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処女が良いとされる思想の輸入

従来の日本観では、処女でなくともまったく問題がない、ということを聞きました。 現在では(少し前?)、処女が良いとされています。 この思想はいつ、どこから、どのように輸入されてきたのでしょうか。 文化人類学の本を読んで気になりました。ネットで調べても出てこなかったのでご教授ください。

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  • ベストアンサー
  • calla
  • ベストアンサー率55% (171/308)
回答No.8

処女信仰、広まったのは実は戦後です。 貞操の概念自体は以前からありました。キリスト教の布教や開国と共に離婚は駄目だとか、一夫一妻が良いという西欧思想は入って来ましたし、儒教との絡みでの縛りはありました。 が、絶対一夫一妻、セックスなんて駄目!だったかと言うと一般の認知具合は微妙です。 というのも、明治の戸籍には「権妻」というものが記載されているからです。 権妻とは何か? 正妻以外の妻、つまりお妾さんです。 これを戸籍に載せられる事自体、妾が市民権を得ており、一夫一妻も怪しかったという事では? それからこちらは戦前生まれ(出来れば戦前にもう子供以上だった方)に聞いて頂ければ解ると思うのですが、戦前までは「歌垣」というものがさかんでした。 「花いちもんめ」という唄をご存知でしょうか? 要は「あの子が欲しい」と意中の子を名指しし、自分の所に貰ってくる歌遊びなのですが、実際そうやって好きな異性を貰って来てラブラブになる、というのが歌垣です。 主に祭りの日などに催され、この日は(主として若者ですが)自由恋愛が許されました。 実際参加した事はなくても、見た、聞いたおじいちゃんおばあちゃんはまだ生きていらっしゃいます。 それから、戦後まもなく、判例として戦前の細かい民法、地域法を集める調査が学者によって行われました。こちら調査結果は法学系の大学図書館でしたら閲覧可能だと思われます(ちょっと名前を失念しましたが)。 その調査の中で岡山だったか四国だったかの地方の慣例法で「夜這いOK。何人通ってもOK。もしその相手が妊娠した場合、女の下へ通っていた男の中で、一番金持ちの男がその子の父親と定められる」というものもあったそうです。 これだと処女も何もフリーセックスですよね? ここまで行かずとも、これに近い慣例法は全国各地に散らばっていたようで、調べた人達が目を丸くしたとか。 貞操観念とは一人の主人に仕える事を決めた後から発生するものであって、それまでの間についてはそこまで咎めも無い模様で、戦前までは(地域差はあるにせよ)結構大らかだった模様です。 では何故これほどまでに処女概念が広がったかと言うと、それはメディアと交通網の発達のせいでしょう。 アメリカナイズされた生活やドラマ(昔のアメリカは寧ろ1人のダーリンに1人のハニーというのが当たり前なホームドラマとか作ってましたし)、それから政府の政策、また他地域との交流によって「そういう事をしなくても良い」または「そういう事をするのは恥ずかしい事」という風になってしまった結果と思われます。

その他の回答 (13)

noname#113190
noname#113190
回答No.3

確かに処女が尊重されるのはちょっと前だけで、わが国の歴史を紐解くと、僅かな期間になりますね。 公家さんたち「妻問婚」で、今で言う夜這いをしていますから、奈良・平安の時代はかなりルーズ。 鎌倉時代も、頼朝さんはプレーボーイですから、これも違う。 戦国時代などには「処女は面倒だ」という文献もあり、徳川家康の後家好みも有名ですし、2代将軍秀忠の奥さんの江与も再々婚でしたね。 江与の母親の市も浅井長政・柴田勝家と2人の夫がいます。 江戸時代は朱子学の影響や貝原益軒の「女大学」の影響かと思ったのですが、武士階級でも再婚率は高いですし、庶民階級ですと田舎では村祭りなどが男女の出会いの場になったりしていますからどうも違う。 恐らく、処女が尊重されたのは明治時代からのことではないかな。

saitamasan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 時代を追った説明参考になりました。

  • yosa03
  • ベストアンサー率33% (115/347)
回答No.2

そうでもないみたいですよ たとえば、大分県の一部では、8月15日に「ぼんぼぼ」という祭りが行われ、14歳になった娘は、祭りの夜に村の長老たちに処女を奪われる。 和歌山県でも、娘が13~14歳になると、村の長老に頼み込んで、処女を犯してもらう風習があったらしい。石川県にも同じ風習があったらしいのだ。 日本の風習は強制的な”納税”ではなく、娘の親達が頼み込んでお願いしていたらしい。 その頃は処女の血は不潔とされ不吉と考えれれていたのである。将来新郎の精液と処女の血が混じりあうと、妊娠しなくなったり、その家に災いがあると思われていたのである。だから新郎には新婦と交わる前に別の人間に流してもらう、清めてもらうと言う意味で長老達に頼まれていたのだそうです。

saitamasan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 今から考えるとすごい風習です。 今もどこか一部の地域で残っていたら大問題になりそうですね。

  • hayase
  • ベストアンサー率22% (45/200)
回答No.1

>現在では(少し前?)、処女が良いとされています。 ってのは君の偏見じゃないの?

saitamasan
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうかも知れません。 少なくても私の周りではそうです。

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