• 締切済み

丸投げ質問が多いことの背景

 以前からのことですが、問題文だけ書いて形式的に「お願いします」的な文言を書くだけの質問が目立ちますね。  質問者さんの考えが書かれていると思われるものを、なるべく選んで解答しているつもりですが、それでも削除されてしまうこともしばしば。回答者特異的なねらい打ちか?という不信感さえ感じることもしばしば。  他方で、丸投げ質問に対して何らかの回答がついたもので、削除されずに放置されているものが多いという実態もあります。  それらの質問文の文面を見てみると、多くは、中学・高校生の方々のものと思われますが、中には明らかに大学の教養課程の方のものと思しきものも散見どころでなく見受けます。見ていていつも思うのですが、当該の彼ら彼女らは、人にものを尋ねるときの作法を習ったり、実社会での経験から身に付けたりしたことがないのでしょうか? 授業中や放課後などに、先生に質問をするという営みが見られないとは考えにくいのですが、はて...。その質疑の折りに、何をどう訪ねたら、どんな答えが返ってくるかに関しては、経験から身に付けることが出来そうなものですが、そういう場面が今どれだけ学園の中にあるのか。  今の中学や高校では、質疑の仕方に関しての何らかの指導などしていたりはしないのでしょうか? 情報科なる科目もできた今日この頃、ネット上での質疑のマナーやネットエチケットに関しての扱いもあるとは思いますが、どこまで問題意識として学生さんに伝わっているのか、心許ないものも感じます。  そこで、上記の点に関して、中学や高校などでの実態を知りたいと思います。科目教育の現場において、人にものを尋ねるときの作法に関して、どれ程の指導が行われているのか。知りうる限りのもので構わないので、実態に関する情報をご紹介いただければと思います。特に、中学や高校、大学受験予備校などで数学の教育に携わっている方々からの情報を歓迎致します。勿論、実情を詳しく知りうる一般の方々からの情報も歓迎致します。  学校教育か何かのカテゴリーでよいかなとも思ったのですが、該当のものがありません。また、僕がしばしば見る限りにおいて、この“学問&教育 > 数学”において上記の丸投げ質問はあまりに顕著です。そこで、このカテゴリーに取り敢えず質問記事を設けました。  どうぞ宜しくお願いします。

みんなの回答

回答No.8

私は、話のポイントがずれてしまうんですが…すいません。 愚痴になりますが^^; 私は個人的に、成人の英語学習予定者の丸投げ質問が最悪だなと思っています。 ・「私は英語がまったくできません。でもできるようになりたいです。 学習方法を1から教えてください。」 ・「私は大学生です。TOEIC高得点とりたいです。 なにしたらいいかわかりません。教えてください」 ・「英検ってどうやったら受かるんですかーーーー?」 といったものです… 彼らは、質問前に、ググりもしない、似たような過去質問も調べない、 突然質疑応答サイトに来て丸投げ質問してきます。 やはり大人なんだし、ネットを家に引いてるんだし、 『やる気があるなら、何かは多少、自分で調べるべき』 だと思います。 何も調べない、何も始めてない、 本屋に行って初心者用テキストを買って始めるすらしない、 Amazonで本も調べない… で、近道や王道だけは聞こうとする… そんな短気で人に頼ってスグにどうにかしようとする人が、 根性がいる上、長期戦になる語学なんてこつこつやっていけるわけないのに… 語学始める以前の知能の低さを感じます。 どのみち学習法丸投げ質問人間は、一生、大成することはないと思ってますけど… まあ、だいたい、3ヶ月くらいで根を上げるのがオチでしょうが… 愚痴ってすいませんでした。

  • a-saitoh
  • ベストアンサー率30% (524/1722)
回答No.7

大学で教員をしていますが,質問の仕方は全然教えられてませんね.当人も,解き方には全然興味がなくて答えを知りたいだけですし. 結局,小中高の先生が忙しすぎて,答えが合ってるあってないと言ったレベルの指導しかできないのが原因ではないかと推察します. まず自分で考えて,足りない部分だけ質問しようというマナーに叶った人は,考えている内に結局自分で答えにたどり着いてしまうので結局ここに質問を出すことが少ないのではないでしょうか.

  • Ama430
  • ベストアンサー率38% (586/1527)
回答No.6

>授業中や放課後などに、先生に質問をするという営みが見られないとは考えにくいのですが、 個人的には、意欲的に質問してくれる生徒は必ず存在します。 しかし、全般的傾向としては、コミュニケーション能力が低下しているために、疑問を先生どころか、友だちにも質問できないという生徒の割合は増加しているように感じます。 加えて、「インターネットなら何でも分かる」というようなネット信仰もあなどりがたいのではないでしょうか。 「○○高校を選ぶべきかどうか」「高校入試では何で合否が決まるか」のようなローカルな質問をこのサイトに投稿する人たちも目立ちます。 本来なら、中学校の先生か、塾に行って質問することと思うのですが。 数学で丸投げが多い理由は、やはり「概念」を理解することが初心者には困難だからでしょう。 大学数学などは、質問する相手(答えられる相手)が身近にいないということもよくあると思います。 宿題は自分でやるものです。 しかし、「質問するだけまだやる気がある」という意見も否定しきれないので、削除になっていない投稿で、回答の少ないものには、極力ヒントをさしあげるように心がけています。

  • jmh
  • ベストアンサー率23% (71/304)
回答No.5

A:この問題分かんないんだけど B:どれどれ、どこが? A:てゆーか、問題の意味すら分からん B:言葉の意味は理解してるの? A:うん。この「テンソル」っていうの以外はネ B:じゃぁ、まず「(この問題の)テンソルって何んだ」ってとこからね。 …という具合なんじゃダメなんでしょうか?

