>東方問題が発生したころから、瀕死の病人と言われるようになったと考えてよろしいんでしょうか。
ごめんなさい。少し省略しすぎたかもしれません。
東方問題の最初と言われるのが1736年の露土戦争。
しかし、まだこの頃はまだ「外圧」にすぎず瀕死の病人とは言えないのです。なぜならオスマン帝国内の指揮系統は弱体化したとはいえまだ機能していたからです。
実際に瀕死の病人と呼ばれるようになったのは、ギリシアとエジプトの独立後1830年代からです。
外からの圧力(東方問題)、内からの圧力(民族自決の機運)が、オスマン帝国の大きな特徴であった強力な中央集権体制を無力化させ、それが顕在化したのが上の二つの事例になるわけです。
お礼
よくわかりました。ありがとうございました。