「無謀」と「臆病」の中庸は「勇気」、「虚栄」と「卑屈」の中庸は「自尊心
(名誉)」という事で…
:アリストテレスは『ニコマコス』の中で、中庸について述べますが、その際
「徳」を何とするかも述べられます。「徳」を知恵としたプラトンに対し、彼は
徳を「状態」と説くのですが、それによって「中庸」という言葉の意味が生まれ
てきます。ですから、「勇気」も「名誉」もそれが中庸にある「状態」を徳と
するようです。
「正義」「友愛」の両極端はあるのでしょうか…
:先にも書きましたが、アリストテレスは人間に限定して哲学しています
ので、最高善を「幸福」とまず説きます。その基で徳は「中」の状態である
事を説きますが、「正義」に対しては「不正義」という事で、これは説明
されますし、「友愛(親愛)」については、「機嫌取り」と「不愉快」な人
の中庸として紹介されます。「中」の状態に必ずしも呼び名が備わる訳では
ないと述べられますが、「友愛(親愛)」に関しては、そう呼べると述べら
れます。
お礼
重ね重ね、ありがとうございます。 なるほど。よくわかりました。プラトンとアリストテレスの徳の違いは、徳の解釈の違いなのですね。教科書によっては、「中庸の徳」などと書いてあって、「よくわからないなぁ」と思っていたのですが、なるほど、「状態の徳」なのですね。そう考えると、いろいろなことが納得できると思います。 本当にありがとうございました。