• 締切済み

正弦波宇宙論(chihoko original)

●なぜ宇宙はこんなにも美しいのか?  宇宙ははじめ マグネチックフィールドのゆるい正弦波のただよう真空だった  そのおおきな波と波がぶつかったのが ビッグバンです。  光や電波にその速度の限界があるように ビッグバンにおける  波の周波数の高さにも限界があった。その周波数の限界に於いて波は共鳴して  まるで水面で超音波が進まないごとくに 波はその場に留まった それが  物質です。物質は波の性質上 さまざまな干渉を起こす。そのひとつが重力  共有結合 イオン結合です。  つまり この宇宙は正弦波でのみ成り立っている。だから美しい。  それを 神とよぶことはできる。しかし擬人化する必要はない。  反論 異論 ご感想 など教えてください。

みんなの回答

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.15

なぜ宇宙はこんなにも美しいのか? それは哲学が形相のイデアをアンチテーゼとしてアウフヘーベンしたからです。 始めに形而上学としての悟性が実存として絶対無を覆っていた。その真空の質料としてのアリストテレス的な実体を、世界内存在と状況内存在に対するアンチノミーとしての本有な観念と対自すべしと、存在者達が敢えて定言命法の止揚の一例して捉えたのです。その弁証法的な存在の真理が、何が何でも唯心論的な判断中止を避けるべく美的実存の段階に頼った結果産み出して来たのが、余弦波だったのです。その余弦波の自体的存在が円寂を通して正弦波を創出しました。だから美しいのです。 しかしそれは恐ろしいことに、能動感情を伴う否定神学であったために、明証性の規則と矛盾する可能性があり、さらに、アプリオリな倫理的実存の段階を認識した臆見になる可能性をも孕んでいました。そこでそのようなことになるのを避けるために、それを宗教的実存の段階との混成体として、あえて、現存在の格率を演繹的に帰納する一般的常識に基づいた生得観念として現出させたのが、ビッグバンだったのです。 ですから、貴方の宇宙の捉え方は、哲学的に実証可能な存在の真理を開示したものとして、先験的に受け入れられる仮言的命法の一例なのだと思います。

  • bttf2003
  • ベストアンサー率37% (230/614)
回答No.14

ここもしばらく放置されいるので、かってに感想などを書き込みします。 質問者は、「宇宙」「マグネチックフィールド」「正弦波」「ビッグバン」「光」「電波」「速度」「周波数」「超音波」「重力」 「共有結合」「イオン結合」の物理学用語を羅列しているだけで、物理学的な意味を理解していない。 よって、この質問自体なんらの日本語の対をなしていないと思います。 あなたはどんな人? の欄に「専門家」にチェックを入れた訳は、物理学にある程度の知識があるという意味です。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.13

>無に帰すことと 無とは 明らかに違うことです。  いずれ無に帰すから 現在を無と捉えるという考えは  無に失礼です。    違うよ。すでに無なんだよ。それを言ってるだけ。  無に帰す。すでに帰してる。無から生まれる。無に生まれる。  だから、どうせ無に帰すんだなどと、  いえないんです。だから、今を生きることになってるんです。  無に失礼って?どういう意味?現在はもちろん無です。ありません。  無から無へ。キスも何も ありません。全て無です。 >わたしたちの棲んでいる世界は  無ほど超越的ではありません。    じゃ、僕の世界は超越的ですね。でも、僕とあなたはおなじ世界に住んでますから、僕らの世界は超越的なんじゃないですか?世界が果てです。 でも、なんでもいいぜ?(爆。 無は内在ですから、内も外もありません。この世は無です。 宇宙の始めも、終わりも、そのずっと前も、無です。時も無です。

chihoko
質問者

お礼

1:無である自分を認識できる。 2:無である自分を認識できる し 無でない自分も認識できる。 ●2のほうが 文字数が多い。  文字数が多いほうが 退屈しないんですよ。 ご回答ありがとうございました。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.12

