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環境倫理

こんにちは。 NHKの環境問題のドキュメンタリーを見て考えたことなんですが、自然破壊という事実が深刻になっているにもかかわらず、どうして人間はそのことに気づいていても利益を追求し、破壊を止めないのでしょうかね。 自分自身もそうですけど本当に人間というのは愚かなものですね。結局は自分たちの首を絞めることになるのに、現にもう締めかけられかかっていることもありますよね。 環境を倫理的に考えるというのはどういったことなんでしょうか。 私自身、自然の中では何が一番大事なのか、人間であるのか、植物であるのか、そもそも人間が自然を破壊してよいということはどのようなことであるか考えにくいです。 みなさんの意見を聞きたいです。よろしくお願いします。

みんなの回答

  • emeny
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回答No.4

 環境問題は人間に起因し人を含む自然や生態系に大きなダメージを」与える。人間が快適な社会生活をするために自然は犠牲になっています。自然の破壊が地球自身に悪影響があるように思われますか。地球温暖化や海洋汚染により生物の種の多様性が失われるとも思いますね。地球にはおよそ3000万種の生物が生きていますが、環境問題で種の多様性は失われているのですよ。私のつまらない話をしている間にも、生態系は滅びかけているのかもしれません。人が原因で自然やかけがいのない地球が滅ぶのかもしれません。  地球が滅ぶとき。そう、それは人間が原因の環境問題ではありません。実は太陽の死でブラックホールになり飲み込まれるのではないかという考えです。しかし、あと数億年から数十億年という、私たちはとっくに死に将来の子孫の世帯ですね。だから、太陽が爆発しないと地球は存在し続けることができるのです。だから、環境保全や環境保護や地球を守る活動ではないと申します。それは、環境問題で生態系が破壊されると、別の生物が進化し分化していける環境ができ別の多様性が生まれるからです。しかし、今の生物多様性は失われますが。しかし、生物の危機は過去に1度起きています。それは氷河期です。氷河期に恐竜が滅んだこと、そして多くの生態系を失い、また選択を余儀なくさせられた昆虫もいます。それは、カゲロウという儚い命の象徴の虫です。カゲロウの成虫は自分の快楽を諦め、子孫を残すことに専念したのです。勿論、食事をする楽しみも諦めて。カゲロウは数時間の命しかありません。だから、環境問題も人の絶滅のみがあり、その後の生物の進化もあります。  環境保全は人間の絶滅を回避する行動です。人間は未来にも生き残りたいだけです。それを、食料問題や資源分配への紛争となり、食料戦争が起こるのではないかといわれています。地球温暖化で、日本もコメの品質が悪化するなど被害が出ています。夏の野菜ゴーヤも昔は沖縄しかできませんでした。それが北上し日本全国で栽培されるようになりました。それは品種改良の成果ではありません。それが地球温暖化の影響です。それが、寒冷な気候の栽培植物の栽培に悪影響を与えています。そんなところまで多様性が失われています。  人間は、様々な悪影響を与えました。しかし、現在は持続可能や社会を推進しようともしています。2005年の京都議定書発効後の次の議定書づくりも計画しています。環境法は行政や企業のみなく国民にも責務があります。つまり、市民からも環境改善をしないといけません。循環型社会推進基本法と各種リサイクル法(自動車リサイクル法、家電リサイクル法、建設リサイクル法など)という法制度もあります。再利用、再生利用、熱回収という三つの取り組みがあります。勿論、ペットボトルの詰め替えから。次に、ペットボトルからカバンにする。それが大切です。里山の保全で、管理竹林を増やし、人の手で明るい森を目指しましょう。外来種を持ち込むのもやめましょう。ペットは自然に返さずに、保健所で処分しましょう。それで、外来種はかなり減ります。  最後に、環境倫理の考えに触れましょう。人間中心主義からの離脱。地球全体主義(自然中心主義)として、生態系の中の人を自覚する。世代間倫理といって、将来の子孫のためにも現在の地球や美しい地球を残そうとすることです。決して、地球や生態系のための環境保全ではありません。人のための環境保全です。

回答No.3

きわめて難しい問題ですね。私はここで答えを述べる能力がありませんが、この分野には以前から大変興味を持っていましたので本をご紹介します。 加藤尚武著「環境倫理学のすすめ」丸善ライブラリー 素人の私ですが、無理なく読むことが出来ました。また、 同著「応用倫理学のすすめ」丸善ライブラリー も参考になるかと思います。

参考URL:
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=30972355
  • ariga10-1
  • ベストアンサー率32% (27/83)
回答No.2

人間はまだ環境問題の深刻さに築いていないのだと思います。このままではまずいと思われているひとはたくさんいますが、実際に取り組まれている、対策を立てている人は少ないといった状況です。かなり自分勝手ですね。環境保全を進めすぎると経済成長の低下や特定業種へ影響集中の問題からアメリカは気候変動枠組み条約から抜けたのでしょうが、巨大ハリケーンのカトリーナやリタがやってきたのは自分たちが招いた結果だというのにまだ参加していませんし・・・(しかし問題なのは一部の人だけのようです。近年アメリカ内でも温暖化対策に取り組む人が増えているようです) 技術の発展と環境保全を同時進行で行うというのは環境破壊につながりはしますが、技術が発展するだけならあまり影響は無いと思います。排出CO2の少ない、エネルギー効率のよい機械や乗り物が開発されるのならあまり問題は無いでしょう。問題は現在の社会が環境破壊につながることで得られること(製品や電気など)を要求してしまうことでしょう。特に日本人は過剰な贅沢と、世間体を気にしすぎる点が問題なのだろうと思います。

回答No.1

環境保全だけを考えた生活をするなら、 今の生活八割方できなくなるのではないでしょうか? 車など地球温暖化、エネルギー問題の点から全て禁止となればもう生活どころではないですよね。そして、環境保全のために現在の全ての生活を捨て、自然と共存しよう。となってもこれはこれで困りますよね。 ですから、環境問題が深刻になっている中で、人々が環境保全を訴えることは、現在の人間生活を「非難」する倫理力はあっても、今の生活、科学技術の発展を止めるまでの倫理力にはならないと私は思います。 環境問題は本当に深刻になってきていますので、より大きな問題意識をもって集中的に取り組んでいかなくてはならない事だと思いますが、技術の発展と環境保全を同時進行でやっていこうという人間のわがままが今の生活になっているのではないでしょうか? これはあくまで私の個人的予想ですが、環境保全を訴える中で、科学技術は非難された形となっていますが、行く行くは科学技術の発展により環境が守られる時代が来るのではないかと思っています。というかそれ以外に道は無いんじゃないかな…と…

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