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年々母が嫌いになります。
数回の離婚がありましたが、基本的には女で一つで育ててくれました。私には母方の親戚しか親戚と呼べる人がいないのですが、私が二十歳になった頃に母と私でその親戚達と縁を切ったのです。 叔母と祖母が中心ですが、お金や男性にだらしない、それを母が返済し、他では子供を子供と思わず、嫌な事を押し付ける親戚達に、私はあきれ縁を切り母も以前から、縁を切りたいと思っていたものの、親戚が誰もいなくなるのが寂しくて付き合ってましたが、私が縁を切ったのに便乗したような形でした。 小さい頃は親戚とは違って、母は借金を返し、体を壊すまで働いて私も頑張って育ててくれた事に関しては今でも感謝しています。 ですがそれ以外が日に日にだらしなくなっているように思えるのです。以前まではお酒が入ると愚痴り、泣きを毎日繰り返してました。今は別に暮していますが、それ以上に酷くなり、お酒を飲むと自殺をしたいと言い出します。現実自殺も何回かはかりました。 確かに母は苦労がたたって体を壊したのが原因で、無理ができません。でも何をするにも、その事を理由にもってくるのです。私が母にいつも言っている「冷静になる努力してみよう」とかは奇麗事かもしれません。でも「体が動かないから」という事を言われると何にもいえなくなります。私が思うに、辛いときは頼ってくるのに、結果人の話をきかず、その状況に甘えている現状が多いのです。 今は鬱もあるので、何も母に怒ったりしませんが、母も叔母や祖母のような所が歳を取るたびに、でてくるのです。それが嫌でたまりません。 ですが一生付き合っていく以上、どのように対応していいかわからなくなりました。皆さんならどうされますか?またご両親が嫌いっという方がいれば、ご自身の対処法などあれば教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
私も質問者様と同じような環境でした。 話せば長くなりますが、簡潔にお話します。 私は今娘が一人います。その娘は母にとって初孫でしたが、自宅から実家まで数十分の距離に住んでいて、歩いて毎日通っていました。母は「不安障害」という病気だということがわかりました。 それからというもの毎日私を呼び出して「ご飯したくして」「買い物いってきて」とこきを使うようになりました。 朝8時少しすぎると「遅い!なにやってんの?」とメールがきて、実家から帰るのは夏で7時、冬は6時半くらいでした。ふぶいても雨が降っても毎日毎日通っていました。 それがいやになり、母も娘に甘く、私はあまり育児に手を出せず・・・。 ついに切れました。 昨年、自宅を引き払いました。主人と子供と三人でひっそり暮らしています。でも、未成年の弟がいるのでそれが気がかりです。 出てきてからというもの気がかりもたくさんあります。思いっきり泣いてしまうこともあります。 人を気にして(知り合いに会わないか)出かけることもあります。 すごく辛い状況でしたが、今は落ち着きました。 質問者様も本当にご自分が辛いと感じるようであれば、自治体に相談したりするのもいいかもしれません。私の場合はしつこさから警察に相談しました。「精神病」があるので「逃げたほうがいいね」と言われました。私は腎臓病の病気を持っているので主人はそれが一番心配していたみたいです。今は出てきたおかげでストレスもなくなり(母に対して)腎臓も少しずつよくなってきているときがあります。(今はちょっと悪化してしまいましたが) こんなことめったにない経験ですが、そのうち時間が解決して母に会えることを今は楽しみになったりしています。 離れてわかったことがひとつあり、母を憎んで、嫌いで出て行ったのに今はすごく母が好きです。
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Q、年々母が嫌いになります。 A、精神的に自立していないだけです。自分なりの人生を切り拓くのが先決。 「親が好きだ、嫌いだ」も、まあ、17歳位までなら判ります。 が、18歳も過ぎ大人になったら、「親は親、我は我」という考えに行き着きます。 とは言うものの、親子の確執は、色んな事情があってなかなか払拭できないものです。 今から42年前。 美人で頭が良くて一流企業に就職した一人の女性がいました。 が、どういった運命のいたずらかヤクザまがいの男につかまり妊娠。 加えて、産まれてきた子は極めて重度の自閉症児。 やがて、お決まりのように、覚醒剤と暴力の日々が始まりました。 それでも、2子、3子を授かって、何とか家庭を築こうと必死の努力。 10年後、彼女は、隣家のおばさんに数万円を借りて逃亡生活に突入。 さて、彼女の愚行が、相当期間、彼女の親から平穏な日々を奪いました。 それから、37年、彼女は、残された母親を引き取りました。 が、「あんたのお陰で苦労ばかりの半生だった」の一言で同居も破綻。 が、「あんただけが幸せになってから」の一言で同居も破綻。 母親は、結局は、息子夫婦の元へと帰っていきました。 それから5年が経過。 「心配だから、様子を見に行こうか」と妻が義母に電話。 だが、義母もなかなかのもので、「別に来てもらわんでも結構」と返事。 「もう、2度と電話なんかするもんか」といきまく妻に一言。 「話しの持っていき方がドベタたい。『○○日に、そっちに行くよ』と、もう一度電話せんかい」 こうして、義母と妻は、めでたーく、久々に昔の親子に戻った数日を楽しんだようです。 私らの年齢になれば、親の苦労も悩みも愚痴も、実によーく理解できます。 しかし、そのためには、「親は親、我は我」で自分なりの人生を生き抜くことが肝心です。 「まあ、それなりに幸せな人生だったねー」と言えてこそ、そのような心のユトリも生まれます。 先ずは、自分なりの人生を切り拓くのが先決という理由です。 しかし、このばあさん、「そっちで養ってよ」の電話攻勢をここ2ヶ月ばかり強めています。 子供達は、「自分勝手だねー」と言っています。 まあ、ここら辺りが、まだまだガキの考えの限界です。 「退職を一年早めて、妻に親孝行のチャンスを」-私は、この判断を、そろそろ下すつもりです。 私の親との兼ね合いもあって、上手い着地点を見つけねばなりません。 幸福な親子は一様に幸福です。が、不幸な親子は、それぞれに不幸な確執を抱えているもんです。 しかし、その不幸な確執を丸抱えにして、なおかつ、平然と生きるのも人生です。 どっちにしろ逃れることの出来ない確執ならば、それはそれ、これはこれです。
お礼
ご回答いただき有難うございます。 貴重なご意見を頂きまして、自身も色々考えるところがあると思いました。有難うございました。
お礼
回答いただき有難うございます。 同じような方にお話を頂いただけでも少し楽になりました。 本当に辛いときは、そういった機関にも相談してみます。 kazukazu18さんのように、今度母に会えるのが楽しみといえるようになりたいですね。