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人間はこの世に生まれる意味があるの?
今、ホームヘルパー資格取得のためスクールに通っています。 老人施設に実習に行ったときに93歳のおばあちゃんに「今までの人生はよかったですか?」と尋ねたところ「良いとき、悪いときがあったが、悪いほうが多かった」と言っていました。 良いこともあるけど、苦労のほうが多いのなら生まれてこないほうが良いのでは??と考えてしまう私はヘンでしょうか? 現在35歳なのですが、未婚・子なしです。結婚して子供を生んでも苦労するなら生まないほうがその子の為だと思ってしまいます。 私自身、幼少期から自殺願望のようなものもあったので・・・ 生きるってなんでしょう。。。
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みなさん思い思いに回答なさっていて僕自身もすごく勉強になりました。 それでもやっぱり1+1=2だよというふうに確実な答えが欲しいですよね。でもその答えは永遠にわからない… 僕自身環境とか時代で生きることが大きく変わりますよね。 例えば、今が戦争だったらそんなこと考える余裕なんてないし、「敵を殺すために生きている」ってことになってしまうかもしれません。 不治の病を抱えている人は、今生きたくてもいきられない…生きる意味を聞く余裕があるのは贅沢だ!と言われるかもしれません。 今日生きるための食べ物すらなく、とにかく食べるものが欲しいという状態だったらとか… 人は人、自分は自分。だけど比べたがってしまう… 考えたらキリがないですし、意味もないですがもし自分がそういう立場になっていたらどうしようとか思ってしまいます。 毎日の繰り返しで生きててもつまらないと考えたとき、生きたくても生きられない人にすごく失礼だというのはわかる。 でもどうしても考えてしまうし、行動できない… 難しいですね。とにかく、今あるものを受け入れて生きていくしかないんですよね。 人を助けることができて、ありがとうと言われる人間になれるようにする。 そうすれば、死ぬときに「ああ、俺の人生悪いものじゃなかったな」と言えるようになりたい。 助けてもらったら素直に感謝する。人からなにかされてもなるべく怨まないようにする。 口で言うのは簡単だし、当たり前のことですがとんでもなく難しいことですよね。僕は常にそのことを考えることができれば、生きる意味や喜びも自然にわかってくるんじゃないかと思います。 答えになっているかはわからないし、支離滅裂な文章でごめんなさい。 17歳の僕が言うには生意気すぎると思います。 偉ぶりたい気持ちもあるだろうと言われれば正直言って、あります。 きれいごとならいくらでも言えると言われても構いません。 でも、そうなれたらいいなと自分自身言い聞かせる意味も込めて投稿させていただきます。
- kadohashima
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そのおばあちゃんを引合いにして、「苦労のほうが多いなら生まれてこない方が良いのでは?」と考えるのは早急ではないでしょうか。 おばあちゃんが現在93歳だとしたら1914年の生まれということになります。ちょうど日本が軍国主義に染まり始めた頃です。20代後半で太平洋戦争を経験しています。貧富の格差が大きく、食料も乏しく、子どもを育てるには最悪の環境です。バラ色の高度経済成長期は50代半ばで経験しています。もう夢を見る年頃ではありません。バブル華やかりしころは70代の高齢者です。 このように考えると、この年代の方たちは良いことよりも苦労のほうが多くて当たり前ということができます。私たちの年代はおばあちゃんたちほど苦労することは少ないと思います。もちろん良いことや悪いことはひとそれぞれ違うと思いますが。 [生きる」ということについて私なりに考えたのですが、もともと人は目的や生きる意味をもって生まれてくるのではないと思います。たまたま生まれ、生きている。 しかし、その「ただ生きている」間に人は様々なことを学び、社会に対し働きかけをしていきます。例えば、子どもの心を育むために学校の先生になり、授業を行うなどです。この場合、先生の働きかけ(授業)は良くても悪くても普通でも、それぞれの子どもたちの中で何かしらの意味を成すことになります。このような働きかけこそが、人が(生きる意味というよりも)生きてきた意味だと思います。 という訳で生きる意味というのは、自分で自分の中に見いだし、外部へ働きかけ、他者から評価してもらうものだと思います。あなたがホームヘルパーになり、高齢者を介護する。そのとき高齢者の中に、介護してくれる人としてあなたの存在意義が生まれ、あなたの生きる意味になると思います。 ちょっと訳の分からない答えかもしれませんが、質問が気になったので回答してみました。長文失礼しました。
