になるでしょう。 自分も受けたことが有るので判るのですが読んでいると確かに そうかなと思えてきてしまいます。しかし冷静に分析してみると 明らかに不正等であるのが判ります。
お礼
そうですか。集団心理やリアクタンス、つまりは帰属欲や自己顕示欲の顕現でしょうかね。たいへん深刻かつ不快な問題だと改めて認識しました。
- ENTROPY_VS
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続いて#4です。同じく、補足とお礼いただきました。恐縮です。 やさしさがない・余裕がない、といより悪く言えばおせっかい文化なんですよね。相談者は困ってどうしようもないから相談しているわけで、「喝入れてください」と言うなら別ですが、やさしくいたわって欲しいのが心理でしょう。それに対し、「あんた、そんなんじゃ駄目だよ」「人生そんなもんじゃないよ」と親でも坊さんでも細木数子でもないのに駄目だしを試みる回答者。よい言葉で言えば風紀委員を一般国民がしてくれている、ということでもあります。この「風紀委員をやらなければ」という観念は潜在意識に入っていると思います、ほぼ国民全体に。self-disciplineを厳しく植えつけられる国民性からです。 よく思うのです・・・・『心頭滅却すれば火もまた涼し』って言われますが火が涼しく感じたら焼けどして死んでますよ。そこまでして心頭滅却する必要ないのではないかと。あまりにもMすぎやしませんか。まぁこの格言は文字通りではなく(と願う)何しろ、我慢する・セルフコントロールする精神があればどんな苦も処理できるはずなのだ、ということを言いたいのだと解釈するのですが、この精神は現代では緩和してきてはいても完全に払拭はされないものだと思います。ご飯を食べている途中に「お母さん、トイレ」と子供が言えば「あんたは癖が悪い」と言われたり、授業中に「先生、トイレ」と言えば「何で休み時間にいかなかったん?」と言われたり。文字通りanal retentiveに育てられるんですよね。生理的現象すら我慢。残暑の中の運動会の練習で熱射病でバタバタと倒れていった学友たちを思い出します。倒れるまで我慢しちゃったんですね、批難されることを懸念して。かわいそうに。 この教育が『逸脱』に対する閾値を狭めているものだと私は推測します。そして教育によって植えつけられた精神は、相談するものに対して「弱いことを言ってやがる」「普通に考えればそれくらい分かろう?」「我慢がたりない」という考えを生み、教育熱心さからか「それじゃぁ駄目だよ」という駄目だしにつながるのではないでしょうか。 表現の自由はあっても、表現したら怒られる、なんていうのではそれを見て学習する後続者にとって自由も奪われたと同然ですね。この傾向は好ましくは思えません。
お礼
たいへん、社会学的に?分析していただいてよくわかってきました。なにか救いようのない事実を突きつけられたような(笑)気さえしてきました。self-disciplineはそんなに激しい国民でしたか。社会の雰囲気というのは伝染するもので、またそれが長く続くと沈着してしまいます。日本にそういう重苦しいものがあるのはわかります。そのヘドロのようなものを振り払おうとしても払えない、世代を重ねても払えないもどかしさがありますね。そもそも、明治大正昭和で、こんなものが必要だったのかどうか?しかし、私はどうなんでしょうね。別に甘やかされたわけでも厳しすぎたわけでもなく、自分の感覚がよくわからないところがあります。しかし、こんなところに、規範を重んじる?風潮の反作用が出ていたとは思いませんでした。これは、よろしくありません。
#9です。補足・お礼ありがとうございます。 被害者意識で相談するというのは限定的ですが、よく不倫とか倫理に反した行動の 相談ごとでは顔が見えないから批判しやすいということもあるかもしれません。 もしこれが隣の奥さんとか会社の同僚だとかだったら面白がったり、また 触らぬ神にたたりなし、と知らず存ぜぬという態度を決め込むかもしれませんし。 ネット上の人生相談と現実のそれとは、やはり違うものがあると思います。 ネットでは自分の好きな時に回答すればいいのですから。嫌なら関わらなければ いいだけの話。そういう点ではある意味、無責任であり野次馬的という面も否定は できないと思います。 ただそれがイコール憂さ晴らしかどうかは回答者にもよると思います。 