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キリスト教学
ノーベル文学賞受賞者でありアウシュビッツ生存者であるエリーウィーゼルの言葉「ホロコースト後の世界では、神が存在しないよりも存在するほうがかえって厄介である」これを説明してください。
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- 1000827313
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前回も申し上げましたが、エリ・ヴィーゼルは「ノーベル文学賞」は貰っていません。「ノーベル平和賞」を受賞です。 質問の答えは三部作「夜、祖明け、昼」や「エルサレムの乞食」、「死者の歌」、「幸運の町」等々翻訳されていますので一読されると見つかると思いますが・・・但し、ユダヤ教の存在基盤を理解されないと(アリストテレス以来の論理学によるキリスト教的解釈をしようとすると)困難を伴うでしょう。 副読本としてラビ達の書かれたものや、現代のヘブライ学者アンドレ・ネール(言葉の捕囚ーアウシュヴィッツ以後文学は可能かー)等も興味がおありなら読まれては如何ですか。
- kigurumi
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エリ・ウィーゼル。 エリアザル(アロンの息子)に音が似ていますね。 さて、エリはどのような意味でそう言ったのか。 調べてみましたが、行き当たりませんでした。 ですが、別の言ったとされる言葉を見つけました。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111593456 『エリーウィーゼルは「ヨブはは無駄に苦しんだのではない彼のおかげで我々は神の不正を人間の正義と思いやりに変えることができるということを知ったのだ」と言っています。』 神が不正を犯した? ヨブの中では神は不正を犯したのでしょうか? ヨブの中に出てくるサタン。 これは悪魔という意味ではなく、敵対する者という意味。 ディスカッションは物事を深く吟味する手段ですが、その場合、パネラーが全員同じ意見では、吟味しようがないんですね。 反論する人がいないと、吟味できない。 自分の意見に反論する人を敵対者 つまり サタンとする。 イエスもサタンと対話したことが聖書に描かれています。 このサタンとの対話において、イエスはゆるぎない確信を築いていった というお話。 さて、ヨブ記の中では、確か、、、、ヨブは全くもって義人であるとされていた。 その義人ヨブが本当に義人なのか、それとも神から誉められるために義人をやているのか、利益が無いときは、ヨブの信仰はゆらぐであろうとサタンは神にいどんだ。 神はヨブを試し不幸三昧にしたわけです。 すると友人たちはいろいろと言います。 でもヨブは納得できません。 神の不正に対し、抗議しました。 (全く神のいいつけを守っていたにもかかわらず、不幸のどんぞこにさせられたのですから。) ヨブでは最終的にヨブが悟りを得てひきさがります。 キリスト教はプラトン哲学だ と言われることがある。 プラトンはギュゲスの神話という物語を創造し、正義の擁護 人の幸福 について考えた。 ちなみにロード・オブ・ザ・リングの元ネタがこのギュゲスの神話。 「正義の人と言われる人からあらゆる世俗的な意味での善きものを取り払った場合、それでも人は正しくありうるのか。」 完全の不正な人間とは、最大の悪事を働きながら、正義にかけては最大の評価を自分のために確保できる人間でなくてはならない。 不正を企てて、人目をくらますことができず、発覚してしまうような奴は本当の不正者ではない。 不正の極致とは、実際は正しい人間ではないのに、正しい人間だと、人々から思われることなのである。 (ピラートスがいい例ですよね。 大悪人だったにも関わらず、聖書には正しい人と書いてある。) それでは、その反対に、完全の正義の人から、この世俗的な善を取り払わなければ、その人が善の極致なのかどうかわからない。 何故なら、その人がもともと善だからそうなのか、褒美や名誉のためなのか不明だから。 それで、一切のものを剥ぎり丸裸にし、正義だけを残さなければ証明できない。 すなわち、なに一つ不正は働いていないにもかかわらず、不正であると最大の評判を得させる。 生涯を通じて不正な人間だと思われながら、場合によっては、鞭打たれ、拷問にかけられ、磔にされても、死に至るまで正義でありつづけなければならない。 そうでなければ、結果や評判と関わりなしに、正義自体が良いものであると擁護したことにはならない。 というのがプラトン( 紀元前427年 - 紀元前347年)の考え。 