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女性(じょせい)という単語と女(おんな)という単語
いつごろからでしょうか、メディアや実生活の中で「女性(じょせい)」と言う単語がとても耳につくようになってしまいました。 例えばテレビなどで単に食べ物を紹介するだけで「これは女性には嬉しいですよね~」とか「女性には必見です」とか。 それが別に女性にしか食べられないようなものでも、格別女性向けに作られたものでないにも関わらず、このような発言をとても頻繁に耳にする気がします。 ♂については比較的「男(おとこ)」という単語も時折耳にしますが、♀については「女性(じょせい)」という単語を使うことがほとんどで、「女(おんな)」という単語を使用するのは、犯罪報道の加害者の場合以外では極めて稀な気がします。 余談ですが、アメリカ人については「アメリカ人ってのは・・・」と発言しながらも、アジア人については殊更「アジアの方々」と丁寧な言い回しをするのと同様の、一種の(逆)差別を感じてしまうのですが、これはうがった考え方なのかもしれません。 国語カテとしての質問です。 「じょせい」という言い方が、「おんな」という言い方に比較して丁寧な敬称的言い方になったのは近年の現象なのでしょうか? それとも昔から「おんな」という言い方には「じょせい」に比較して蔑視的ニュアンスが含まれていたのでしょうか? 「にょしょう」「おなご」などとの関係も含めてご説明いただければ幸いです。
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- luune21
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男、男性といったことばに限らず、日本語は一般的に文字数が多くなると敬意や丁寧さが増します。 当然ですが、逆に言えば、短くなると敬意や丁寧さが低くなるということです。 これは、話者間での心の距離感と関係があります。心の距離が近ければ、すべての物事について、"そのもズバリ"をさすことに抵抗がないのですが、距離がひらいてくると、だんだん、婉曲的にしたいという心の働きが生じてくるようです。このことは程度の差はありますが、西洋語にも多少その傾向はあります。 よく用いられる例に「おみおつけ」があります。 これをあえて漢字で書くと「御御御付」となります。最初は「付」の丁寧(美化)語で「御付け」と読んでいたものが、やがて、それでは丁寧さが足りなくなり「御お付け」となり、また足りなくなってとうとう「御みお付け」となったわけです。つまり丁寧に言っていたつもつの「御付け」も時間がたてば、そのものズバリをあらわしているような気になり、ついまた前に「御」をつけて長くしてしまったのです。 ということは、男性・女性もまた、やがて他のことばでないと敬意や丁寧さが感じられなくなってしまうに違いないのです。 この丁寧さ・敬意の高さをあらわすのに、どんどんオブラートがかかっていく様子は、ちょうど贈答の包装やリボンなどにたとえられます。身近な女性には野の花を手折ってホイと渡しただけでも心が通じたりするでしょう。しかし、心の距離が遠くなればなるほど、敬意や丁寧さが高くなればなるほど、その花をラップでくるんでそこにリボンを巻いて、さらに箱にいれ、包装してまたリボンをかけたりするわけです。 また、最近では「外人」というと敬意・丁寧さが不足しているような気になり、外人→外国人→外国の方と推移しているように思えます(こんな例はいくらでもあるという意味です)。 女をニョと読んだり、男をナンとよんだりするのは、呉音といわれる読み方です。ちなみにジョ・ダンは漢音といわれます。一般に呉音が漢音よりやわらかいひびきがあるため、特に女性に関するものにはニョと発音されるものが少し多いようです。 「おなご」というのは「をんなご」から転じたもので女子という意味です。「をのこ」が男子をさすことと対になっています。また、女子・男子も古くには「にょし」「なんし」と書かれた書物もあります。特に差は認められません。
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