>すべてのものが正弦波に帰着すると考えて 帰着しないものがないから  正弦波理論なわけです。   正弦波も、無です。 全ては無です。同時に無です。無でないものも、無です。 1よりも、0じゃなく、1も、0です。 仮にこの宇宙が一だったとしよう。それは0です。 全ては無だから。 世界構成の話を、聞いたでしょう。光と、水と、土と、風。あとは、透明。 それと、君と僕。  透明は全てです。完璧なものも、完璧でないものも、どっちでもないものも、無です。   >あったとしかいいようがありません 無いんです。今も。

chihoko
質問者

お礼

●無に帰すことと 無とは 明らかに違うことです。  いずれ無に帰すから 現在を無と捉えるという考えは  無に失礼です。わたしたちの棲んでいる世界は  無ほど超越的ではありません。  ご回答ありがとうございました。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.11

今度は、哲学的な面で考察してみます。 No.10では、私の知っている科学の知識の範囲で批判しまし たが、途中までは理解できなくもないのです。 「正弦波のみ」という概念には賛同できませんが、物質が、 エネルギーもしくは究極的な粒子の振動で構成されている という仮説を私も持っていますので。 但し、問題はその先です。 >つまり この宇宙は正弦波でのみ成り立っている。 >だから美しい。 宇宙は波(chihokoさんの言うところの正弦波)で構成され ていると仮定しましょう。では波は無条件に美しいのかが 問題です。 身の回りで感覚する波というと、音や光があるかと思います。 しかし全ての音が美しく感じられるわけではなく、聞いて 心地よく感じる音もあれば、聞いていて気分が悪くなる音 もあるかと思います。 光も同様です。そうなると、すべての波が美しいとは言え ないのではないでしょうか。 実際のところ「宇宙は美しい」です。私もそう感じます。 そして百歩譲って、chihokoさんの言うように、宇宙は 波(chihokoさんの言うところの正弦波)でのみ成り立って いると仮定しましょう。 しかし、波には美しく感じる波もあれば気分悪く感じる波 もあるのに、なぜ宇宙は美しく感じる波で構成されている のか。chihokoさんの宇宙論では、その説明が欠けている かと思います。 この先は私の信念(他人に論理的に説明できないから)を 述べますが、やはり宇宙の設計者、創造主の存在を感じます。 宇宙や人間が無目的に発生したとしたら、なぜ宇宙を見て 人間は美しいと感じる感性を持っているのか、またその美しさ を感じる感性はどこから来たのか。 そもそも宇宙を見て美しいと人間が感じるならば、最初か ら宇宙はそう創られたのではないか。 このような考えを私は持っています。

chihoko
質問者

お礼

●男性の腰のうねりのように たまらなくきもちいい波もあれば  船酔いのように 気持ち悪くなる波もありますよね。  しかし視点をマクロにするとどうでしょう。地球は美しいのです。  つまりすべては 波なのですが 生きている場所によって  波を解釈せざるおえない場所にいるだけなのです。船酔いの波もくらげには  心地よいかもしれません。現実の場所に居るときは いきるための波を  選ばなければなりません。波の選択と組み合わせこそが多様性の極意です。  ただマクロな視点でみれば 全体が波でなりたっているわけですから  当然自分の本質と共鳴できる波の本質が感じられるわけです。  宇宙は創られたとする考え方に わたしが一番疑問を持つのは  わたしは 作り物なんかじゃいやだ! 完全に自由なんだ!  そのように こころから叫びたい気持ちがあるからなのです。  もし作り物なら こんな感情を創る必要はないはずです。  ご回答ありがとうございました。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.10

