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学校は何故いじめを隠すのか (教育委員会含め)(なぜいじめ報告を隠蔽?)
最近、学校でのいじめに関するニュースが多くなりましたが、 教育現場からの「いじめがある」「いじめの疑いがある」という報告を校長や教育委員会が放置していた例が多く見られる気がします。 学校が報道の前で容易にいじめの存在を認めたがらない事情はおおよそ理解出来ますが、 上層へのいじめの報告をしなかったり、逆にその事実がバレて校長が自殺したり、といったことは何故起こるのでしょうか? 任期中に問題がおこると校長の天下り先が無くなる、等といったうわさ話もちらほら聞きますが、単なる作り話の様にも思えます。 ・学校や教育委員会がいじめの報告をしない事情 ・現状、実際に現場からいじめ報告があった場合、どのような対処がなされるのか このあたりについてご存知の方は是非教えて下さい。 (他の閲覧者の方にも簡潔にわかりやすい様、教育現場に関わりのない方の予想や想像による意見はナシでお願い致します。)
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「教育荒廃」の言葉が言われ始めて、もう20年くらいになります。 政府は、その原因をまじめに分析することなく、「教育改革」を口実にして、自分たちに都合の良い教育政策を次々に実行してきました。 そのひとつが、「教員評価制度」です。 「指導力のない教員のせいで、教育が荒廃している」「だから、教員に成績をつけて、ダメなヤツはクビにする」 このような論理で、「数値目標」が導入され、例えば「いじめをゼロにする」という目標がどの程度達成されるかで、次の年の給料も決めましょう、という流れがあります。 確かに、教員に向いていないのではと思われる方が学校現場に時として見られることは否定できません。 しかし、行政が大企業優遇、教育軽視の施策を実行し、文部科学省が無茶な注文を学校現場につきつけている現状で、トラブルをすべて教員個人の責任にすることは正しくありません。 本来、教育はチームプレイであり、「シュートを決めたら昇給、そうでない選手は減給」というやり方は、チームワークをこわす結果にしかつながらないと思います。 その具体的な事例が今回の「嘘報告」なのでしょう。 「いじめゼロ報告」は、「指導力不足教員」と認定されて、降格や減給になることをふせぎたい心理がさせたのではないかと考えています。 もし、「いじめ報告」が現場から教育委員会にあれば、とりあえず、「いじめ指導の原則」を教育委員会は校長に確認・徹底し、なぜいじめが予防できなかったかの責任追及を行うことでしょう。 責任追及の方法や程度は、地域ごとに様々だと思います。 東京などは、かなり厳しいと聞いています。 そして、あくまで「教職員数が十分でなかった」などの、行政の責任に関わる判断はしないで、「どの程度校長が悪かったのか」の判定を行うのでしょう。 その結果、軽くて、「戒告」(教育委員会に校長を呼びだして説教する、という屈辱的な罰)、最悪の場合は、「免職」ということもあり得るのだと思います。
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- izumon
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今年から児童・生徒支援教員(おもに人権・同和教育の推進)をしていますが、以前、生徒指導主事をしていたので、回答します。 1 学校や教育委員会がいじめの報告をしない事情 もし、教育委員会に報告したら、そのあとに意味のない膨大な書類の提出が待っているからです。書類を提出してもいじめがなくなるわけではありません。教員は、授業も部活も生徒指導も教育相談もしなければいけません。家庭への通信を書いたり、場合によっては勤務時間外に家庭訪問したりしなければいけません。だから、意味のないことで大量に時間を消費されることは、教育現場は苦痛なのです。 そういう報告書が必要なら、書類を必要としている者(実は文部科学省)が現場に来て、問題が解決するまで支援したり、学校に報告書を書く専門家が雇われたりしていれば、教育委員会への報告はもっと正直になるはずです。 ついでに言いますと、その報告書を作成するのは生徒指導主事です。もちろん、教育委員会に提出する前に、校長が点検をします。 2 現状、実際に現場からいじめ報告があった場合、どのような対処がなされるのか 先に述べたように、「解決した」と報告するまで、膨大な報告書の提出を命じられます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり上に報告したところで現場にしてみれば百害あって一利なし、といった実情なのですね。 大変参考になりました。
- poponponpo
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文部科学省がいじめ対策の目標数値を挙げていますので、目標に達しない県には指導されることになります。 要するに県の教育委員会の評価が下がると言うことで、管理責任者の出世が望めなくなります。 そのために教育委員会は、各学校に努力目標を立て目標を守らせようとしますが、現場の教師はつじつまを合わせるためにいじめ件数の調整をします。 校長がいじめの隠蔽をする理由は、校長には責任はあるが人事権などの権力は無く、教師を管理できるような権限が無いため、教育委員会の圧力と校長の指示の効果のない教師との間に挟まれることで、いじめと同じような環境にいるからです。
お礼
ご回答有難うございます。 >文部科学省がいじめ対策の目標数値を挙げていますので、目標に達しない県には指導されることになります。 この、「いじめの発生」=「指導対象」という考え方は一体どこから現れたものなのでしょうか? いじめは学校のみならず、どんな集団にでも起こりえる問題がであり、それが学校内で起こってしまった時には解決へのプロセスも全て含めて教育と呼ばれるべきかと思います。 >県の教育委員会の評価が下がると言うことで、管理責任者の出世が望めなくなります。 教育委員会と学校長というのはそれほど有機的な結びつきがあるものなのですか? また、「教育委員会の評価が下がる」というのは、教育長、委員にとってやはり具体的なデメリットが生じるものなのでしょうか? もし更に詳細をご存知でしたら補足いただければ幸いです。 校長の無力さ加減は大変よく理解できました。 ありがとうございました。
お礼
詳しくわかり易い説明を頂き有難うございます。 「教員評価制度」の内容や実施状況は地区により様々だと認識していますが、「いじめの発生を防止することが評価され、いじめの解決にどれだけ手腕を発揮したかは評価されない」というのが各地の現状なのでしょうか? だとすれば、いじめの発生は完全に学校、教師の責任であるという前提に基づいた評価基準であるということになりますが、いじめ予防の教育理論が確立徹底されているわけでもない現状でその様な評価基準を採用すること自体、理想を通り過ぎて横暴ですね。 いじめを上層に報告したところで、なんら助力は得られずマイナス査定されるだけなら報告の意味がありません。 自殺した校長も保身の為だけに嘘報告をしたわけでなく、現場での最善を尽くしていたのかも知れませんね。 教員評価制度の悪しき側面が少しわかった気がします。 有難うございました。