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妬みと見下し
妬んだり、見下したりするのは、人を気付けたりして、自分としては損だからやめたいと思うのですが。どうも、このごろ格差社会を実感するのが多くなりまして、ちょくちょく出てきてしまいます。妬んだり、見下したりするのを少なくする方法というのはあるのでしょうか? ご教授お願いします。
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回答への補足の追記をしてみます。 >>やはり、運命は受け入れるということですか。 結果的にはそうですが、意味が、違います。 そなわち"無頓着"の心を持つ、すなわち、対象の幸福に対して、心を動かさないようにすることです。 ただ基本として、嫉妬、妬みは賞賛の実践が、一番なのです。この他の"次"のというか、補助的な意味あい(こっちの方が、高度かも??)での手段と考えてください。 あと"見下し"=見下すもありましたね。いわゆるプライドのことと思うけど、賞賛の実践で、乗り越えられるものと。 賞賛を行うことで、他の人相手の良いところを素直に認め、受け入れることで、その結果、壁はなくなり、プライドの壁もできにくくなりますし。 以上
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- iah
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妬みや見下し感を感じてしまうのは、仕方のないことと思います。そのことで自分の中の少しのプライドを維持したりして、均衡を保っている部分もあると思います。 ですので、感じてしまうことを否定するのでなく、その気持ちをどうコントロールするかを学んでいけばいいと思います。 その気持ちを相手にそのままぶつけるのはもってのほかですが、態度に出さない、感じている自分を見つけたら、「おいおい、気をつけよーぜ」と自分自身に言い聞かせて、言動に注意するとか。。。 少し、ずるい気もしますが、感じてしまうことを止めることはできないと思います。その気持ちをどうコントロールするか、どう振る舞うべきかを知っている人が大人だと思います。
お礼
>妬みや見下し感を感じてしまうのは、仕方のないことと思います。そのことで自分の中の少しのプライドを維持したりして、均衡を保っている部分もあると思います。 プライドって、必要なものなのでしょうか?そもそも、プライドというのはどうして生じてしまうのでしょうか? 不要なプライドが妬みとかになってしまっているような気がするんです。 ご回答ありがとうございました。
- dexi
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人は人、自分は自分です。 比較する必要はないでしょう。 もともと土台から違うのですから、 そこからどこに行こうが、上下で 計るものではありません。 その人の立ち位置は、それまでの 結果ですが、これからどうなるかは 見ている他人(自分でさえ)わからないのです。 そもそも現在進行形の人と人とを 比較すること自体が間違っているとは 思えませんか?
お礼
>そもそも現在進行形の人と人とを 比較すること自体が間違っているとは 思えませんか? 確かにそう思いたいんですが、思えないときがあるんです。永遠にその人は自分より幸せであり続けるのかもしれないと思い、その人をなんか妬んでしまうんです。 なので、自分より幸せであるという人がいることを信じている状態のとき、その自分より幸せである人を妬まないようにしなければ、妬みが終わらないんじゃないかと思います。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
>この他の"次"のというか、補助的な意味あい(こっちの方が、高度かも??)での手段と考えてください。 確かに賞賛はとてもいいことなんだと思いますが、賞賛するにも、運命を受け入れないとなんか賞賛しづらいんです。 そこで、運命なんですが、人間の目的が人より幸せになることとか、人より、苦しみを少なくするとか、絶対楽を目的とすると問題が出てくるんだと思います。人間が本当に求めるべきものとはただ自らの苦をできる限り最小限に抑えることにあるのだと思いました。結局、自分が人より幸せでありたいというのは、この目的の一部にしか過ぎないような気がします。 ご回答ありがとうございました。