私は、すべての“批判や指摘をする回答者”が憂さ晴らし目的とは信じたくないという 思いがあります。 それはこのサイトを利用する上で最低限必要なマナーでもありますから。 もちろん回答者は質問者の立場に立ち、困っている様子を察して適切な回答をすると いう、そもそもは善意から成り立っているサイトですが、利用者が増えてくれば当然 野次馬も多くなり、質問者はいたってまじめに相談しているのに茶々を入れてくるような 輩が出てくるのは仕方のないことなのかもしれません。 「今週妻が浮気します」でしたっけ?あれなんかは質問者回答者双方かなりの数の 真剣な書き込みになりましたが、ああいう例もあることですし(あれを釣りだという 人もいますが)、ただそれもある意味野次馬的な感覚もあるかもしれません。 あの場合は浮気をしていたのは質問者ではなく質問者の妻でしたね。あの質問でも いろいろな意見があり、それでも結果的には建設的な方向へ向かったと考えます。 けれどもしあれが、妻が質問してきていて「私の浮気が夫に知られたらどうしましょう」 なんて相談だったら、それこそひどい目にあうでしょうね。 やはりそういう質問に対して回答をする心の底には、回答者が質問者の立場に立ち、 回答者それぞれの善悪の基準がそこにあると思います。 あと、同意を求めるような質問。これに対しては、現実だと「オイオイ、そんなの 勝手にしてくれ」と苦笑いで軽く受け流す程度のことでも、ネットだと妙な正義感からか 「そんなことは勝手にしろ!ここはそういうことを相談する場所じゃない!」と 一刀両断してしまう人も多いかもしれませんね。 これもやはり顔見知りではないからそういうことが言える(書ける)のかもしれません。 ただ、同意を求めるような質問や主義主張を述べるようなものは、そもそもが削除対象なので 非難されて当然という意識が回答者側にもあるのも然り。 いずれにしても顔が見えないネットの上でのこと。 言葉遣いには、いつも以上に注意して質問者回答者双方に誤解が生じないようなやりとりが できればすべて円満解決。とはなかなか難しいのでしょうね~。 乱筆乱文ですみません。失礼しました。m ( _ _ ) m
お礼
再投稿ありがとうございます。 「批判しやすい」ということの「批判」ですね。なぜ、そんなにも「批判」感情が湧くのでしょう。どうも、私がこの質問を発したということは、私にはあまり批判精神?がないということもいえている気がしました。そこが、どうもわからないから、こういう質問になり、また相互回答いただいてもぴんと来ないゆえんです。それに例に挙げていただいている「妻の浮気」ですが、これ本人が相談していたとしても、なぜ攻められることがありますか?いや、本気ですよ。なぜ、回答者に利害のない質問で、どうして責められることがありますか?まったく理解不能です。なぜそんなおせっかいが焼けるのか不思議で仕方ありません。奇妙な正義感にしても同様ですね。
勿論ですが回答者側は質問者側(特に対人関係などは)の立場に立って答えるべきだと僕は思います。 相談や人に関する事に関しては特に注意をすべき内容だと個人的には思います。 もし自分が苦しんでいて攻撃的なことを言われてどう思うのでしょうか? 相手が苦しんでいるんですよ、それに対して誹謗中傷というのはあまりにも醜いことなのではないでしょうか? 参考までに・・・
お礼
まったく持って、質問者の心情を理解できないのに回答してしまうという姿勢は、いただけないものであるということを、認識できるかどうかが、回答者の課題です。
再々投稿させていただきます。 質問者と回答者の是非について 主体Xを質問者側、主体Yを回答者側とします 質問というのはXからしてみて書くものであります。 そのXを回答者Yは変えようと試みるもしくは捻じ曲げようと すると言うのはY側という立場に対して医者とクライアントの 関係であるという心理が働くことがあります(状況の力) これによって単にYとXとの歪みが「Xの欠陥だ」と思い込むようです。 それによってYと比べてみるとXに欠陥的存在感覚を感じると 状況の力から必然とXの欠陥が悪いのであってX以外には問題は 無いと思っているところがあるようです。
お礼
再投稿ありがとうございます。 たいへん分析的に考察なさっていますね。 質問する側とされる側に、心理的差異がそんなにできてしまうものですか。私などは、あまり差を感じないでどっちもやってますけどね。そうなる感覚も多いのでしょうね。
- avrahamdar
