太郎という名前は、「太」という字の意味(大のきわみ)ということから嫡男に付けられていたと思います。庶腹であれば、一番先に生まれたとしても付けられなかった場合があると聞いたことがあります。
次郎以下の純番号的な性格よりも、重い意味があるような感じですね。
タダの「一郎」という純番号的な性格の名前の人で、一番古い有名人は、私の知っている限りでは「鳩山一郎」です。
鳩山和夫と教育家として有名な春子の長男です。
鳩山一郎より少し新しいですが河野一郎という人もいます。
ナントカ一郎という人は昔から大勢いますが、タダの一郎という人は意外に少なく、私にはどういうわけか都会的でハイカラなイメージが浮かびます。
鳩山夫妻といえば大変な教養家です。古来からの嫡男=太郎という常識を知らないはずはありません。新しい時代に入ったということで、旧風にとらわれず思い切ってつけたのかなあ、と思います。
(もっと昔からタダの一郎という名前がチョコチョコあったということでしたらごめんなさい)
>「昭」や「和」を名前につけるのが流行ったように何か広まるきっかけ
特別にきっかけというものはなく、改元がきっかけだと思います。
昭和二年三年生まれの人に多いように思います。「昭二」「昭三」など、親が簡単に付けちゃったような人が結構居ました。こんな人の生まれ年は一発にわかります。
戦時中に生まれた人の名前には征伐の「征」、八紘一宇の「紘」、紀元二千六百年の「紀」や「元」が多いのと同じだと思います。
以上、思いつくままズラズラと書いてしまいました。アテになる回答ではありません。実はお知らせしたいことがありまして、某青年が退会しちゃいました。勉強に専念ということが本当の理由ですが、誰かイジワルをいった人がいるような形跡があります。ケシカラン!!
お礼
わざわざお調べ頂いたのでしょうか。恐縮です。その辺りで既にただの「一郎」があったんですね。因みにこの場合は「長男」という意味での「一郎」なのでしょうか。そうだとすると何故「太郎」ではないのか、どういう風に使い分けたのかが非常に気になるところです。貴重なお話どうもありがとうございました。