処女信仰、広まったのは実は戦後です。
貞操の概念自体は以前からありました。キリスト教の布教や開国と共に離婚は駄目だとか、一夫一妻が良いという西欧思想は入って来ましたし、儒教との絡みでの縛りはありました。
が、絶対一夫一妻、セックスなんて駄目!だったかと言うと一般の認知具合は微妙です。
というのも、明治の戸籍には「権妻」というものが記載されているからです。
権妻とは何か?
正妻以外の妻、つまりお妾さんです。
これを戸籍に載せられる事自体、妾が市民権を得ており、一夫一妻も怪しかったという事では?
それからこちらは戦前生まれ(出来れば戦前にもう子供以上だった方)に聞いて頂ければ解ると思うのですが、戦前までは「歌垣」というものがさかんでした。
「花いちもんめ」という唄をご存知でしょうか?
要は「あの子が欲しい」と意中の子を名指しし、自分の所に貰ってくる歌遊びなのですが、実際そうやって好きな異性を貰って来てラブラブになる、というのが歌垣です。
主に祭りの日などに催され、この日は(主として若者ですが)自由恋愛が許されました。
実際参加した事はなくても、見た、聞いたおじいちゃんおばあちゃんはまだ生きていらっしゃいます。
それから、戦後まもなく、判例として戦前の細かい民法、地域法を集める調査が学者によって行われました。こちら調査結果は法学系の大学図書館でしたら閲覧可能だと思われます(ちょっと名前を失念しましたが)。
その調査の中で岡山だったか四国だったかの地方の慣例法で「夜這いOK。何人通ってもOK。もしその相手が妊娠した場合、女の下へ通っていた男の中で、一番金持ちの男がその子の父親と定められる」というものもあったそうです。
これだと処女も何もフリーセックスですよね?
ここまで行かずとも、これに近い慣例法は全国各地に散らばっていたようで、調べた人達が目を丸くしたとか。
貞操観念とは一人の主人に仕える事を決めた後から発生するものであって、それまでの間についてはそこまで咎めも無い模様で、戦前までは(地域差はあるにせよ)結構大らかだった模様です。
では何故これほどまでに処女概念が広がったかと言うと、それはメディアと交通網の発達のせいでしょう。
アメリカナイズされた生活やドラマ(昔のアメリカは寧ろ1人のダーリンに1人のハニーというのが当たり前なホームドラマとか作ってましたし)、それから政府の政策、また他地域との交流によって「そういう事をしなくても良い」または「そういう事をするのは恥ずかしい事」という風になってしまった結果と思われます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 時代を追った説明参考になりました。