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>質問に答えてください。 だからあなたが他人を攻撃するのと同様の心理と回答したのですが、婉曲的な解答では理解できないのでしょうかね。 それとも、被害妄想ですというのがあなたの解答ですか。なるほど、確かに被害妄想で非難された気になっているようですね。 たまに見かけますが、自分は被害者。他人は自分の問題を解決するために尽力して当然などと自分を上の認識した質問者がいますがあなたも典型的なそういうタイプですね。 私がそう思えないのだから彼らは批判しているなどと決めつけて。 もともとネットは他人の集まりです。親しい人間から相談を受ければその人間に肯定的な解答を考えるのは当然ですが、逆に他人ならそういった贔屓判断はありません。結果客観的に質問者が悪いならそれに原因として改めさせるという結論になるのは当然でしょう。だからこそ他人同士で気を使うのがネチケットなのですが、その程度の常識もないのは残念です。もしかして実生活でもそういう態度で他者に嫌われているのでしょうか。それで単に原因を求めているだけならどうしようもないのであきらめてくださいね。
お礼
私は馬鹿だから、婉曲的な回答では理解できませんでした!すごい文才なんですね!普通の人には、その婉曲表現は高等すぎて分からないと思いますよ。私のかいたものが素直に理解できない人にとやかく解説しませんので、勝手にしてください。 かなり曲がった信念をお持ちのようです。 >親しい人間から相談を受ければその人間に肯定的な解答を考えるのは当然ですが、逆に他人ならそういった贔屓判断はない 親しい人間にこそ、贔屓せずに真実と向き合わせるべきでしょう。どうでもいい他人には少なくとも攻撃的にでなくジェントルに行くべきでしょう、質問者がどういう被害を回答者にもたらしたというんです? で、あきれたんですが、ネチケットがないのは自分自身だと自覚してないんですか?困ったもんです。
補足
改めて読んでみて、なるほど >だからあなたが他人を攻撃するのと同様の心理と回答したのですが 婉曲表現で読めますよ。これは、すごく洗練された文学の達人でないと理解できない表現だと思いました。これは本気です。おそれいりました。
このサイトに限らず人間関係の相談というのは、得てして自分は悪くない、 相手が悪い、自分は被害者なんだ、という前提で相談することが多いと思います。 どちらが悪いかどうかは両者の言い分をちゃんと聞かないとわかりませんし。 または自分はこうしたいんだけど、もう一歩踏み切れないから、ここでの質問という 形を借りて背中を押してもらいたい、という同意を求める心理からの書き込みも あると思います。 そういう質問に対しては、回答者は厳しくもなったりすると思います。 そうなると憂さ晴らしというよりも、質問者のためを思って、というつもりで回答していると 思いますが、そういう回答が一人だけでなく多く寄せられる場合は、なにかしら質問者の 側に非があるからという理由は否定できないのでしょうか。 特にそれがそのカテでは頻度が高いということなのでしょう。 もちろん単に憂さ晴らしで注意や指摘をする人がいないということも否定はしません。 それからTENNTENNSEVENOKさんが書かれている心理的リアクタンスというのは 回答者同士だけではなく質問者にも働くような気がします。 回答者が次から次へと質問者批判を始めると、質問者はそれに対して「誹謗中傷だ」と 回答者批判を始める、それに対して回答者がさらに回答を続け・・・結果、質問ごと削除。 そうなると、憂さ晴らし目的の人にとっては「生贄」という言葉が当てはまるかもしれませんが、 質問者のことを思って真剣に回答しようとしている人にとっては、なぜ質問者は質問者自身の 悪い部分にもしっかり向き合わないのか、なんとかよい方向へ進んで欲しいという思いで 回答している回答者にとっては、それは残念な結果と思います。 的外れな回答でしたらすみません。
お礼
