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「子供」と「子ども」の違い

 私は、今、小学校教員を目指しているものです。そのため、よくレポートを書くのですが、今、「子供」と「子ども」の使い分けが気になって仕方ありません。まだ、「子供」と「小人」の違いくらいわかるのですが、参考文献によっては、「子供」と「子ども」の区別がしてあるのかと思えるものあってどう使いわけるべきか、毎度悩んでいます。もし、別に何もないならないでもいいのですが、気になるので教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

学者ではないので個人的意見として。 色々説がありますが、理由付けとして納得している、自分でもそう思うのは ・子供の「供」は当て字である という点だけです。 ・「供」が「お供え」を連想させる ・「ども」が蔑称にあたる なども、一理あるくらいには考えますが、こじつけに近い論理だと思います。 漢字にしても、単語そのものにしても、由来まで遡っていけば 他にも差別や見下した表現はたくさん見つかります。 差別用語とは、現代社会において、「差別している」「差別されている」 と感じられることばをなるべく使わないように他のことばに置き換えることが重要であって、漢字一つ一つの意味まで追究してその理由のみで判断することには意味を感じません。(考えたり研究したりすること自体は大事なことです) こういうことから、私の意見としては以下のようになります。 あくまでご参考程度に。 「子供」・・・ 辞書にあるから使うことは間違いではない。ただし「こども」が複数の意味である「供」からきているとはいえ現代の意味からすれば当て字になる。教育現場ではあまり使うのは好ましくない。 「子ども」・・・ ある意味中途半端な書き表し方だが、この書き方が学校などでは最も使われているようだ(ような気がする)。 「こども」・・・ これを使うことに問題はない。漢字とカナを混ぜたくなければこの選択肢もOK。意味の表現は薄れるが最も意見衝突の少ない書き方かも知れない。

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質問者

お礼

放置していてすみません。ありがとうございました。今後、コドモという単語を人一倍打つ予定なので、気をつけたいと思います。

その他の回答 (4)

  • banzaiA
  • ベストアンサー率16% (100/595)
回答No.4

>供は「供え物」の意味で子供の人権を侵害する などはまったくの、こじつけだと思います。 #1、#2さんが指摘されていますが。 接尾語のような言葉は漢字表記されていました。この接尾語をひらがな表記に改めたということです。 だから現代の表記は、「子供」「君達」ではなく「子ども」「君たち」が適当だということです。 教員を目指しておられると言うことなので、この際、国語表記の本をお勧めします。

  • oshiete-q
  • ベストアンサー率33% (813/2428)
回答No.3

そんなに深く考える必要はないと思いますよ。 自分が以前耳にした話では子供の「供」には「お供え物」といった意味があるということです。子供はお供え物ではないからあえて「子ども」とするといった考え方もあれば、子どもは宝だ…といった意味で「子供」とするといった話しもあります。 また「供」は人偏です。だから子どもは「周りの人の手助けを必要とする」といったことも聞いたことがあります。 確かに感じにはそれぞれ意味があり、ニュアンスも変わってきてしまいます。でもどちらかが正しくてどちらかが間違っているということはないでしょう。 あえて「子供」と「子ども」混ぜて使わせてもらいましたが、個人的には「子ども」とすることが多いですね。

noname#22488
noname#22488
回答No.2

使い分けなんてありません。 一部うるさい人が”供は「供え物」の意味で子供の人権を侵害する”とか騒ぐので”子ども”という表記にしているだけです。 これに賛同できるかどうか、ってだけです。

回答No.1

以下、ウィキペディアから抜粋 教育や福祉の世界では、「子供」の表現を避けて「子ども」表記が推奨されることが多い。その理由としては、 「子供」の「供」の字は、「お供」、すなわち子供が大人の附隨物であると連想させるため 神に奉げる「供え物」の意味につながるため 「子供」の「供」は当て字なので、漢字に意味はなく、平仮名にすべきである などの理由(差別につながるという主張が多い)から、漢字を開いて「子ども」と表記するべきというものである。 一方、こうした意見に対して、 熟語のひらがな交ぜ書きに対する反発(表外字との交ぜ書きならともかく、供は教育漢字である) 「こども」の言葉は万葉集(『萬葉集』「胡藤母」「子等」)までさかのぼるが、「ども」の原義は、「男共」「女共」などと同じく複数をあらわす「ども」に由来し、お供の意はないとするもの(註:ただし、現代においては複数の意は薄れ、「子供」で一つの語となっている。その証拠に「共」ではなく「供」の字を使っていること、「子供達」という表現はあるが「女共達」という表現はないことなどが挙げられる) 「子ども」は、罵って「豚ども」「白人ども」「黒人ども」などという時の見下した他称表現「ども」と重なるので、「子供」よりもむしろ「子ども」の方が差別的である 差別につながるといっても、法律で使うことが禁止されている訳ではないこと。 という反対論がある。また、漢字の意味を問題にするなら、「児童」の「童」には「しもべ」「愚か」という意味があるため、「児どう」と表現しなければならない、という皮肉もある。他に、「子ども」と書くくらいなら全てひらがなとし、「こども」と書くべきだと主張もある。なお、日本における祝日の一つ「こどもの日」は、「こども」と規定されている。 参考になりましたでしょうか。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90%E4%BE%9B

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