- poyotyan
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意味なんて無いでしょう。 >>苦労のほうが多いのなら生まれてこないほうが良いのでは??と考えてしまう私はヘンでしょうか? 世の中の99%は嫌な事(誇張しすぎかな?)なのですよ・・・確かに嫌な事ばかりの世間に嫌になる事もあります。 だからこそ・・・・その1%が大事なんです。その1%がこの世界にある限り生まれてくる価値があり、生きていこうと頑張れるんです、俺は。 ま、考え方の問題でしょう。 俺もよく「生きる」という事について考える事があります。 しかし答えはいくら探しても見つからない上に、考えれば考えるほど今自分のやっている事が無意味に思えてきてしまい、自分の好きな事(趣味など)さえ馬鹿馬鹿しくなり生きている心地がしなくなります。俺は本当に生きているのか?・・・そう自分に問いかけてしまうのです。 結局答えは出ないし考えるのは無駄なので、すぐ忘れるのですが多分一生分からないまま・・・な気がします。 黒澤明の映画に「生きる」(そのままですなw)というのがあるので機会があったら観てみてください。実に興味深い内容です。 この映画によると俺は「生きていない」ことになるようです。
生きる意味というのはもともとあるもののではなく、自分で作るもの、と思います。 自分が生きている意味を見つけようとするのではなく、「自分の人生の意味はこうなんだ」と自分で人生に意味をつけるようにしてみて下さい。 正直、35歳で思春期のように人生の意味は、とか考えてるのは幼稚だと思いますよ(^^;)。 そもそも、最新の哲学によれば、存在というもの、あなたの人生、というものすら本当は不確定なものなのです。 「幸福が幻想であるように、不幸も幻想だ」と言った作家がいますが、私もそう思います。人生には意味も無意味も幸福も不幸もありません。
- pochibouya
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私は、PTSDです。 人間含め、すべての生き物は弱肉強食が根底にあります。 当事者以外は「人の不幸は蜜の味」 自分があって、相手に何かできるものだと思うのです。 自分が溺れてもがけば、手に触れるものすべてを押し込んでその反動で息ができる。 よいことは、9割以上ありません。 断言できます。 それが、生まれた意味。いわゆる「神が与えた試練」なのだと思います。信仰家ではないので、父や学友からの迫害のなかで自分で勝手に思い、そのまま今に至ります。 なぜそういいきれる。といわれても、宇宙の果てがわからないのと同じ。 ただ、私には、私をかばってくれた苦労人の母が健在だから。 だから私は試練を乗り越えて生き続けます。 たとえ母が先立つことになったとしても 母が守ってくれたからだが、こころがあります。 だから私は、乗り越えた分強くなります。 強くなれば、いつか溺れることがあったら、手に触れた他人を押し上げることができる。 それが母への感謝だから。
- gouchan46
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それが知りたいから、人間は生きているのさ。 そして死ぬ瞬間に解るんだろうね、多分。
- minor_hero
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>良いこともあるけど、苦労のほうが多いのなら生まれてこないほうが良いのでは?? 生まれる前にすべてのことがわかるわけではないので、その考え方は 正直にいいますと変です。 『人間はこの世に生まれる意味があるの?』 意味があるのではなく、単に生まれてきてしまっただけです。単なる生命体です。 あなたは生きる喜びというものを知ったことはないのでしょうか? >「良いとき、悪いときがあったが、悪いほうが多かった」 結局、そのかたは最終的な答えを出していません。 悪い方が多かった、最低な人生で幕を閉じそうだ、こう言ってから判断するべきでしょう。 しかしながら少し考えさせられました。生まれる意味か・・・。
- eroero1919