被害者意識で相談しているんだと、なにか決め付けがありませんかね? 文面からもそういえるのか、もちろんそういう場合も多々あるでしょう、でも、それでも百歩譲って、同調してやる、折れてやるという姿勢のほうが私はいいと思います。個人的な趣味ですけどね。もちろん、おかしいところは指摘しますが、基本的にまぁまぁと。 それに、「厳しい」というんですが、見ず知らずの他人に対して「厳しく」することは私には抵抗があります。だって、自分には何の被害もないんですよ。まるで、他人を傷つけた人間をまったく関係のない利害関係のない自分が攻撃していいのか、それは一種の野次馬かつただの憂さ晴らしなのではないか? 回答が一方方向によるのはよくありません。普通人間だったら切れますよ。リアクタンス以前ではないでしょうか。 質問者が悪い部分に向き合えないとすれば、端から質問者を否定するかのようなニュアンスに取れる回答があるからでしょうね。同じことをいうにしても、腰を低くして言う事です。私はあなたの苦労についてとやかく言う資格がある川からないんだけど、こう思うんですという姿勢で。大事なのは「姿勢」だと思いますよ。それに、回答者はぜひ人生相談をして、どういう居丈高な回答者がいるか体験するべきです←ここ大事。そうしなければ、決して問題点が実感できません。
補足
今回のご回答には直接関係ないのですが、質問自体に上乗せしたい意味で投稿させていただきます。 考えてみると、世の中、非難されるべき注意されるべきところでそうならずに、そういういわれのない(例えばネットで人生相談を率直にするとか)ときに、いわれのない「厳しさ」あるいは「憂さ晴らし?」の対象にならなきゃならないのか?もちろん、建設的に鼓舞してくれるのはいいんですけどね。なにか現実との間にギャップを感じてしまうのです。それが大きな違和感となっているのかもしれない。 例えば私は、彼女に振られたりいろいろあってやけになっているときに、上半身裸でファミレスに居座ってアルコールを飲んでいたような事があった。ところが、誰も見て見ぬ振りをするんだよね。結局3時間くらいそうやってゴキブリのようにしていたのに、何もいわれなかった。また、夜の電車などで、酔っ払いが騒いだりなんかしても、誰もつまみ出しませんよね。 こういう現実の所載なさとこのネットでよくあるパターンの「厳しさ」とはなんなのか?完全に、安全な場所だから、とっちめてやろうの動機があると思ってしまいますよ。実社会が、直ちに無法者を共同で排除するような雰囲気があれば、ネットの厳しさも容認できるでしょうがね。なにかまとまりがありませんが、漠然とそういう思いがします。
まさしくネットならではの心理かと思いわれます ネットなら横柄な態度を取れる、何を書いても嫌なら 答えなきゃすむという逃げ道の多さから発生した 逃避型全能仮想有能感(逃げ道の多い自己満足 と他者批判)かと思われます。
お礼
真実かもしれないですね。簡潔に本質的なことを教えていただいた気分です。世の中にはそういうものもあるんだということを、今一度自覚したほうがいいんでしょうね。当たり前のことなんですが、こういう回答があるのは、決まって人生相談系です。まず、科学とか文学とか学問系の質問に対して「あなたはそんな質問を考えるのは人間的になってない」なんていうことはまずありません。決まって、その質問者が己をさらけ出したとき、人間的な本質的な部分に対して向けられるのです。これは考えてみると怖いことで、いかがわしい宗教とかのやり方に近いのではないかと。人間的な部分を批判されて、「ふふん、なに馬鹿なこといってんだ」と割り切れる人はあまりいませんから。そういう、人の弱みに付け込む、そういうことが効果があり、また自分が恥をかいたり逆襲されたりしないという卑怯な計算性も働いているのではないでしょうか。そんなことも想像できあます。
補足
結局、最終的には、善意か悪意かが絡んできそうです。
- hakobulu
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人それぞれですので様々な心理があると思います。 ですが、ご質問の要点と思われますが、「憂さ晴らし」とだけ捉えるのはやや視野が狭くなってしまうような気がします。 無論、明きらかに憂さ晴らしとわかるような回答もありますが、garcon2000さんが問題にしているのはあくまで「憂さ晴らしとしか思えない回答」だろうと思います。 「>とにかく相談者を悪人に仕立て上げるかのような姿勢で回答するパターン」についても、実際に対象となるレスがわからない以上ひとくくりに解釈することはできません。 大分前ですが、自分の奥さんが嫌がるのだが毎日無理やりセックスをしているという男性の質問が載ったことがあります。 はっきりとは覚えていませんが、奥さんはそのたびに嫌がって泣くのだそうです。 