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格差社会と出来るだけ多くの人が幸せになるには…
格差社会の問題点が問われていますが、出来るだけ多くの人が幸せになるには、どのような世の中が好ましいと考えますか? 経済的な面から見れば、社会全体が豊かになることも必要でしょう。 しかし、どんなに豊かになっても、または豊かになればなるほど格差は広がり、「勝者と敗者」のギャップは広がるようにも思います。 逆に、社会全体が豊かにならなければ、自分自身が子供の頃よりも豊かではない人間が増えて、不満を感じるでしょう。 そう考えると、出来るだけ多くの人が幸せになるための「鍵」は経済だけでは不十分と思えます。 ところで「幸せ」って何? 多くの人が幸せと感じる社会を政治や企業が作るなんて最初から無理な話で、せめて人の幸せの足を引っ張らない社会がいいところかもしれません。 格差社会から取り残されても「幸せ」になる人もいるでしょう。 せめて政治や企業には、人を不幸にするようなことはするな!と言いたい。 そうであれば、僕は幸せになってやる!(笑) 格差社会から距離を置く職人オヤジの独り言でした♪
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- 5S6
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簡単です。 一定以下の弱者を完全に切り捨てる事です。 皆が幸せは不可能です。 経済力で言えば世界で考えると年収300万でも上位1割ですから。 残りの9割からすれば日本人は全て金持ちでしょう。 生まれた時点で差があります。 糞遺伝子を持った子供は残念ながらろくな大人になれません。 勉強うんぬん、努力もありますが、集中力、記憶力などという 根本的なものが違うから。 もっと言えば障害を持って生まれた子供と経済力豊かでスポーツ選手や 学者、王様の子供では全く違いますよ。 恋愛とかで言えばチビ、デブ、ブス・・・ など容姿が劣る者は大きく不利です。 社会保障で言えば現在の老人は一人当たり国の税金を年間250万も使ってます。 年収300万の手取り分ですね。ご存じでしたか? 公務員や議員、官僚の税金無駄遣いだけではありません。 先が短く役に立たない老人にこれだけ無駄金を使うのに子供には17万ぐらいです。 年金で言えば今の老人と団塊の世代が食い逃げ、逃げ切りです。 10代20代は将来こんなに豊かな福祉はありません。 こういうのも世代間の格差ですよ。 1割の底辺を助けるためにきれい事を言って、残り下層、中間層に負担をかけ 不幸にするなら、その1割には死んでもらう!とは言いませんが、見捨てれば 9割の人が幸せになれるかもしれませんよ。 パレートの法則に従うなら下位2割ですかね。 「出来るだけ多くの人が幸せ」に近づけるのでは??
No.1と3です。再度のお礼ありがとうございます。 >自分の責任で金が無くても幸せを感じる方法を考えるしかない。 >政治にそれを求めても、結局は失望するのは目に見えている。 そうですね。私は、だから政治に求めて 希望を手に入れる事ができる様にしてほしいと思っています。 私は、哲学的な考えが苦手で、現実的な考えしかできないので。 バカなガキが、変な回答をして申し訳ございません。
- CTU
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こんにちは。 世界には従来のGDP・GNPで国民の"豊かさ"を測ることを辞め、"幸福指数"なる物で国民の満足度や精神衛生の良さを測る指標を導入している国があります。ちなみにブータンです。ブータンは決して豊かな国ではありませんが、このような試みは賛同できる部分がありますね。 この事から、いくら貧乏で物質的な豊かさを求めなくても、国民一人一人が、それぞれの"幸せ"を定義できたら、それはそれでうまく国が回る気がします。 戯言をすみませんでした。
お礼
昭和天皇の大喪の礼の際に、民族衣装に身を包んだワンチェク国王は一際異彩を放っていましたね。 確か、16歳か18歳で即位した彼は名君の誉れ高く、「国民総幸福」というのも彼が提唱した概念と聞きます。 僕には、こういう思い出があります。 30代前半で何をやってもうまく行かなかったときがありました。 僕は、尊敬する先輩にぼやきました...。 「あ~~努力が必ず報われる世の中ならばどんなにいいか!!!」 先輩は一笑に付してこういったのです。 「おいおい、努力が必ず報われるのならば、入学試験に合格しないのも、金が儲からないのも、女にもてないのも、全部自分の努力が足りないからになるんだぞ!(笑)」 僕は目から鱗が落ちましたねぇ...。 「運」とか「あきらめ」って、人間を執着地獄から救うためにあるんだろう。 努力しても報われない、機会が均等でないと言うのも、考えてみれば神様のプレゼントかも...? 僕の仕事はそれから儲かりはじめました。まあ、たいしたこと無いけど。(笑) 50オヤジの戯れ言でした。。。
No.1です。お礼ありがとうございます。 >どこかで「諦める」ことができる、というものです。 諦めた人や、諦めざる得なかった人の再チャレンジも必要ですね。 具体的に実現するとしたら、 ○学歴社会をやめる (学歴は一生付きまとうもので、これを重視したら 学歴に問題ある人は、一生、億万長者になれないから) ・入学受験の廃止 ここで失敗すると、学歴に永遠に影響するから。 高校・大学も、難関校以外は受験を廃止し、 受験に失敗したり、受験しなくても 普通校には任意でいけるようにする。 ○再就職を簡単にできるようにする (再就職する際、年齢等で低給料等の悪条件で働かざる得ない人が多いから) ・採用基準を筆記試験のみにする (学歴・容姿・年齢等を採用基準から外し、 実力・やる気・マナーのみを採用基準にする) やっぱり、諦めざる得ない状況を作らない、 諦めた人や諦めざる得なかった人への再チャレンジ これが今、必要なことだと思います。 バカなガキがこんなことを言ってすみません。
お礼
再度の回答ありがとう。 僕が思うに今の教育に欠落しているのは、人が人らしく生きる「知恵」なのだと思う。 人生は思い通りにゆかないけれども楽しむ知恵はある。 この知恵がなければなかなか幸せにはなれない。 そうは言っても、現在の物が溢れた時代で経済的に恵まれないのはあまりに辛い。 現実問題として、不満を感じる人はますます増えるだろう。 そういう人は、自分の責任で金が無くても幸せを感じる方法を考えるしかない。 政治にそれを求めても、結局は失望するのは目に見えている。 可能性を飽かずに追求するチャンスが与えられた社会が人を幸せにするとは限らないのだと思いますよ♪
- i-q
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格差社会という考え方自体に疑問があります。 もちろん個人では無理な問題もありますが、家庭によって境遇が違うのは当たり前だし、 それを全て平等にしろと言っているようで非常に贅沢な悩みに聞こえます。
お礼
>それを全て平等にしろと言っているようで非常に贅沢な悩みに聞こえます。 まあ、機会均等、可能性の格差は良くないという意味で使われていると解釈しましょう!
