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助詞の「が」について
・私はいちごが好きです。 上の文の主語は「私は」で、「いちごが」の「が」は「好きです」の対象を表しています。 ・向こうに山が見える。 この文の「山が」の「が」も「見える」の対象を表していると考えてよいのでしょうか?それとも「山が」は主語と考えていいのでしょうか? よろしくお願いいたします。
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- zyuntyan00
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主語です。山を見る、と、山が見える、は違います。動詞の種類も勉強しましょう。
- OKAT
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この回答に、三上章氏や金谷武洋氏の「主語不要論」を持ち出されると、質問者が混乱されるのではないでしょうか。 下記サイトのgoo辞書(国語・主に「大辞林」)にある「格助」の(2)にあるのが分かりやすいと思います。この説明に「日本文法大辞典」から少し付け加えると 『「希望・能力・好悪・巧拙」の対象を表す』 順に例を挙げましょう。 水が飲みたい。 テニスが出来る。 あの子が好きだ。字が下手だ。 なお、この「大辞林」の説明は、古語にも及んでいます。(4)以下は古語の問題として区別した方がいいでしょう。 ところで、本来の質問は「向こうに山が見える」の「が」は、一応の回答としては「主語」です。 これから後は、分からなければ無視してください。あるいは質問者はこの事をご存じの上で質問されたのかもしれませんが。 上代に「自発」「可能」「受身」を表す助動詞「ゆ」があり、その流れから「見ゆ→見える」という語が出てきました。従って「見える」には「自発可能」の意味があるとも言えましょう。しかし、現代では「見られる」や「見れる」(ラ抜き言葉で可能動詞)がある以上、「見える」に可能の意味があるのか、どうかは微妙ですね。
- riderfaiz
- ベストアンサー率31% (1072/3360)
いわゆる「象は鼻が長い」型構文ですね。三上章先生の説では 「~は」は提題詞で「~が」は主格(主語)を表す助詞ということになっていますね。 他の考え方もあります。日本語教育の本(先生向け)にはよく説明が出ていますよ。