結婚しているのに妻がセックスを拒むのはけしからん、とその男は主張していたと思います。 その他、家事をきちんとこなしていないとか飯がまずいとか、そんなこんなで、この妻を何とか矯正したいのだがどうすれば良いか、といったような話でした。 「>そりゃあなたがわるいのよ、相手に謝ってください、懺悔してくださいなど、とにかく相談者を悪人に仕立て上げるかのような姿勢で回答するパターン」 に該当すると揚げ足的な例を挙げたわけではありません。 この質問者が不幸なのは、極端な「イラショナルビリーフ」から抜け出せないでいた点です。 本人は絶対的に自分に非が無いという立場で質問をしているわけですが、回答という以前にそのような質問を立てること自体、あなたが間違っているのだという回答をせざるを得ない質問も案外多いようです。 上の例は極端とも言えますが、氷山の一角でもあります。 叱咤激励が失礼かどうかではなく、その文面ではないかと思いますけどね。 確かに的を外すと失礼にもなるでしょうが、それが必要とされる局面もあろうかという気はします。 「>自分が隠れていて、さも相手より上のような態度をとることはどうも違和感が強いです。」 :確かにそうですね。 私なども自分の回答を読み直して後で赤面することがしばしばあります。 といってまたすぐ同じ事を繰り返すのですが・・・。^^; 一応反省はしているのだけど、少しは進歩しているのだろうか。 私の場合、回答も所詮暇つぶしなのですが、どうせなら少しでも質問者さんの益になるほうが嬉しいです。 そのためには受け入れられるように適切な表現を選ぶ必要があるんですね。 なかなか難しいですが勉強させてもらいました。
お礼
ご丁寧にありがとうございます。 「憂さ晴らしとは思えない回答」についてなんです。逆に言うと、もしかして本心は憂さ晴らしなのかもしれないが、いやに真剣に、でもあきらかに質問者を追い詰め批判しているような内容の回答とでも言いましょうか。だから、あからさまに憂さ晴らしとも思えないんです。私が回答した質問にそんなことを感じることがあったこともありますし、ただランダムに読んでみてそんなことを感じることもあります。 挙げていただいた例は、本当に極端で、これは同調しようにも無理があります。そういう明らかに大多数の意見が批判に傾くだろうという時には、明確ですね。しかし、質問自体がなっていない、考え方自体がなっていないという境界線はあいまいなものですから、一概に片付けられる問題でもありません。しかしながら、全体的な色というか、コモンセンスというか、「常識範囲の質問を常識的な感覚でしている」と(私が)感じられる質問に対しても、どうもこういう「上から批判する」的な回答が印象に残ります。もしかして、割合は少ないのかもしれないですが、なにかよくない印象としてして残ってしまうのです。 私も、未熟な回答者です。あまり気を回して書いていませんから。
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お礼
再度ご投稿ありがとうございます。 自身いろいろ体験されかつ分析的に考察なさっているんですね。とても頭が下がる思います。面白くない事を冷静に分析するって大事です。私はなかなかできません。 心理的リアクタンス(抵抗)ですね。冷静になれないときに起こります。そして、無意識的とも言っていい強制力ですね。その対極の姿勢をとられたということは非常に意義深い事です。 サクラとか集団心理のほうですが、ありますね。そしてそれは結局何を意味するのかというと、哲学的には人間の堕落であると思います。つまり、周りの状況で自分がどうするか、意識的にせよ無意識的にせよ、自律から離れた保身の姿勢である事は明らかです。 そのようなことが、人を傷つける事(相談者を非難、叱責?)を媒介といてやるというのは、人間の醜さここに際まらりと言い切ってもよろしいかと存じます。
補足
1の「いきなり気に食わない事」というのは、質問にまずそっていないことを平気で書くという、しかもそれがおかしいと思っていないとすれば、なんとも厚顔もきわまれりです。 2も同様ですね。文面などはないように比してどうでもいいことです。もちろんあまり誤字があるのはいただけませんが。 3はヒステリーの一種でしょう。 4誇大妄想でしょうかね。 5質問に答えるところである事を平気で逸脱する神経というのは私には理解できない。 6ありますね。なんとしても自我を守らねばという信念ですかねW参ります。 6