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教えてくださらないと読みつづけることができません。

私は日本語を勉強している学生です。今「天声人語」を読んでいます。わからないところがあります。日本人の方が教えてくださればたすかります。よろしくお願いいたします。 「新聞は歴史の秒針」と言われる。秒針だからたいへんせわしく、忙しい。分秒を争って報道し、論評する。時には秒針に先んじて報道する。それが勇み足であったり、見通しのよさであったりもする。 締め切り時間に追われ、書くそばから原稿用紙の一枚一枚が活字にされる。時間がなくて、弁慶の勧進帳 のように、頭の中で記事を作りながら電話で読み上げることもある。一方で、この「秒針」を何日もかけて丹念に読み、さらに何日もかけて新聞批評の筆を執る人もいる。締め切り時間という情状は、批評の対象ではない。取材先に逃げられ、あるいは口をつぐまれる事情を考慮してくれる批評もない。 別に、新聞批評に苦情を言っているわけではない。苦衷をお察しあれ、と訴えたいわけでもない。 (1)「締め切り時間という情状は、批評の対象ではない。取材先に逃げられ、あるいは口をつぐまれる事情を考慮してくれる批評もない。」 このセンテンスの意味がぜんぜんわからないのです。どうして「締め切り時間という情状は、批評の対象ではない」のですか。 また「取材先に逃げられ、あるいは口をつぐまれる事情を考慮してくれる批評もない」何の意味ですか。 (2)「苦衷をお察しあれ」は「苦衷を察してください」と言う意味ですね。 (1)

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  • shhkmg
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回答No.3

(1)について: まず新聞とは,読者がいてこそ成立することは理解出来るかと思います。 当然,読者は新聞記事を目にし,その内容に対して賛同や批判をするわけです。 そのほとんどは「この記事は面白い」「参考になった」「良く分からなかった」「怪しからん」という4つの意見に集約されますが,面白いことに,これらには、 「実際に取材して記事を書く現場の苦労」 には全く言及していないということです。あくまで記事に対する意見のみであり、そこに至るまでの過程は一切考慮されていません。 先にも書きましたが,「読者あってこその新聞」です。つまり読者=お客様なんですね。 客というのは得てして,売り手の都合や努力など考慮せず、勝手ワガママばかり言います。カネを払っているんだから文句ないだろう,という態度です。 新聞において最大の敵は「締め切り」であり、これを過ぎると,どんなに良い記事でも新聞には掲載されません。まして次の日の新聞に改めて掲載,ということもありません。記事は「生もの」ですから,ある一定の時期を過ぎた記事は即座にゴミ扱いです。 しかし、どんなに時期が過ぎてゴミになろうとなんだろうと,その記事を文面にする為の苦労が、裏には必ずあります。この為にストレスを溜めて胃を痛めたり,寝不足になったりする記者も多いと聞きます。 こうした苦労に次ぐ苦労を重ねてようやく日の目を見る記事。しかし、万人受けする記事というのは中々無いもので,「良い」と言う人もいれば「悪い」と言う人もいる。 「良い」と言うお褒めの言葉をもらえれば、この記事を書いた苦労も報われるというものでしょうが,批判されてしまうと「これまでの苦労は何だったんだ」と落ち込んでしまうものです。 そうした苦労を考えもせず、その場の好悪の感情だけで批判を繰り返す人が余りにも多い,と言う、一種の「苦情」のように読めますね。 しかし繰り返しますが,読者はお客様です。 日本には「お客様は神様である」と言う、大変に悪名高き不文律が存在します。神様に文句や異議を申し立てることは許されない社会なんです。 ですからこのように、遠回し遠回しに述べるしかなくなるのですね。 このあたりの日本独特の悪習が,あなたの理解を妨げている一因であると思われます。 もっとも最近の新聞記事は明らかな偏向報道が多く,それも一部社会的権力にすり寄った報道,あるいは特定の諸外国におもねるような報道が多く, 「お前らは一体何処の国の報道機関か」 という批判を多く受けています。この為にどこの新聞社も発行部数を大きく落としており,その為か,最近は新聞購読キャンペーンを必死に繰り広げています。 (2)について: その通りです。 「~あれ」とは「~して下さい」という意味の敬語表現の一種です。 例えば「幸あれ」とは、「幸福でいて下さい」という意味になります。

その他の回答 (2)

noname#153814
noname#153814
回答No.2

>一方で、この「秒針」を何日もかけて丹念に読み、さらに何日もかけて新聞批評の筆を執る人もいる。 読者はゆっくり読む時間がありますから、文書(原稿)に対してじっくり批評が出来ます。だから、「先日の記事は、そんな簡単に片付けてもよいのか。もう少し考えて記事にしなさい」なんてお叱りの投書もある。ということかな。 >「締め切り時間という情状は、批評の対象ではない。 記事を書く人は、常に新しい話題を取り入れていく必要があります。 何日も前から考えているわけではありません。しかし、新聞記事を間に合わせるには、締め切り時間というものがありますから、じっくり考える時間も無いときがあります。そんなことは読者は知りませんから、「時間がないのなら仕方がない」とは思ってくれません。 >「取材先に逃げられ、あるいは口をつぐまれる事情を考慮してくれる批評もない」 記事の内容をもう少し掘り下げて書きたいな、と思って、相手方に取材を申し込んでも、「今は忙しい、明日にしてくれ」「そんなことは、話したくない」なんて言われることもあります。 そういった状況を、読者は考えず批判してきます。

  • alpha123
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回答No.1

(1)締め切り時間に追われてあわただしく書いていることは評価されない(批評の対象ではない) 逃げられ口つぐまれると取材続けられないので不徹底な記事になる。そこまで批評する人は見てくれない。わかってくれないか、記事に書いていないことまで理解せよは無理だが(^^) ぼやいてはいるがだからといって批評に苦情いっているのではない。 (2)察してくださいと訴えたいわけでもない、、あまり意味が通らない言い方ですが(^^)新聞(天声人語)独自の言い方です。 投書欄の記事で「**と思うのはわたしだけでしょうか」と結ぶような形式的な言い回しです。 新聞記者が政治家や権力から距離とって、監視役しながら取材したのは昔の話しです。いまは平気で政権与党から立候補したり、権力の横暴見逃します。 警察の裏金疑惑は各地で明らかになっていますが、地方新聞社の現場の一部ががんばっているだけで中央紙(読売朝日毎日産経日経東京新聞)が明らかにした事例は一つもない。