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「あの人変わってる」と言うことについて

 ふと思いたったんですが、  昔は、共同社会で非協調的、あるいは不可解な行動をとると、「けしからん」「どういうつもりか説明しろ」とお互いが言い合っていたんじゃないか。それは、人間関係の構築が未熟だったり苦手だったりする人を周りが諭してあげたり、「その行動はよくないと思う」と、指摘する側の意志というか主張があって、お互いにいい関係を続けようという良い姿勢だったんじゃないか。  今は、「変わってる」と言って、言われるほうはその場では傷つかないけれど、一生、その行動を直そうとはしないだろうし、言うほうは、その人がそれでこの先友人に恵まれなくてもカンケイナイ、関わりたくない、自分のせいで気分を害されたくない、波風たてたくない、という、(~てゆうか~、や、~みたいな~、という表現のように)はっきりモノを言わない傾向のひとつじゃないかと。  「変わってる」という表現は、天才的芸術家や天才的ひらめき家、妙な趣味を持つコレクターや専門家にはふさわしいと思いますが、  一方、コミュニケーションが苦手な人に対しても、意志の疎通ができないときに「変わってる」で済ましてしまい、集団の中での社会性の欠如を諭してあげる人もなく(学校では、関わると自分まで一緒にイジメられてしまうハメになることもある)、そのうちみんなで無視するようになる、という場合でも、その言葉が使われていて、意味は全然違うと思います。  そういう課題は心理学でしょうか?

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  • ベストアンサー
  • aster
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回答No.4

  心理学と社会学の問題だと思いますが、もっと色々なことにも関係していると思います。(人間関係論、社会関係論、コミュニケーション理論などです)。 「変わっている」というのは、「普通でない」ということですが、「普通でない」は、悪い意味と良い意味があります。また、「我々とは違っている」という意味です。ここで「我々」が「普通」で、「あの人は普通でない」となるのです。 英語だと、queer, strange, different など、色々な言葉に翻訳できます。それぞれニュナスが違います。「クイアー」は、変わっていて、奇妙で、何か良からぬ場合です。「ストレンジ」は、奇妙で理解しがたい、不思議だ、外国人のようだ、という感じです。「ディファラント」は、違っているということですが、広い意味になります。 「変わっている」というのが、「事実認識」のレベルなら良いのですが、たいてい、「排除」や「差別」が加わってきます。 昔の人は、普通でないと、厳しい社会のなかで生きられなかったので、必死になって「普通」であろうとしました。そういうなかで、独自の個性で、抜きん出た人もいたわけで、そういう人は「変わっている」のですが、良い意味での普通でないということだったのです。 しかし、庶民だと厳しく、反対に、互いに助け合おうという精神や制度もあったかも知れませんが、どうしても、個性から「変わっている」が来ている場合、個性を画一化しないと、普通になれなかったとも言えます。しかし、画一化のなかでも、それなりの個性はあったとも言えます。 現代は、他人に無関心で、他人がいなくとも生きて行けると錯覚できるような社会の豊かさがあります。そこで、「変わった人」も、それなりに生きて行けますが、「我々と違う」ということで、「排除」や「差別」されることは、あるいは昔よりもきつくなっているのかも知れません。 「変わった個性の人」に対し、現在は、嫉妬心なども含めて排除や画一化への強制があるのかも知れません。 共同体の規制力が弱くなった結果、個々の個人は、原子化し、孤独になったとも言え、この孤独を補償するため、擬似共同体を他の人と作り、排除によって、その擬似共同体があるという実感を感じられるというような機構があると思えます。 コミュニケーションの苦手な人というのは、元々、日本人は、コミュニケーションが下手だったのですが、それで普通だという考えもあったのが、アメリカナイズなどによって、軽薄にコミュニケーションできる人が、そうでない人を「変わっている」などと決め付け、排除したり、差別したりするのは、確かに、昔の「変わっている」とは違う意味です。 こういう意味の「普通」、それを支える「我々」というのは、未熟な擬似共同体だとも言えます。 それぞれの人の個性が尊重され、共同体への参画においても、共同体の成員のあいだに、互いを許容する心の広さや、他者の個性を尊重するという態度が必要なのでしょうが、なかなか、うまく行きません。 また、個性ある個人として生きるということは、共同体のルールを無視してもよいということでもありません。 俺は自由なことをするのだと言って、文化アパートの壁の薄い家で、真夜中で大音量で音楽などを聞くなどは近所迷惑です。 個人としての「自由の可能性」が広がった分、他者への配慮や、共同体の尊重など、個人にとって、自由と個性を維持しつ、互いに、楽しく生きるというのは、個人の課題として難しくなったのだと言えます。 自由と個性を維持し主張するには、それなりの責任が必要だともなるでしょう。他者への配慮、他者の自由な個性も認めて、互いに精神的に成長しつつ、共存するというのが理想的でしょうが、現実的に難しい問題です。  

noname#2233
質問者

お礼

私の考えた問題について、広い視野で整然とまとめて下さり、ありがとうございます。何が問題なのか、このように整然と考えるのが苦手なので、質問してみてとてもためになりました。