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今は亡き作家の遠藤周作先生が雑誌プレイボーイの人生相談で素晴らしいことを書いておられました。 結果の分かっているスポーツ、犯人が分かっている推理小説、そんなもののどこが面白いんだと。分からないから、面白いんじゃないですか。 まあ、子供のことを考えてみると、その子が人生を振り返ったときに「楽しかった」「つまらなかった」それを決めるのはその子です。違いますか。それを勝手に親とはいえ他人が「この子の人生はつまらないから生まれてこないほうがいい」だなんて決められないでしょう。 サザエさんの作者長谷川町子さんの短編読みきりでこんなマンガがありました。 ある男の子が生まれた。貧乏神はその子の人生をどうしようか考えた。親に捨てられ、貧乏な幼少時代を過ごして船乗りになる。しかしその船が難破して無人島に流れ着き、そこでサルと共に一生を過ごすという不幸のシナリオを考えた。しかし、福の神がそれを邪魔して恵まれた人生を過ごそうとさせました。一流高校に行って、東大に行き、有名企業に就職する。けれども、貧乏神は福の神の隙を見て彼の人生を狂わせようとします。すんごいブスと結婚させたりして。そうやって貧乏神と福の神が引っ張り合いをして、その男はなんだかんだいって有名企業の重役までのし上がり成功した人生を送ります。いよいよ自分の死期が近づいたとき、男はベッドで「ああ、俺は不幸な人生だった」といいはじめます。「俺の夢は貧乏でも自由な生活だった。そして船乗りになって、いつかその船が難破して無人島に流れ着き自由に暮らす。それが俺の夢だった」といって息を引き取ります。人生って、そういうものですよね。
- mozomozo123
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生きることに意味を求めるぐらいなら死んだ方がいいと自分では思っています。 逆に死ぬことに何の意味があるのですか? 死ぬことに意味がなければ、死んでも意味ないと思いませんか? 生きる意味って何でしょう。 我々は生まれて生きている。 これは普通のことです。 そしていずれ死んでいく。 これも普通のことです。 意味を求めて生きている動物がどれぐらいいるのでしょう? 虫や木や草は何の意味があって生きているのでしょう? また必ずやらなければならない、 通らなければならないことに意味を求めるのはなぜでしょう? トイレで排泄することに意味を求めますか? 息をすることに意味を求めますか? 生きるのも死ぬのも、ある意味生理現象です。
- bleuclair
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人が文化を得て、4000年か何千年かはわかりませんが、 その間、いったい何百億のえらい哲学者や宗教家や思想家から 名も無き一般人までが、この答えを探してきたのでしょうね。 それぞれに考え、悩み、答えらしきものをみつけては、 偉い人は宗教を興したり、本を書いたり、近年ならTVに出てお説教したり、歌や詩にしたり、小説を書いたり映画にしたり、 市井の一般の人なら等身大の意義を見出して生きてきたのでしょう。 それでも尚、まだまだこの問いの決定的な正解はないようですね。 しかし、あなたも私も今、生きています。 ひょっとするとその答えを探す事が生きるってことなのかも知れません。 でも、言える事は、愛する人が出来たり、家族を持ったり、何か仕事や目標や夢を見つけた時、 生きることの意味は決定的に変化しますね。結果はどうあれそれは幸せなことかも。 また、重度の障害や病気、戦争や飢餓などの環境、生まれや家族によって背負う困難、 そういったものを持っていてもなお、強く「生きたい」と望む人もいます。 結論を言うと、わからない。人それぞれ。と言うしかありません。 ただ、私の場合はほんのささいな事、例えば今日食べたものがおいしかった、 咲いてた花がきれいだった、TVの漫才が面白かった、本や映画で感動した そんな日常の小さな喜びでも、感じられているうちは生きている意義を感じます。 昔、大病をして、そんなささいなことさえ感じられなかった事があったからかも知れません。 生きることの意義は、自分でみつけるしかないでしょうね。 でも、必ずしも幸せにならなかったとしても、みつける努力、幸せになる努力、選択をできたなら、 「私は生きた」と、胸を張って言えることだけはできるかもしれませんね。 例え何不自由なく満たされた苦労の無い人生であっても、そう胸を張って言えないような 与えられたロボットのような人生であった人より、生きた意義はあったような気がします。 長文失礼しました。
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お礼
ご回答くださった皆様ありがとうございました。 いろいろなご意見があり参考になりました。 私なりの結論として人間として生まれて「感謝」を感じることが生きる意味のような気がします。 死の直前にはすべてに「感謝」できますように・・・