科学的な観点で、再コメントします。 >正弦波宇宙論は 宇宙とはなぜ 美しく統一性があり摂理を持ち >あたかも誰かが知恵の限りをつくして創造したが如くに完璧なのか? >その問に対する 現在の科学の持つ知識の範疇でたどり >つく最もまちがわない わたしなりの回答なのです。 「現在の科学の持つ知識の範疇で」という言葉がある以上、 科学的な根拠がある程度必要ではないでしょうか。 具体的には、以下の内容です。 1)物質が波であるとしたら、何かが振動して波が生じて   いると思いますが、その波の元は何でしょうか。 2)「ビッグバンにおける波の周波数の高さにも限界が   あった」とする根拠は?   超ひも理論の立場では、ひもの振動数に限界はないと  考えていますが。 3)ビッグバン以前の宇宙について、「宇宙ははじめ   マグネチックフィールドのゆるい正弦波のただよう   真空だった」   と考える根拠は? 「科学を離れて、哲学的にそういう宇宙観を考えている」 のならば別ですが、科学的な要素を考慮するならば、ある 程度は科学の観点での説明も必要でしょう。

chihoko
質問者

お礼

1)波の元は磁界です。磁界とは磁気が空間にあることです。  では 磁気とはなんでしょう?  「均一ではない」ことと解釈しています。  つまり正弦波とは無でないもっとも無に近いもの  言い換えると 均一でないもっとも均一に近いものなのです。  これ以上説明できるわけが ありません 「もっとも」なのですから。 2)限界がないのであれば 無限にバラバラ 現実の宇宙は ちゃんと規則を  もっています。限界がひとつ以上あります。たぶん陽子と中性子の分  限界は二つあるでしょう。 3)根拠は簡単 これ以上に無に近い要素を定義できないことです。 正弦波宇宙論は科学ではありません。 公理も実証も飛び越えて わたしが感じる宇宙を考察して推察しているだけです。 ご回答ありがとうございます。

  • _hiroya_
  • ベストアンサー率5% (2/34)
回答No.9

ぐぐ、わかったようなわからんような(笑。 正弦波の世界なら、正弦波が、世界からはみ出してしまうって事はない?なんらかで。正弦波でなくなってしまうって事。 ただ、美しさに理由が要るのかという疑問が、俺にはあるな。 正弦波宇宙論に関しては、いいんじゃない?  世界の基本として、理由は事実だからな、別に理由を取り沙汰する必要はねぇと思うぜ?何故なんだー!?ってゆう衝動はわかるが、何故なんだを何故なんだしてみてはどうかな。 何故なんだ思考以外にも、思考法はあるから。 俺にはこれくらいの事しか言えんわ(笑。 あと、俺は宇宙が完璧だとは思わないな。 べつに、完璧じゃなくてもいいって思うぜ?

chihoko
質問者

お礼

●正弦波でなくなるものは なにかありますか?  もしあったら 正弦波理論はボツです。  すべてのものが正弦波に帰着すると考えて 帰着しないものがないから  正弦波理論なわけです。  正弦波理論において 宇宙は完璧です。  なんの矛盾も不平等もウソもありません。  これ以上の完璧をもし問われたら 無しか思い当たりません。  ご回答ありがとうございます。

回答No.8

>そのこころで はたしてこの宇宙に無いものを想像できるでしょうか? 出来るとは思いますよ。宇宙人とか想像してますし。もし存在しないものを想像出来ないとしたら、想像しているものは全て存在しているという観念論になるはずです。 あと、「美しさ」や「美しいと感じること」についてもう少しchihokoさんの考えを教えて下さい。

chihoko
質問者

お礼

●宇宙人は 宇宙の中のものですよ。(爆)  たとえホーキング博士でも この宇宙にないものは想像できないなずです。  この わたしの思考実験ですら できないのですから・・・。 「美しさ」や「美しいと感じること」について・・・ ●「美しい」ということは こころの「美」に届く脳内情報の情報源に  与えられた形容です。こころの「美」は経験により変化するもので  ひとによってちがいます。しかし「美しいと感じること」を  複数で共有できるのもまた事実です。つまり美は人間の本質にかかわる  いくつかの部分を内包している可能性があると 推察するわけです。  さて こころの美とは なんでしょう?  それは 生存競争において培われた 共鳴による種の団結のメカニズムだと  推測します。しかもアクティブであること 変化対応できる美がいちばん  生存率が高く 共鳴により団結力も高まるはずです。  いっぽうでは 敵をつくり またいっぽうでは その敵も仲間だと意識させ  全体として多様性をたもてるように 美 ははたらいています。  それも これも 根源が正弦波というみな同じもので成り立っているからできる  芸当なのでしょう。  ご回答ありがとうございました。

