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開発援助と自助努力
さまざまな途上国に日本を含めた先進国は開発援助をしていますが、援助を受ける側の途上国がもし自助努力をしようとしなければ、援助はするべきではないと思いますか?
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自助努力という言葉は、もともとは学術的な中立的な意味で使われていましたが、 援助を行う側が政治的に使う場合は、ただ援助削減の言い訳として使う傾向にあり、 援助を受ける側が使う事はあまりないので、言葉自体に良いイメージがなくなりつつあります。 先進国が、援助を受ける側に何らかの開発意欲を促すように援助が実行できるように目標設定すればいいでしょう。そのために数値目標をいれて、達成できれば無償、できなければ有償などもう少し柔軟な援助の仕組みはあってもいいと思います。しかし、先進国が日本のように援助総額を減らす言い訳として「自助努力」や「戦略的援助」という言葉を持ち出す限り、賛成できません。 それから、災害援助は緊急支援なので、自助努力を持ち出すと援助できなくなります。 1.援助疲れ、2.Senの理論によれば「質が重要だから、総額を減らしていい」、3.援助受入国の政権の強化につながる、4.無駄な公共投資が目立つといった理由を先進国が掲げるのを見ると、自国では問題にしないことを他国の場合には文句を言っている印象を受けます。一応、税金を使っているからというお役人的発想なんでしょう。世界平和のために積極的に貢献する方法のひとつが、援助と捉えてほしいものです。
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金をドブに捨てる様な支援をする価値はありません。 日本型の支援の方が(東南アジアとアフリカを比較するまでも無く)有効なのは誰もが認めています。 「紐付き」と非難されても 実質効果が高い以上 それで進めるべきでしょうね。 (相手に全て任せるタイプは 相手の権力者の私服しか肥やしませんから・・・)
- Willyt
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発展途上国は自助努力で立ち上がるべきです。援助は自立しようとする努力をさまたげますからね。しかし、だからと言って援助をやめると発展途上国から囂々たる非難が来ます。だからドブに金を捨てるような援助を続けざるを得ないのです。そんな援助ですからこれは支配階級の腹を肥やすだけになっています。