一言でいうと、格闘技はルールがあり安全に試合などの実戦形式の練習が可能で、武器術はルールが無く安全な練習が難しいからです。
型が無いのにボクシングと誰でも判るのはなぜでしょう? これこそ型が無い筈のボクシングに型がある証拠ではないでしょうか?
格闘技の場合、ルールによる縛りが影響を与えてきます。 このルールによる縛りが格闘技の型を形成し、ボクシングがボクシング、レスリングがレスリングだと分かる要素にもなってきます。
そして、実際にそのルールの中で最も効率よく戦う為の技術がその格闘技の型に当たる部分となります。
また西洋でも昔から伝わる剣術等の武器術なんかは型で伝わっていますよ。
中国武術では国の禁武政策が大きく影響しており、これにより二つの伝え方に分かれました。
一つは踊りとして武術的部分を隠して伝える門派。もう一つは完全に秘匿して伝える門派。
前者は武術的要素を極力無くしながらも武術として伝えてきた為に套路と実際の使い方が大きく異なってしまい套路だけ見ても使えない門派が多くなり、また実際の使い方を教える事が難しくなり、より使えない武術として伝わってきています。 そして、その使う為の部分が失伝して伝わってきています。
後者は套路と実戦が近いですが、武術として秘密裏に伝える為にみだりに弟子を捜すわけにもいかず、本質を理解して実際に全部を習得出来る弟子の少なさから伝承の失伝が起きてきます。
日本の武術の場合、戦国時代の武芸者が自分の仕官の為に作られたものがそのまま残ってきているためと思われます。
そして、徳川が作った江戸以降は柳生心眼流が徳川のお抱えとなり、他との違いを示すのに「活人剣」と名乗り心法(精神論)を取り入れ、大きな矛盾を隠したまま今まで伝わってきたので、武道なんていう技術と心法を同じものだと考える風潮が出来たのです。
それにより、武道は正しい心を持つ者が強いと言いながらそうでない者が勝ってしまうという不完全な理論をかかげたまま伝えられています。
現在、武道と言われるものはルールが出来、そのルールによる縛りの中で勝つ事が大事になってきています。
これにより、昔から伝わっている術理は理想論となり、型は昇段試験だけの為のものになりさがり、本来の型の意味を知る者も少なくなっているのが現状です。
これで判るようにルールと試合が型の重要性、有る無しを左右するという事です。
お礼
回答ありがとうございます 納得しました