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「過去分詞型の形容詞(過去分詞の形容詞的用法)」と「受動態」の見分け方

シャンソン “Sous le ciel de Paris ” http://www.paroles.net/chansons/22120.htm の歌詞の第2連、下から2行目、 “L'hymne d'un peuple e´pris ” にある“e´pris ”と、第5連、上から3行目、 “Depuis vingt sie`cles il est e´pris ” にあるそれぞれの“e´pris ”は、「過去分詞型の形容詞(過去分詞の形容詞的用法)」なのでしょうか、それとも「受動態」なのでしょうか。また、それらの見分け方も教えて下さい。 まず、第2連の方ですが、上から3行目から最後の行までを英訳(ちょっと無理がありますが)してみました。 Two musicians, some onlookers, and millions of people go to sing the anthem of people ( who are ) attracted by their archaic city until evening under the sky of Paris . ただ、英語の場合、他動詞の過去分詞(ここではattracted とか、別の語ならcharmed, fascinated, enchanted )はそのままでは形容詞的に名詞を修飾することができません。ですから受動態にして形容詞的用法するには、私がやったように関係代名詞+be動詞をくっつけてやらないと(( )内です)、単にpeople attracted by their archaic cityでは、主語がpeopleで、peopleが何かを魅了した、という他動詞としての機能しか果たさず、この場合目的語がないので文法上誤っていることになります。 次に第5連は1~4行目を英訳してみました。 And the sky of Paris has his secret for himself ( that ) he is attracted by our Saint Louis island since twenty centuries ago . と、ここは原文に“e^tre ”があるので特に何もしなくとも受動態のセンテンスが成立し、文法上問題はありません。 従って、前者は“e^tre ”がないので「過去分詞型の形容詞」、後者は“e^tre ”があるので「受動態」と思われるのですが……。

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  • Parismadam
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回答No.5

No.4です。補足質問にお答えします。 第5連の解釈ですが、ご質問文にある英訳は間違っています。第5連の6行目までを解説します。 (1)この6行の詞は各2行づつ1文になっており、合計3つの文から構成されています。 1文目:Et le ciel de Paris/A son secret pour lui 「そしてパリの空は、彼だけの秘密がある」 2文目:Depuis vingt siecles il est epris/De notre Ile Saint Louis 「20世紀も前から、彼(パリの空)は、我がサン・ルイ島に恋している」 3文目:Quand elle lui sourit/Il met son habit bleu 「彼女(サン・ルイ島)が彼(パリの空)に微笑みかけると、彼は青一色に染まる」 (2)従って、that節でsecretを修飾などしていないのです。1文目と2文目は、全く違う文になるので、that節は必要ありません。2文目は1文目にあるsecretの説明になっています。「秘密」=「パリの空がサン・ルイ島に恋していること」を明かしているのです。 (3)ちなみに、この6行をわかり易い英語にすると、 And the sky of Paris has his own secret. Since twenty centuries ago, he has been attracted by our Ile Saint-Louis. When she smiles at him, he dresses himself in bleu. と3文の英語になります。 これで疑問が解けたのでは、と思います。

se_tutoie
質問者

お礼

何度もご回答賜り大変恐縮でございます。 何度も申し訳ございませんが、また補足欄に記入させて頂きましたので、お手隙の折にほんの気分転換程度のお気持ちで結構でございますので、ご回答頂けますと幸いでございます。

se_tutoie
質問者

補足

英訳して頂いた2行目の、 >Since twenty centuries ago, he has been attracted by our Ile Saint-Louis. これ、he has been attracted と現在完了形+受動態で英訳されていらっしゃいますが、前回の質問で実は私もやってしまった誤りなのですが、現在完了形という言い方をフランス語文法ではしませんから、「ここは複合過去形」と書いたら、動詞e´prendreを複合過去形にするにはe^treでなくavoirを使うという指摘を他の方から受けたのを、覚えていらっしゃいますでしょうか? 確かにDepuis (Since )がありますので、私もこれは複合過去形だとつい思ってしまったのですが、文法書を調べましたら、確かにその方の言う様にe´prendreを複合過去形にするにはe^treでなくavoirでないと間違いです。 ですからここは、he is attracted と、直説法現在形の受動態に訳さないとまずいと思われます。 ただ、ご回答の様に英訳して頂いたお陰で、疑問は氷解しました。ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • Parismadam
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回答No.6

