「何の信号に反応するか」(外部からの刺激という意味)、という部分は実験的な観察により確認が可能なのですが、『なぜ反応するのか』という部分は、遺伝的なものであるのか、学習などで獲得されるものであるか、様々な論議があります。
結論的には、ある遺伝子レベルのベースがあり、それに学習などで獲得した領域が影響すると「私は」考えます。
遺伝的にそのような機能が備わっていない場合には、反応できません。しかし学習獲得することにより、その遺伝的な不備を補うことが可能な場合もあります。
これらとは逆に、遺伝的に備わっていたとしても、その関連する領域を活用しなければ反応が衰えます。
つまり、遺伝的要素とそれ以外の要素(獲得形質)が、『立体的な構造』でからみ合い、ある結果を生み出します。
地球上の”人”それぞれの立っている場所が異なるように、人それぞれ、異なった構造(感受性)を持っています。
「五体満足」という言葉のように、ヒトとしての基本形態があるとして、その状態を論議対象した場合、遺伝的な部分の論議は『無』に帰します。
あきらかに、この判断は間違いですので、構造(ハード)と情報(ソフト)の両方を対象としなければならないと思います。
お礼
有り難うございます。