その他の回答 (3)

回答No.3

>昔は、共同社会で非協調的、あるいは不可解な行動をとると、「けしからん」「どういうつもりか説明しろ」とお互いが言い合っていたんじゃないか。それは、人間関係の構築が未熟だったり苦手だったりする人を周りが諭してあげたり、「その行動はよくないと思う」と、指摘する側の意志というか主張があって、お互いにいい関係を続けようという良い姿勢だったんじゃないか。 ↑ 家族形態、地域形態、住宅形態、また、都市部、農村部、総括して社会環境が時代時代で大きく様変わりしています。時代背景がいつといまを比較されているのかが、ご質問からはうかがい知ることができません。しかし、時代は大きく様変わりしても前延べでお書きのような姿勢でおられる方も全くいなくなってしまったわけではないと思います。それと、「良い姿勢」とありますが指摘されるのを好まない方も一方におられることでしょうから、両者の間に信頼関係を構築するに至るまでによほどコミニュケ-ションを重ねる機会や場がないと「良い姿勢」とも一概にいえないかもしれません。「良い姿勢」とおっしゃられているのが窮屈な環境となる場合もあることでしょう。 >一生、その行動を直そうとはしないだろうし ↑他人の行動を推測で語ることはできてもそれを断定できるものではありません。 >はっきりモノを言わない傾向のひとつじゃないかと。 ↑ご自分でお書きのように、「傾向のひとつ」いろいろあるなかのひとつかもしれない。発話者、当人でない限り発した言葉に含まれる想いまでは推測できても断定はできません。 >「変わってる」 ↑まず、変わっているというのはだれの視点において何を基準に比較しているのかが問題になります。赤くてまるいボ-ルと青くてまるいボ-ルがあったとします。Aさんから見れば二つのボ-ルは同じだと。Bさんから見れば二つのボ-ルは変わっていると。Aさんは色の違いはあってもボ-ルであるという観点から同じだといいました。Bさんは色の違いを重視し、変わっているといいました。 固定的な捉え方で人と接するといつまでたっても解り合うことは難しいかと思います。他を排除することが偏見として存在しているからです。偏見をどけていろいろなものの見方、かんじ方、考え方があることを会話する中でひとつでもおおく出会えればゆったりした気持も沸いてくるかと思います。 「深層心理」をキ-ワ-ドに検索をかけてみてください。参考になるサイトがいくつか上がってくると思います。

noname#2233
質問者

お礼

せっかくですが、何を言われているか、何をどう考え(改め)るべきなのか、よくわかりませんでした。

  • yu-min
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回答No.2

付け足しますね。人間行動学は医学系や心理系、史学系(過去のことから考える)、哲学系などで学べると思います。人間の行動のことなので、そのメカニズムみたいな感じだと理系のような気がします。また、もっと気持ち的なものだとしたら文系のように思います。 頼りにならなくってすいません。

  • yu-min
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回答No.1

私の1意見で申し訳ないのですが、何でも良い面と悪い面があると思います。なので、良く言えば昔(今も残っていますが)は皆で仲良くするために協調性に重きを置いていたんだと考えられますが、悪く言うと人の個性をなくしていて、違うものは排除する、駄目なもの、とも考えることができると思います。また、現在(昔より緩和されましたが)は良く言えば昔より自分自身を損なわなくてすむのではないか、人の目に(前よりは)おびえなくてすむように考えられますが、悪く言うと、悪い意味で個性を使っていたり、個性に甘える場合があるように考えられます。また、皆が意思の疎通ができるのも重要ですが、1個人を認めることが大切だと思います。そして、人間は、変わっているというより自分と違うと避ける傾向があるように感じます。 私の意見なので、偏りがあってすいません。 また、このような課題は行動学でやっているように思います。

noname#2233
質問者

お礼

ありがとうございます。 ふむふむ納得させられました。 行動学って文系の学問ですか?