No.5です。補足質問にお答えします。 ご質問: <確かにDepuis (Since )がありますので、私もこれは複合過去形だとつい思ってしまったのですが、文法書を調べましたら、確かにその方の言う様にe´prendreを複合過去形にするにはe^treでなくavoirでないと間違いです。 ですからここは、he is attracted と、直説法現在形の受動態に訳さないとまずいと思われます。> ご質問への回答: Depuis vingt siecles il est epris/De notre Ile Saint Louis のil est eprisの部分は受身になっています。受身はetre動詞+過去分詞で作ります。 ここの時制は形は現在形ですが、意味は、英語でいう現在完了形の継続の用法で使われています。「二十の世紀以来(ずっと)魅せられている」という意味で、この「ずっと」に現在完了継続の意味が込められています。 確かに仏語には現在完了時制はありませんが、ここでは現在形にその意味を込めて使われています。 現在完了形とは「過去のある時点から今まで」ということで、「現在を含む時制」です。ですから、ここはestと現在時制が使われていますが、意味上は現在完了の継続の意味になっているのです。複合過去時制は用いられていませんから、時制は過去形ではなく現在時制です。 英訳も同じく受身はbe動詞+過去分詞を使わなくてはいけません。 前回回答した下記の英訳では、現在完了の「受身」になっているのです。 Since twenty centuries ago, he has been attracted by our Ile Saint-Louis. has been attractedはis attractedを現在完了時制にしたものです。 ここは、sinceという副詞を使っている以上現在完了が正しい時制になります。ちなみに、現在完了とは時制は現在形なので「is」の概念もこの時制の中に含まれているのです。過去時制ではないのです。 現在完了の継続用法とは、「過去のある時点」から「今までずっと」そうであり、「今も」そうであることを述べている現在時制なのです。その意味でここは現在完了を使っているのです。 <直説法現在形の受動態に訳さないとまずいと思われます>ということですが、この英訳は直説法現在形の受動態になっているので、問題ないのです。 ご参考になれば。

se_tutoie
質問者

お礼

何度もご回答賜り大変恐縮でございます。また、重箱の隅を突付く様なことをお伺い致しまして申し訳ありませんでした。にもかかわらず大変懇切丁寧で分かり易いご回答を賜りまして、誠にありがとうございました。 今後ともご指導ご鞭撻の程何卒よろしくお願い申し上げます。

  • Parismadam
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回答No.4

No.3です。早速のお返事有難うございます。補足質問にお答えします。 ご質問1: <換言すれば、(1)の“e´pris ”の前に“e^tre ”を挿入することも可能ですし、逆に(2)の“e^tre ”を省略することだって可能なのではないでしょうか?> ご質問1への答え: (1)のeprisにetreを挿入することは可能です。ただpeupleは名詞、etreは動詞ですから、名詞に原形動詞を接続する場合、deを補ってd'etreとする必要があります。つまり、peuple d'etre eprisとしても意味的にも文法的にも間違いではないわけです。ただ、d'etreは便宜上省略されていったということです。 (2)のetreは省略できません。この個所は「主文」ですから、主語+動詞が必要です。ここはetre+eprisで受身の意味になりますが、etre動詞がなくては、文の述部として完成しないからです。英語で言えば、 I am given a book by him →I given a gook by him. とするくらいの違和感が生じてしまいます。 ご質問2; <そうだとすれば、「過去分詞型の形容詞(過去分詞の形容詞的用法)」だの「受動態」だのとかいう区分は単に形式論に過ぎず、実質的にはどうでもいいことのような気がしてならないのですが、いかがでしょうか?> 「形容詞」と「受動態」は比較対象のジャンルが違います。前者は品詞で、後者は文の形態です。これらの用語は、文法を理解・説明する時の便宜上の言い回しですから、性格に覚えなくてはならないというものではありません。ただ、理解を論理的に助けるの役に立つ、便利な道具といったものです。 日本人が自分の日本語を品詞分解したり、解釈しながら話したり読んだりしているわけではないように、外国語もそれが必須というわけではありません。ただ、初めて外国語を習得する人にとっては、それが理解の助けになることがあるのです。フランス語を話す毎日を送っていると、どれが過去分詞で、これは形容詞的用法でなんて勿論考えたりしません(笑)。