chihoko
質問者

補足

>もし存在しないものを想像出来ないとしたら、  想像しているものは全て存在しているという観念論になるはずです。  ●想像というかたちで 宇宙に存在しているじゃないですか。  想像物は 想像という脳の機能の結果で それは確実に存在しています。  また もし存在しないものを想像出来ないとしたら、想像しているものは  全て存在していると考えるのは「短絡」というものです。  正しくは 宇宙に無いものは想像できないということは 想像は宇宙にあるもの  をつかって脳が処理した結果であり 想像は想像でしかないということなのです。

回答No.7

人間もまた統一された正弦波で出来ているのだから、正弦波や統一した規則性を持つものに対して美しいと感じるということかなぁ。同義反復(笑)

chihoko
質問者

お礼

●人間の全てが 正弦波でなりたっているわけですから  こころも正弦波から派生しているわけです。  そのこころで はたしてこの宇宙に無いものを想像できるでしょうか?  美しいと感じることは 共鳴現象だとも捉えることもできると思います。  ほかに 音楽でいうところの倍音 三度 五度 属七などの和音のような  関係であることも考えられます。ほかにもいろいろあると思います。  ご回答ありがとうございます。  

  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.6

またまた面白い意見を述べていますね。 >その周波数の限界に於いて波は共鳴してまるで水面で超音波が進まない >ごとくに波はその場に留まった それが物質です。 >(中略) >つまり この宇宙は正弦波でのみ成り立っている。だから美しい。 物質が正弦波だけという意見には賛同しませんが、物質がエネルギーの波動(wave) から成り立っているという考えは、別にchihokoさんオリジナルではなく、 ニューウェーブをちょっとかじっている人ならば、波動理論として比較的 よく知られている内容です。 まぁ波動理論は、まだ擬似科学扱いされていることが多く、社会で広く認知 されているわけではないのですが、私自身はそこそこ理解しています。 また波動理論とは別に、最先端の物理学理論である「超ひも理論」からも類似 した結論が導き出されます。(参考URL; http://www2c.airnet.ne.jp/phy/phy/76.html) 超ひも理論では、物質の究極の要素は10-35[m]の長さの「ひも」と考えます。 この「ひも」が振動するとき振動数の異なる波が生じますがこの1つ1つが 素粒子に対応するというものです。 物質がひもの「振動」=「波」だと考えれば、chihokoさんの意見はそう的外れ なものではないでしょう。 しかし、chihokoさんの記述からは、どちらの理論からの引用もないので一応 オリジナルな宇宙論かと思います。仮説の領域を出ないでしょう。 その仮説から導きだした  >つまり この宇宙は正弦波でのみ成り立っている。だから美しい。  >それを 神とよぶことはできる。しかし擬人化する必要はない。 という結論については、あまり科学的かつ論理的な意見とは思えないですね。 (個人の信念として意見を述べているとならば、それなりに受け止めますが)

参考URL:
http://www2c.airnet.ne.jp/phy/phy/76.html
chihoko
質問者

お礼

●科学とは 解っていること最小単位(これ以上説明できないもの)公理  から 実際に 観測 実験 などにより確証されたものの積み重ねです。  わたしの正弦波宇宙論は哲学(しあわせになるための自分の思考)であり  あらゆる制限の外にあるものです。  正弦波宇宙論は 宇宙とはなぜ 美しく 統一性があり 摂理を持ち  あたかも誰かが知恵の限りをつくして創造したが如くに完璧なのか?  その問に対する 現在の科学の持つ知識の範疇でたどりつく 最もまちがわない  わたしなりの回答なのです。  「そうか はじまりがひとつのものなら 美しいにきまっている。」  宇宙物理学もその「ひとつ」を探しているようなものです。  哲学なら考え方として「正弦波宇宙論」を扱えるのです。  ご回答ありがとうございました。