noname#221368
noname#221368
回答No.4

 私は#1さんの応えが、一般的な意見ではないかと思います(質問態度や動機の良し悪しは別として)。#2と#3さんは、どちらかというと、教師としての立場から発言していらっしゃると思いました。講義を受ける者の立場として、言いたい事があります。  私はもともと工学系の技術者で、現在はプログラマーをやっており、仕事とは別に数学・物理をやっています。独学は苦しいので、最近大学で講義を受けております。そこで思うのですが、数学や物理は、初学者にとって非常に不親切、言葉を変えれば、最初から初学者に過度なトレーニングを要求するという事です。それらの学問の敷居が高いといわれる由縁だとは思いますが。  この敷居は、小→中→高→大の移行に従って、どんどん高くなるように思えます。それはこれらの学問が、高等教育化すればする程、学問として整備され、組織化していくのだという視点を何一つ教えていないからです。例えば、テンソルの講義ですが、初回講義でいきなり、  無限次元自由ベクトル空間の重線形写像の核による商は、ベクトル空間になり、それをテンソル空間と呼ぶ.テンソル空間は、任意の重線形写像に対して普遍的である. などという講義を、いくら専門課程だからとはいえ、一昨年までは高校生だった学生に、よく臆面も無くできるものだと呆れてしまいました。私は初等線形代数の準同型定理を何年もかかって了解していたので、なんとかついていけました。準同型定理は線形計算プログラムを書くために理解する必要があったからです。学生達は(テンソルの入らない)線形代数すら、現在進行形なのです。じっさい見ていて可哀相になりました。  上記は余りにもひどいと思った例ですが、大から小まで似たような例は、いたるところにあります。もちろん講義する方々は、非常に情熱を持っていたり、心を砕いて講義されているのは、伝わって来るのですが、それは私がある意味大人(歳取ってる)からわかる事であって、大半の学生に、そのような思いはとどいていないと思います。  そのような状況なので、「問題の意味するわからない」「手をつけることすら不可能」という事態になっても不思議ではないと思います。これが全てではないでしょうが、「丸投げ」の大きな一因になっていると、私には思えます。

回答No.3

ご質問者と同様な思いをいつも感じております。 私は技術者ですが、専門学校や企業で講師などもしております。 今も昔も、いろいろな生徒や学生がいるのはno1様のご指摘の通りだと思います。講師として一番困るのは、分からないのに質問もせず放置したままの学生徒です。それに比べれば、こういうサイトに丸投げで頼ってでも、目先の課題を解決しようという学生徒はまだ救い甲斐のあるほうです。 丸投げ質問を一読するだけで、大概、腹立たしくなってしまうのですが、1、2日おいて、まだ未回答のままだと、彼らの質問にそのまま答えることは控えて、質問の拙さの指摘とか、ヒント程度を与えて、指導して上げればいいかなとは思っています。

回答No.2

物事に対する質疑のしかた、ようするに人に対して何かを聞くと言う行動ですよね。 1人の子供を持つ親としての考えとして聞いてもらえればと思うのですが、それはある意味過程での躾になってくるのではないのかなと思います。 子供が小さいときには好奇心旺盛でよく、「なんで?」と言う質問に悩まされた記憶があります。 その質問には子供が納得行く形で教えてきたつもりです。 そしてその都度どう思ったかを逆に聞いていました。 勉強にしてもやってみてわからないところが有ればそこを教えてきましたし「ぜんぜんわからない」というときもなにがわからないかを考えろと言ってきました。 そうこうしているうちに子供も自分なりの勉強方を見つけてきて自分で解いてわからないところを先生に質問するようになり、数学の先生からも姿勢を気に入られ学校でも本気で勉強する気がある子だけを集めての補修(生徒の希望)をしてもらえるようになったみたいです。 今の時代、メールだけで話をしてしまったりすることが多くなっていると言うのも背景にありそうな気がします。 なにかあればメールで連絡が当たり前になってしまい、直接話をして相談すると言う形式ではなく、短文のやり取りで連絡をするというのも影響しているんですかね。 特に家庭での話しと言うのが少なくなってきているのが、質問の仕方がわからない、あるいは人とのコミニケーションの取り方が下手と言うことになるのではと思います。 質問の内容とは少しばかり離れてしまったかもしれませんが感じたまま欠かせていただきました。

  • koko_u_
  • ベストアンサー率18% (459/2509)
回答No.1

まったく教育関係者ではないで、勝手な想像ですが。 >科目教育の現場において、人にものを尋ねるときの作法に関して、どれ程の指導が行われているのか。 今も昔も「人にものを尋ねるときの作法」など指導されてはいないと思います。 私が学生の頃(かなり昔)はインターネットなど影も形もありませんでしたから、宿題ができていなければ、先生に聞かなくてもクラスや近所の誰かに面と向って聞くしか方法はなく、イヤな顔されながら教えてもらうことで自然とそこいら辺が身についたのではないでしょうか。 そうは言っても昔も「人の宿題を丸写し」などというワザは存在したので、時代が下ってその形態が変化しただけだろうと捉えています。 昔も宿題を写させてくれるクラスメイトもいれば、そんなことでは自分の為にならんよと口五月蝿い人もいましたよね。 数学など自分で考えなければ 100回答えを聞いたところで役には立たないので、因果応報、受験などの本番で困るだけじゃわい。 駄文散文失礼。

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