インマヌエルの意味は『神がわれわれと共にいます』という意味です。
つまりこの預言は、イエスが神であるということを預言しているのです。そして神が、処女から生まれ、受肉して人々と共に住むということを預言しているのです。
12使徒は、イエスを神であると固く信じていました。それはヨハネの福音書の冒頭の個所を読めばよくわかります。
そのように信じている使徒の一人、マタイが、イザヤ書のこの個所を読めば、間違いなくこれがイエスのことを示していると考えるでしょう。
つまり、この時代の初期のクリスチャンから見れば、このイザヤ書の個所は、紛れもなく正確な預言の成就なのです。
それから、処女受胎は、いろいろな状況証拠があることも補足しておきます。
まず最初に、マリアが結婚前から孕んでいたのが有名な事実だったということです。このことは、聖書以外の古代文献からもわかっています。
つまり、処女受胎かどうかは別にして、イエスが普通でない生まれ方をしたのは間違いがないのです。
では、なぜヨセフはこのことを知っていてマリアと結婚したのでしょう。様々な推測はできますが、当時の社会慣習を考えると、マリアが姦婦だったということも、レイプされたということも考えられません。姦婦だったらその女は死罪です。レイプだったら、キリスト教を激しく迫害したパリサイ派の正典、タルムードはそれを間違いなく書いたはずです。そのほうが信憑性が高いのだから、処女降誕を否定できます。
唯一納得できるのは、マリアがやましいことをせずに身ごもり、それをヨセフが信じたということです。
また、マリアはイエスの死後キリスト教に帰依しています。マリアは母でありながらイエスが神であることを認めたのです。
そして、キリスト教に帰依することにより、さらに二人の愛する子まで迫害で失っています。もし、処女受胎が嘘だったら、こんな不合理な行動を母親として取ることができるでしょうか?
イザヤ書は、処女受胎と、イエスが神であったことを、完璧なまでに預言しているのです。