se_tutoie
質問者

お礼

何度もご回答賜り大変恐縮でございます。 また、そのご回答内容も常に私の如き初学者に対しても分かり易いものにして頂いていて下さる、その細やかなお心遣いに対しても、深く感謝致します。 何度も申し訳ございませんが、また補足欄に記入させて頂きましたので、お手隙の折にほんの気分転換程度のお気持ちで結構でございますので、ご回答頂けますと幸いでございます。

se_tutoie
質問者

補足

>(1)のeprisにetreを挿入することは可能…deを補ってd'etreとする必要があり…、peuple d'etre eprisとしても意味的にも文法的にも間違いではない なるほど、昨日ご説明頂いた英語の「過去分詞の限定的用法」は、フランス語ではdeを入れればいいのですね。これは便利ですね。私は英語的に関係代名詞+be動詞を想定していました。 >2)のetreは省略できません。この個所は「主文」ですから、主語+動詞が必要…ここはetre+eprisで受身の意味になりますが、etre動詞がなくては、文の述部として完成しない では今日は英語を使わせて頂きます。昨日、英語にも「過去分詞の限定的用法」があり、 people ( who are ) attracted → people attracted でも文法上正しいというご説明をして頂きました。ということは、これと全くパラレルな関係で、英語でも、 he is attracted → he attracted となるフランス語、 il e´pris というのもアリなのではないか、と思ったわけです。それでe^tre が省略できるのではないか、ということを書きたかったのですが、私の表現が舌足らずで、伝えたいことがうまく伝わらず、申し訳ありませんでした。 要は、私の拙い第5連1~4行目の英訳で言えば、that節以下は全てsecret を説明している内容ですから、このセンテンス自体はthat節の前まで、もっと言ってしまえば the sky of Paris has his secret で既にSVOの構文のセンテンスとして成立しており、that節以下は全て secret にかかってくるわけですから、ここが特にセンテンスである必要性はないのでは、と思われますので、e^tre は省略できるのでは、と考えたわけですが……。いかがでしょうか?

  • Parismadam
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回答No.3

こんにちは。いつもご丁寧なお返事を有難うございます。 補足質問がありましたのに、また出遅れてしまってすみません。今回のご質問の最後に補足質問にも回答しています。 おっしゃる通り、L'hymne d'un people eprisのeprisは過去分詞の形容詞的用法、Depuis vinght siecles il est eprisのeprisは受身の過去分詞で間違いありません。 その見分け方は、 (1)L'hymne d'un people eprisの方は、先のご質問で回答した通り、すぐ前の名詞を形容詞的に修飾しているからです。ただ他動詞の過去分詞の形容詞的用法は、受身の意味を含んでいます。ここも「~に魅せられた人々」と受身にかかっていきます。 (2)Depuis vingt siecles il est eprisの場合は、おっしゃる通り、ilという主語がありますから、受身となります。このilは2行上のle ciel de Parisを指しています。「二十の世紀以来(2000年前から)、パリの空は我らがサン・ルイ島に魅せられてきた」となります。受身の主体はde以下のnotre Ile de Saint Louisになります。 もう締め切り済ですが、先の補足質問にも回答させていただきます。 5/5のeprisに関する補足質問: <英語で言えば、ちょっと無理がありますが、 the praising songs of people ( who are ) attracted by their archaic city とでもなりましょうか。 ただ、英語の場合、他動詞の過去分詞(ここではattracted とか、別の語ならcharmed, fascinated, enchanted )はそのままでは形容詞的に名詞を修飾することができません。ですから私がやったように受動態にして形容詞的用法するには、関係代名詞+be動詞をくっつけてやらないと(( )内です)、単にpeople attracted by their archaic cityでは、主語がpeopleで、peopleが何かを魅了した、という他動詞としての機能しか果たさないので、そこら辺りが英語とフランス語では文法が異なるように思うのですが、いかがでしょうか?> 補足質問に対する回答: 英語でも過去分詞単独で形容詞的用法として前置する名詞を修飾することはあります。過去分詞の限定用法と呼ばれるものです。例: people (who are) attracted by the old city 「古い町に魅せられた人々」 ここでは主格の関係代名詞が省略したものと考えられますが、いずれも受身の意味として前の名詞peopleを形容詞的に修飾しています。仏語にすると →un people (qui est) attire par la vieille ville people (who are) interested in the old city 「古い町に興味をもった人々」 ここも他動詞interest「興味を抱かせる」を受身にしないと意味がなしません。上と同じく、形容詞的用法の過去分詞で受身の意味として名詞を修飾しています。仏語にすると →les people (qui est) interesse par la vieille ville 以上のように、英語もフランス語も同じように、主格の関係代名詞の省略により、過去分詞が形容詞的に名詞を修飾する用法があるということです。

