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北方派遣(軍)について

北方派遣(軍)についてですが、キスカ、アッツの両島に展開した部隊から、終戦間際の国後、択捉などに展開した部隊まで広く呼称されているようですが、正式な建制ではないように思えます。詳しいことを教えてください。

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回答No.2

>北方派遣(軍)について  ということですが、それまで東北~南樺太警備・留守業務を担当した「北部軍」(1940年設置)が1943年(昭18)2月に作戦軍としての任務を付与するために「北方軍」と改称したことを指すのだと思われます。  北方軍司令官(樋口中将)は、大本営から西部アリューシャン列島要地を確保し敵の企図を挫折せしめるとともにソ連に対する作戦を実施する任務を付与され、主力の第7師団・留守第57師団・樺太混成旅団・「北海守備隊」(アッツ島・キスカ島)および「第1飛行師団」を指揮下に編入しました。    その後、アリューシャンが米軍の手に落ち、ソ連・アメリカ両軍の抑圧を受けるに至って翌年3月北方軍は「第5方面軍」(司令官 樋口中将)に改称し、その隷下に「第27軍」(司令官 寺倉中将)を編入することによって兵力の増強が図られ、同方面軍の作戦地域は津軽海峡以北に改訂されました。  当時の基幹兵力は、27軍隷下に第42師団、千島守備隊(3)、海上機動旅団(2)。方面軍直轄が第7師団、留守第7師団、第1飛行師団(飛行団2個)、樺太混成旅団、警備隊(3)となっていました。  なおのちに対米ソの前線要域配備の「千島守備隊」は、師団、独立混成旅団および「千島第1集団」などへと兵力強化が図られました。  1945年(昭20)1月本土決戦準備態勢に移行するに伴い、北方作戦については第5方面軍、防衛・軍政業務を「北部軍管区」という並立体制とし、方面軍司令官が軍管区司令官を兼任することとなり、第27軍(1月22日)は廃止されました。同軍司令部員は、東北の「第11方面軍司令部」「東北軍管区司令部」編成要員となった。  この態勢を維持しつつ、8月9日のソ連参戦の報を受け、北海道の第7師団は歩兵三個大隊、山砲一個大隊を樺太派遣を準備しましたが終戦の詔勅により中止となり、その後ソ連軍による千島不法侵攻をみた事はよくご存知のことと思います。  終戦時の第5方面軍戦闘序列の概略は、第7師団(特設警備隊・特設警備工兵隊・陸軍病院ふくむ)、第42師団(独立戦車中隊二個を含む)、第88師団(特設警備大隊・特設警備工兵隊をふくむ)、第89師団(陸軍病院・特設警備中隊を含む)、第91師団(陸軍病院・戦車連隊・独立戦車中隊各一個をふくむ)、独立混成第101旅団、独立混成第129旅団、千島第1集団、宗谷要塞、津軽要塞、室蘭防衛隊、根室防衛隊、戦車連隊(1)、独立混成連隊(1)、独立臼砲大隊(4)、独立機関銃大隊(2)、独立速射砲大隊(1)、独立速射砲中隊(4)、野戦機関砲中隊(3)、高射砲隊司令部(1)、高射砲連隊(1)、独立高射砲大隊(2)、独立高射砲中隊(2)、独立野戦照空中隊(1)、独立通信作業隊(10)、海上輸送大隊(2)方面軍航空情報隊(1)、方面軍固定通信隊(1)、独立自動車中隊(2)、要塞建築勤務中隊(4)、陸上勤務中隊(1)、特設警備大隊(2)、特設警備中隊(18)、特設警備工兵隊(4)、臨時兵站司令部(2)、臨時貨物廠(1)、    

その他の回答 (2)

回答No.3

北方派遣(軍)について、詳しいことはサイトにのっていますね。 その中で、「ケ号作戦」(キスカ島撤収作戦)が、有名です。 戦後「太平洋海戦最大の奇跡」(千早正隆著)として、本になって、 東宝で映画化されました。主演は三船敏郎です。 この関連で、私が特に記憶しているものは、 團伊玖磨作曲の「キスカマーチ」「霧のキスカ」です。 撤退作戦にもかかわらず、なぜか凱旋行進曲のように、心が熱く なります。 さらに、團伊玖磨は、行進曲の「太平洋艦隊」も作っていますね。 http://www003.upp.so-net.ne.jp/johakyu/dan.htm まさに、「奇跡の作戦」という気がします。 そういえば、北海道などでも、霧がよく発生して、飛行機が他の空港に 引き返すことがあります。自然条件も味方したのでしょう。 以上

  • VFR
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回答No.1

これらの部隊は「北部軍」(後の第5方面軍)の隷下ですね。 キスカ、アッツに派遣された部隊は北海支隊。一木支隊と同じく北部軍所属の第7師団から抽出されて編成された部隊ですが、キスカ、アッツの攻略時点では海軍の指揮下にあります。その後に防備を固める意味で北海守備隊の名で北部軍の指揮下に入ります。 http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/attu.htm 北部軍はあちこちに転用されて疲弊した第7師団がほとんど唯一の戦力でしたが、アッツ玉砕、キスカ撤退の後で手薄な北方を固める必要ができてきたため、この方面に部隊が増強され、北部軍は第5方面軍となります。 それ以降の経緯についてはややこしいのですが、丁寧にまとめてくださっているサイトがあります。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~surplus/tokushu42.htm

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