ホロコーストにより大量のユダヤ人が虐殺されることになった思想は、「ユダヤ人がイエスを殺した」です。 キリスト教が拡大するにつれ、ユダヤ人いじめは過激さを増していった。 拡大するためにユダヤ人に冤罪を着せ利得を得たきたわけです。 そういう風潮にしていき、とうとう市民の政府への怒りをユダヤ人に対する憎しみ人矛先をかえさせ、人々を統率するためにユダヤ人たちを生贄として捧げていった。 悪の極みです。 キリスト教の思想は上に述べたようにプラトン思想です。 ヨブ記の作家もヘレニズム文化の流入の影響を受けたユダヤ文学。 ハーフですね。 「義のために迫害された人は幸いである。天の国は彼らのものなり」 「心の貧しい人は幸いである。天国は彼らのものである。」 ではこれをヘブル語に置き換えてみるとどうなるか。 「【救い】を追い求める人は幸いである。天の国は彼らによって成り立つ。」 「【自分自身の義は何も持たない霊的に打ち砕かれた人】は幸いである。天の国は彼らによって成り立つ。」 ヨブは自分自身からみての善を全うしていた。 彼は人間からする善に添っていたにすぎないことを知ることとなった。 キリスト教を産んだのはユダヤ教徒。 ただし、ギリシャ哲学に染まったユダヤ人たちが起こした。 「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」 どういう意味なのでしょう。 ディアスポラしたユダヤ人たちは異文化によって育てられ、もはや彼らはイスラエルの魂が消えてしまっていた。 彼らには救いを追い求めることなく、自分たちからみても正義を追い求め、迫害されていった。 神を捨て自分の義を神として打ち立てた。 神の救いを拒んだ。 エリは、神の正義が存在しているにも関わらず、ホロコーストで人間によって負けざるを得ない情況になったという見方でそう述べたとしたら、彼もプラトン思想に染まっていると思います。 ユダヤ教においては正義でなく救いであり、それは、悲しむ者 つまり己の力が尽きて、希望を失って神に向かって叫びを求める者、己のプライドを投げ捨てた人々が、心の貧しい人という意味だということを知らない。 その時自分が神の救いの現前に立つということを知らない。 ギリシャ語は抽象概念によって成り立つ言語。 いくらでも議論して問うことが可能。 かたやヘブル語はものの本質を直接表す言語。抽象概念など無い。 と聞いています。 直感的に言葉を解さず直接神と交信する言語だそうですが、、、、 結局 神と本人が直接会話しないで、人間同士が言葉を通して「神とは」って吟味するもんだから、抽象的にならざるを得ないんでしょうかね。 それを避けるために、神は祭祀を選び、その人たち以外は近づかないように命令したことになっていますが。 エリアザルもその一人だったのに。 ねぇ・・・・・。
- 成る丸(@Narumaru17)
- ベストアンサー率39% (171/433)
ただの推測ですし、自分は宗教に興味が無いものですので、回答資格すらないのですが、参考意見ということで・・・、 ユダヤ人(Jew)というのは、必ずしも血縁的なものではありません、 世界に散らばるユダヤ人達は、世界に散らばるうちに彼らの系図を無くしてしまいました。 また純粋に混血が進み、見た目だけではユダヤ人なのか、普通のヨーロッパ人なのかわかりません。 建前は、母方の先祖がユダヤ人であれば、ユダヤ人であると認めてくれる事になっていますが、実際は、ユダヤ教徒=ユダヤ人です。 信仰心がきっと、厚かったであろエリーウィーゼル氏は、信仰を捨てる事ができなかった。 ユダヤ教徒であり続ける事は、ユダヤ人であり続ける事も意味します。 そして、偏見に満ちたキリスト教徒から、迫害や偏見をこれからも受け続けてゆくのだろう。 ホロコーストによって、ユダヤ人である事にトラウマを持ったら、自分をユダヤ人(教)にさせた神・・・この神こそが、元凶であったのだから、 存在するほうが、かえってやっかいである。 又、No1の回答者さんのご回答でおっしゃられている様に、神への理解しがたい気持ちも有ったと思います。 *現在留学中で、シナゴーク(ユダヤ教の寺)を訪れた事があります。 宗教的な好奇心ではなく、民族的な好奇心からですが、ユダヤ人になれる事をその時に知りました。
- mmky
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救世主イエスを罪びととして十字架にかけた罪への罰だとゆうことを認めたくないだけ。
- ANASTASIAK
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あのような空前絶後の悲惨な行為をなぜ神が黙認したのか、 人間には説明が難しいからです。