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正義

正義とは何なのでしょうか?

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  • kigurumi
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回答No.6

人間は絶対者ではないので、「これが正義」ということを知覚することはできません。 一方にとっては正義の裁きであっても、もう一方にとっては虐殺という二面性を持ってしまっては、それは本当の正義とは言えませんし。 全員が正義だと思っても、それが本当の正義なのか人間にはわかりません。 ソクラテスだったと思いますが、正義について深く考えました。 それでみんなで決めた法を正義だと仮に決定しました。 民主主義の発祥の地ギリシャで、多数決で決まった法であれば、それに従うのが正義を擁護するものであるとソクラテスは考えたんだったと思います。 一人の独裁者が決めた法より、多くの人で決めた法の方がより確かである。 何故なら一人の独裁者が悪に傾けば、たちまち法もその独裁者のみに有利な法(独裁者の利己的な法)になるが、多くの人が決めた場合、全員が悪に傾いてしまうということはありえにくい(水の量が多い方が腐りにくい)ので、多数決で決めた方がまだマシってことらしいです。 だからといって多数決で決めた方が絶対的な正義の法とは決定できませんが。 時代とともに情況とともに正義は変化していくものなのか。 正義は絶対的な属性を持たないものなのか。 外国の憲法は改正を繰り返しているようですが、日本の場合一度も変えていないそうです。 世界でもとても珍しいことだそうです。 変えるまでに情況が変化しなかったからなのか、日本の憲法がかなり優秀だったからなのか、世の中が変化してもその変化に耐えうるほどの憲法だったからなのか。 絶対的な判断が人間にはできない以上、それはわからないです。 が、人間ではなく時がそれを証明するかもしれません。 ふと思ったのですが、コロコロ法を変えてしまうと、結局その法に対する信頼がゆらぐと思うのです。 結局 法は絶対的なものじゃないので、破っても全然かまいやしない、情況次第では守らないことも可であると。 ソクラテスは捕らえられた時、友人から脱獄を進められたそうですが、正義を擁護するものが、みんなで決めた法を破ってしまったら、正義の擁護者ではなくなる として脱獄の勧めを断り処刑されたそうです。 ソクラテスの判断は正しかったのでしょうか。 脱獄してしまったら、法の存在価値を否定したことになる。 脱獄しなければ、有効に作用していない不安定な法によって殺されたことになる。 一番いいのはソクラテスは正義の擁護者という立場を返上し、正義の希求者になればよかったんだと思います。 どう違うのか。 みんなで決めた法はなにがなんでも守ってこそ、法が権威づけられ人々を統率できる というのが正義というか法の擁護者。 だけどそれには大きな欠点がある。 完成度が低い法も正義だとしなければならず、その完成度の低い法によって自らが殺されることになる運命になってしまう という。 ソクラテスは完成度の低い法に縛られず、よりよい法を制定するため、脱獄してもっと法の完成度を高める運動 すなわち正義の希求をすればよかったと思うんですね。 頑固すぎ。 彼ほどの頭脳を持っていたら、もっとより良い法に改正でき、死ななくて済んだ人も多くなったていたかもしれないのに。 惜しいですね。 彼の頑固さが人類にとっては大きなマイナスになったような気がします。

noname#38290
質問者

お礼

ソクラテスの引用、ありがとうございました。正義についての試行錯誤が、古代から現在まで続いていることは確かですね。本当に難しい問題です。

その他の回答 (11)

  • kazuxp32
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回答No.1

自分にとって正しいと思える事をやる事ではないでしょうか。 正義の定義をするのはかなり難しいかもしれませんが、ボクは個人的に自分が正しいと思う事をやる、というのが正義なのではないでしょうか。 自分が正しいと思いながら殺人をしたとしてもそれは正義になるような気がします。(勝手な思い込みです。) 訳のわかんない事いってすみません。

noname#38290
質問者

お礼

いえいえ、訳のわからない事ではありません。それぞれ意見がありますから。興味深い見解だと思います。 ありがとうございました。