19世紀前半くらいです。
私有財産性の確立(ナポレオン法典)
特許制度の確立(19世紀初頭イギリス)
これらによって、知識が個人的に金になる事になり、知識が科学になった。<この辺、説明しづらいですが。
19世紀半ばまで、科学者はいませんでした、Scientistはおらず、自然哲学者(Natural philosopher)と自称していました。
今でも、日本では理学博士とか文学博士とか違いがありますが、海外では理学も文学も Ph.D 哲学博士です。これは、大学の博士制度ができた段階が18世紀とかで、その段階では、理学も哲学も一緒だったことを示します。
たとえば、和算の分野で欧州と比較すると、微積分の発見は同時期の17世紀後半です。
ネルチンスク条約(1689年) キャフタ条約(1727年)は基本的に清国の軍事的優位の元で結ばれています。
アヘン戦争(1840年)によって、欧州の軍事的優位が証明されアイグン条約(1858年)が結ばれています。
つまり、軍事においても、18世紀前半は清国優位、19世紀半ばで欧州優位。逆転はその間に行われていたと推測します。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 流れが分かるようになりました。 いろいろキーワード(私有財産性の確立(ナポレオン法典)、 ネルチンスク条約(1689年)など)を元に勉強したいと思います。