「血のつながり」という「意味は実質的」かな?
場合によるというなら実質的。
本質的とは又違う。
意味とは本質的にどうかということなので、
血縁の本質は何か。
血の繋がり。そのまんまやんけ(笑。
ま、本質ってそうなんだけど。
それが意味がないってわざわざ言う意味は、それが実際に概念上の話ではなく、現実的に、意味を持つのかってことだろ?現実として「ある」のかってことだよ。
孤児にはない。どっかに母親がいるかどうか知らんが、血縁はないんだよ。そういう場合、むしろ俺には意味が出てくる。ないものに意味があり、あるものに意味がないって、な。
血のつながりを実感するときってある?
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俺は顔やな。顔とか、手足の形、目の色。見た時に、あ、俺あいつとあいつの「半分半分」でできてるわっておもうわ。実感とういうか、まぁ目で確認しただけやねんけどな。↑がどっかで親とすれ違ってもわからんのとちゃうかな。どうやろ。
生むだけの血縁にたいし、親は育てるってのもあるからな。
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たぶんわからん(笑。育てるってのは親代わりであって親じゃないからな。ま、どーでもええ。自分に子どもができたら、育てる。そこに、血縁の意味があるかはわからん。たぶんあるだろ。ただ、自分の子どもと、他人の子どもがいたら、同じように育てる事は間違いないな。自分の子ども、他人の子どもの差別はつけようがない。つけるほうが困難。自他がなくなっちまったらそんな風になるんだな。あたりまえか。ありゃ?そうなると血縁に意味はなくなるな。濃い血、薄い血以前の問題だからな。
補足
書き方が悪かったと思います。 なにぶん知っている語彙が少ないのであのような文になってしまいました。 血縁により生じる社会の偏見に対して感じることや なぜ血のつながりがあると無条件に(血縁という条件をのぞいて)愛情が生じるのか(ない場合もあるのかもしれませんが) これは無条件と思っている私の思いこみかもしれませんが聞いてみたいことではあります。 またまた訳の分からない文ですが私が聞きたいことを何とか読みとってください。