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神道は個人の内面の苦悩や世の不条理について、答を与えられるのか?
神道は個人の内面の苦悩や世の不条理について回答を与えることができるんでしょうか? 仏教だと涅槃、キリスト教だと神の救済とか準備されてますよね。 でも、どうも神道でそういうのを聞いた覚えがないんです。
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質問者が選んだベストアンサー
私の個人的意見ですが・・・。 神道と、キリスト教や仏教は全く別物だと考えています。 神道はどちらかというと宗派宗教ではなく民俗信仰です。 そもそも仏教やキリスト教は個人の内面の苦悩や世の不条理を解決する目的の宗教ですが、神道は違います。 万葉集にも、「日本は神意のままに言葉に出してはっきり言うことをしない国である」と書かれている通り、「言霊」の概念を大切にする昔の日本人は、声に出して悩みを神に祈る、などもってのほかだったのでしょう。 (声に出した心配事は事実になってしまう、という考えだったようです) また、古代日本は「禊」「祓」が示すように、「ケガレ」は外から降りかかってくるもの、と考えていたようなので、「物思いをさせる神」はいても、自らのものとして考えることはなかったのではないかと思います。 (もちろん、苦しみを避ける努力はなされました) また、奈良・平安時代から仏教が心の平安を司るようになったので、神道がカバーする必要がなかった、という面もあると思います。 以上の点から、神道にはご質問の概念が存在しにくい土壌にあったのではないでしょうか。 しかし、明治時代の教派神道には、質問者様のおっしゃるような教義が存在します。(神の救いなど)
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- michael-m
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神道は、感謝する事が基本です。 人が自分達のために作った宗教とは違うので、教理にも悩みの解決とか社会的問題については、全くありません。 本来、神仏の救済は全体的なバランスで、本来個人的な解決策ではありません。だから仏教やキリスト教の用意した回答も、後世になって作られた物なのです。
お礼
回答ありがとうございます よく理解できませんでした。
- kigurumi
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神道について詳しくないのですが、全てを飲み込むものというイメージがあります。 日本古来からあった土着宗教に、外来から来た宗教をどんどん取り込んでいった。 まるでブラックホールのようなもの。 というのが私の神道に対するイメージです。 神道はユダヤの神も取り込んでしまったようです。 個人の内面の苦悩や世の不条理。 これに対する答えはも取り込んでいるように思います。 http://72.14.235.104/search?q=cache:FCa2GGd8GjQJ:www.dazaifutenmangu.or.jp/shiru/shinto.htm+%E7%A5%9E%E9%81%93&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=5 【日常の生活を精いっぱい充実して生きることと、神道では考えています】 ユダヤ教(いわゆる旧約聖書)の中に<コヘレトの言葉>というものがあります。 ユダヤ教からすれば異質のもので、なぜこれが聖典に入ったのかというと、最後の方で すべてに耳を傾けて得た結論。 神を畏れ、その戒めを守れ。 と書いてあったかららしいです。 この書のほとんどで作者は「全てが空しい 風を追うようなものだ」 と諸行無常 つまり 空を嘆いておりました。 そんな彼ですがとうとうそのどうどうめぐりの空しい気持ちから脱却しました。 【見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。】 つまり労苦したことに<満足すること>こそ空しいが転じて幸福に変化するってことじゃないかと。 でも、それってユダヤ教でしょ?といわれると、いや いつのまにかユダヤの神を朝廷に祭祀させてしまっているそうなのです。 少なくとも明治の廃物毀釈まで。
お礼
回答ありがとうございます ちょっと神道とは関係ないですね
- sann9
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説明は難しいと思いますが、空ですかね。比較しても難しいですが、空はキーワードになると思います。
お礼
空は仏教の概念でしょ
お礼
回答ありがとうございます だいたいの感じがつかめました。