se_tutoie
質問者

お礼

こちらこそいつも懇切丁寧なご回答を賜り誠に有難うございます。 >英語でも過去分詞単独で形容詞的用法として前置する名詞を修飾することはあります。過去分詞の限定用法と呼ばれるものです。 >英語もフランス語も同じように、主格の関係代名詞の省略により、過去分詞が形容詞的に名詞を修飾する用法がある 英語にもこうした用法がありましたか!英和辞典と首っぴきで例文を調べていたのですが、見つかりませんでしたので、てっきりないのかと思っていました。 フランス語学習をしていたつもりが、思わぬところで英語学習にもなりました。ご回答ありがとうございました。

se_tutoie
質問者

補足

ところで、 >(1)L'hymne d'un people eprisの方は、…すぐ前の名詞を形容詞的に修飾している…ただ他動詞の過去分詞の形容詞的用法は、受身の意味を含んでいます。ここも「~に魅せられた人々」と受身にかかっていきます。 >(2)Depuis vingt siecles il est eprisの場合は、…ilという主語がありますから、受身となります。 ということは、結局、(1)も(2)も名詞を修飾している受身であり、ただ後者は“e^tre ”があるために構文上SVCになっているというだけで、意味としては受身で同じということになるのではないでしょうか? 換言すれば、(1)の“e´pris ”の前に“e^tre ”を挿入することも可能ですし、逆に(2)の“e^tre ”を省略することだって可能なのではないでしょうか? そうだとすれば、「過去分詞型の形容詞(過去分詞の形容詞的用法)」だの「受動態」だのとかいう区分は単に形式論に過ぎず、実質的にはどうでもいいことのような気がしてならないのですが、いかがでしょうか?

回答No.2

訂正です 正:(この歌の1951年は、1945年から20年の戦後復興の始まりの時期) 誤:(この歌の1951年で~) 正:1889年のパナマ疑獄事件 誤:1989年の~ 失礼しました