こんにちは。 >格差社会から距離を置く職人オヤジの独り言でした♪ そうですか。それでは、だめですよね… >格差社会の問題点が問われていますが、 >出来るだけ多くの人が幸せになるには、 >どのような世の中が好ましいと考えますか? 貧乏も努力すれば億万長者になれる世の中です。 具体的には、 (1)バカでも努力すれば天才になれる世の中 ・脱ゆとり教育(これで全国民にしっかり学力をつける) ・格安の塾(バカで貧しくても塾に通って、しっかり学力をつける) ・朝の給食(朝、食べれば頭が働きます) (2)格差原因をなくす ・正社員・非正社員の格差改善 ・年功主義から実力主義(実力あっても給料が少ないをなくす) (3)IT教育→全国民を時代についていけるようにする ・全国民がパソコンを使えるようにする(もちろんインターネットも) (身近な公共施設にパソコンを設置、パソコン初心者向け本も近くに置く) 政治家さん、実現してください。 以上、バカなガキの回答でした。
お礼
回答ありがとうございます。 努力するのは素晴らしいことです。 そして可能性があることも良いことです。 機会と可能性は誰にでも与えられるのが良い社会なのだと僕も思う。 しかし、それには「条件」があると思うのです。 僕が思うに、その条件というのは、どこかで「諦める」ことができる、というものです。 可能性をどこかで放棄してしまう、つまり「手にはいるかもしれないものを手に入れないという選択」をするのが、この世の中で幸せを手にする条件だと実感しています。 ある程度の成果を得たら、どこかを境に「出来てしまうかもしれないことを敢えてしない」または、「手に入れることができるかもしれないことが出来るものを敢えて放棄する」これが人生を楽しく過ごすコツのように思うのです。 勿論、何も手に入れることが出来なければ諦めることすら出来ない。 手に入れて、どこかで諦める。 だから『僕は妥協と譲歩が好き』です♪
お礼
回答ありがとうございます。 幸福ってのは「欲望と現実の差」が幸福度を決めるのかもしれませんねぇ。 物資的にいくら豊かであっても、欲望の方が大きければ幸福を感じない。 逆に言えば、貧しくても欲望がつましければ幸福度は高い。 じゃあ、どっかで「欲」を制限してしまえと言うのが、東洋というか仏教の「少欲知足」の考え方の基本。 僕は経済学部出身ではないのですが、僕たちが学生の頃は、マルクス主義が大学にはびこって、経済学とそれを支える哲学が結構もてはやされていた最後の世代なんですね。 だから僕の書棚にも、今は亡き?大月書店の「資本論」とサミュエルソン「経済学」が並んでいました。(笑) パレートとは懐かしい! 確かパレートの2割は富の8割を所有する方で、切り捨てられる方ではなかったと記憶していますが、当時の経済学者って経済は数字で論理的に見ようとする代わりに、社会に対しては非論理的というか情緒的に見ようとするクセがあったように思います。 きっと人間というものを理解していたんでしょうね。 パレートなんて厚生経済学の祖なんですから最たるもの。 「人はきれい事を言わないと幸せになれない」 のだと思うんですよ。 金持ちは寄付が好きだし、ある程度経営者として成功すれば、よほど品がなくて賢くない人間でない限り、社会的貢献を口に出します。 もっともっと稼ぎたいとは言わない。(言った人もいますね。ありゃ単純なんですよ。・笑) 金って限界効用逓減則が働きますから、だんだんいらなくなる。 他の物が欲しくなる。 とすると貧乏人を切り捨てると金持ちは幸せな気分になれない。(笑) もっと困ったことに、老人の福祉を支えることで生活の糧を得ている人間まで道連れにしないために、新たな雇用を創出しないと1~2割ではすまなくなてしまうのが経済が生き物たる所以。 かくして切り捨ては意外と不幸が増殖してしまう。 当たり前のことですが、「数字は所詮数字」であり「金は所詮金」ということなのだと思うのです。 計量化が難しい部分を切り捨ててしまうと人間の本質を見失う。 最初に戻りますが、「欲望と現実の差」が幸福度を決めるのであれば、欲望を抑えるのが一番合理的な幸福追求法。 とはいえ、これだけ物とサービスが溢れていますから、どこで折り合いを付けるかが、その人間の「賢さ」なんだと思います♪