馬車はなぜ明治維新まで日本になかったか。馬を乗用にのみ使い輓用にしなかったのかは歴史学会でも問題にされている、ということを国際交通安全学会編『交通が結ぶ文明と文化』で知りました。
日本の地形は山地や川が多く馬向きでないこと、古代の馬は小型で力がないことなどが、大きな理由だと思っていました。
しかし、荒川紘著技術文明を考える『車の誕生』を読んでなるほどと納得しました。
「地形が馬向きでないとか古代の馬が小型とかの理由は不十分、第一の理由は国内の事情より朝鮮にある。日本の国家形成期に馬車の文化に接しえなかったからだ。つまり朝鮮南部に馬車が伝わらなかった。その後の日本の政治・経済条件が馬車を必要としなかった」というのが著者の主張です。
私の考えで補足します。
「地形が馬向きでない」ことは事実ですが、必要があればそれを克服できます。
明治初期、乗合馬車は増加の一途をたどり、明治10年代、東京から各地へ長距離路線ができ、最長は仙台まで380キロ。
「古代の馬は小型」という理由よりは、日本には牛はいいのがいたので力の強い牛に運ばせたということですね。しかし、平地なら車をひくが坂地はだめでした。
日本人は馬が嫌いだというのではなく、牛より馬に愛着をもっていました。古墳から出土する埴輪は圧倒的に馬が多いです。
中世末期から近世初期にアラビア馬がかなり来て品種改良し、東北地方だけはわりあい大きい馬がいたが、馬車には使用されませんでした。
「朝鮮南部に馬車が伝わらなかった」
前14世紀頃、中国(殷)には馬車があったが、日本の古代技術の源流である朝鮮では馬車は定着せず、騎馬と牛の文化が根づき、それらが日本に移入されました。
中国の隣国朝鮮に馬車が定着しなかった方が謎です。
なお、車輪のスポーク(輻ヤという)は技術史上重要ですが、平安時代の牛車にすでに採用されています。
「日本の政治・経済条件が馬車を必要としなかった」という理由は大きいですね。
賢明な日本人は、江戸時代まではうまく水運を利用し、近代国家を目指した明治政府は、即座に乗合馬車次いで馬車鉄道を運行していますから。
お礼
江戸時代に禁止令があったのですね。初めて知りました。 これがもっとも直接的な要因みたいですね。