回答No.1

se_tutoie さん こんにちは 言葉は、歴史との(河の流れが養分を運び)腐葉土から、生まれいずるもの 今回も又、心耳を澄まして、小半時の間、夢想にお付き合い頂けますでしょうか ご質問の用語epris(e)は、12世後半から既に形容詞として利用され 用例として、epris de +(人・物・抽象概念)でそれらに対する焦がれる思い 情熱に燃えているとの意味です 元々s'eprendre は、火がつくとのことです ●Depuis vingt siecles il est epris de notre Ile Saint Louis ここでの主語(il)が、日本流の擬人法で巴里の空であることに、依存は無いと思います では、何故、その空が、この島Ile Saint Louisに恋焦がれると作詞家は書いたのでしょうか 一般的に、ご質問にもあるL'hymne d'un peuple epris de sa vieille citeの中の “vieille cite”とかそれに続くPres de “Notre Dame”そして“Depuis vingt siecles”と 畳み込まれれば、それは普通に、巴里発祥のシテ島(ile de la Cite)を連想するのはないでしょうか (余談:(1)この流れで日本にはなかった血を滾らせる意味で、citeを千鈞に解釈したい いま、時のお方も、演説でnotre vieille cite gallo-romaine などと利用しておいでです 余談:(2)上記の三つ目を26世紀とするとフランス最古の都市マルセイユを思います そして、Elle est nee d'aujourd'hui dans le coeur d'un garconのこの男性をあの ラ・マルセイエーズを作曲したルージェ・ド・リールと看做すと、彼は工兵将校でしたから 当時着用と思われる青い服(Il met son habit bleu これは、無論晴天のことですが)と不思議とダブります) その理由は、三つあると推測致します (1)この島は、シテ島と違い、17世紀まで空き地であり、セーヌの氾濫を幾度となく受けていること ⇒雨を降らせる巴里の空は、この島を水浸しにして楽しみ可愛がっていた(この歌詞の皮肉?) (この歌の1951年であれば、巴里市民にとって1910年のセース氾濫大惨事記憶に生々しく 以来多い時は年に二回も氾濫の危機に見舞われ、日本人が地震を恐れる如く パリ市民はこの河の氾濫を恐れ、今世紀中に発生する確率を五割以上として対策中) (2)この島は、オスマン氏が取り組んだパリ改造に先駆けて、古典的な都市再開発第一歩とされ 護岸工事が成され氾濫に対処して、高級住宅街へと変身 ⇒このことから巴里の空(其処に住む人々)は、戦後復興が可能であることの象徴 (この歌の1951年で1945年から20年の戦後復興の始まりの時期) (3)この島の俗称が“ile de la Fraternite"と呼ばれた時期もあること ⇒戦後復興を、友愛(兄弟愛)でもって成し遂げるとの暗示。。。 その他、第三連にある巴里の俗称であるPanameからは、あのフランス政治金融史上有名な 1989年のパナマ疑獄事件(スエズ運河を開発のレセップスを巻き込んだ)を皆勘ぐるのでしょう でも、この詞は、すべて順調Tout peut s'arrangerと清濁併せ呑んで明るく歌っています 文法も大切です 同時に寓意(ここでは歌意)も大切ではないでしょうか 長々と、お読み頂き有難うございました

se_tutoie
質問者

お礼

いつも深い教養と博識に裏打ちされたご回答を心待ちにしております。今回もまた歴史的背景や歌詞の裏に込められたメッセージをご解説頂き、ありがとうございました。 過去、セーヌ川がそれ程幾たびも氾濫を起こす河川だったとは存じませんでした。ここを読ませて頂いた時、私はふと、「宝暦治水事件」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9A%A6%E6%B2%BB%E6%B0%B4#.E4.BA.8B.E4.BB.B6.E6.A6.82.E8.A6.81 のことを思い出しました。 杉本苑子氏の直木賞受賞作『孤愁の岸』がこのテーマを採り上げた作品だということは、先日の日経新聞の土曜夕刊の「文学周遊」で知りましたが、それより前に私は山田風太郎氏の小説でこの事件のことを知っていました。 かつてのセーヌ川は、さながらフランス版木曽三川といった趣きなのだということ、他にも「巴里の空=戦後復興が可能であることの象徴」、「この島の俗称が“ile de la Fraternite"と呼ばれた時期もあること=戦後復興を、友愛(兄弟愛)でもって成し遂げるとの暗示」、「巴里の俗称であるPanameから、…パナマ疑獄事件を皆勘ぐる」等々、本(解説書)だけからでは知り得ないけれども、この詞を理解する上で非常に有益な知見を開陳して頂き、歌詞に対する理解がぐっと深まった気が致します。 >文法も大切です 同時に寓意(ここでは歌意)も大切ではないでしょうか おっしゃる通りだと思います。それはいわば車の両輪のようなものであり、私自身、最初はフランス語学習のためと思って始めたシャンソンの歌詞を調べていくと、思わぬところでフランスの歴史を知ったという効果があり、知的好奇心をかきたてられました。最初のうちは分からない単語や知らない文法・用法ばかりで調べるのがとても億劫に感じましたが、最近ではお陰様でとても面白くなってきました。 今後とも引き続きご指導、ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。

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