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殺人を犯したらぜったい死刑?(長文です)

25歳女です。カテ違いでしたらご指摘願います。 先日友達と白熱した議論になってしまいました。皆さんはどう思われますか? 友達は、殺人を犯した人はぜったい死刑にすればいいのに。という意見。 私は、殺人を犯したからといってぜったい死刑というのはおかしい。という意見。 の対立です。 友達はそうすれば平和な世の中になる。と言いますが、ほんとうに友達の言うような世の中にしたら、平和になるのでしょうか?わたしはそうは思いません。 なぜなら被害者にももしかしたら非があるかもしれない。と思うからです。確かにニュースにされている殺人事件を聞くと犯人死刑にしろよ!と思う反面、もしかしたら報道されていないところで、被害者にも非があるかもしれないと思ってしまうからです。 だから裁判というものがあって、殺人をおかした犯人にも弁護士が付くんですよね?間違っていますでしょうか? 難しい問題だと思いますが、宜しくお願いします。

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回答No.1

あながち間違いでもないかもしれませんよ。 昔、尊属殺人という罪名がまだあったころ、中2から20代半ばまで、およそ10年に渡って、実の父親から性的虐待を受け続け、5人の子供を堕胎、3人をやむなく出産(初めての出産は17才)した女性が、とうとうその父親を殺害したという事件がありました。 その女性は結局執行猶予が付き、社会で罪を償いました。そしてこの事件がきっかけで尊属殺人罪は「量刑が重過ぎる」という理由でなくなりました。 その女性の殺害動機を考えれば、死刑か無期懲役しかない尊属殺人は不当だという、司法の判断から、普通の殺人罪になりました。 つまり、殺人罪でも執行猶予の可能性はゼロではないのです。 執行猶予だからと言って、お咎めなしというわけでは決してありませんが、社会復帰が望まれた殺人犯もいるわけです。 私はこの判決は不当ではないと思いますが、「人を殺しておいて、しかも実の父親を殺めておいて、執行猶予だなんて」と憤る方もいらっしゃるでしょう。 そういった論議は、この先も長い間尽きる事無いでしょうね。

noname#43713
質問者

お礼

さっそくありがとうございます。 そういった事件があったのですね、参考になりました。 ちなみに友達との議論の最後は、お互い意見が違うね。で終わったので、どちらにしろ、友達とこのような社会問題で議論したことはとっても有意義だったととっています。

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  • kenojisan
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回答No.12

法律論には素人の人間なので、聞きかじりの知識でご容赦を。 刑罰の目的はおよそ次の3つではなかろうか、と。 1.報復的要素  被害者や社会的感情を考慮した報復的観点。他の回答者さんの回答を見ても分かるように、世の中の一般論としては、この観点を刑罰の存在理由の一番に考えているようですが、実は現代の法律論としては一番小さな要素としているはずです。 確かに、法の適用においてもこういう世の中の感情を全く無視するわけにはいかないでしょうが、報復目的の刑罰ではリンチと同じわけで、国家が面倒な裁判制度や刑務所などのシステムまで設けて刑罰を執行する必要はないわけです。 2.犯罪抑止効果  一見、刑罰を強化すれば犯罪の抑止効果が上がりそうですが、死刑に関してはそうでもないという調査結果もあるようです。実際に、死刑相当の犯罪に対しては、大半の人間は冷静な状態では罪の重さを認識しているはずで、刑罰の重さにそれほど影響されるようにも思えません。死刑にならないからと言って、安易に人を殺すとは思えないです。 3.矯正効果 刑罰を与えることで犯罪者の反省を促し、更正社会復帰を目指す。こういう考えは、犯罪を目の前にした時の感情論としては非常に生ぬるいものに思えるようですが、私はやはり一番重視すべき観点だと思います。 殺人を犯したような犯罪者に、矯正効果などあり得ないように思えるかも知れませんが、そうでしょうか? 最近の凶悪犯罪でも、動機があまりにも幼稚で単純なケースを良く見ます。殺人の場合にも、人の命を奪うということの重大さを理解して犯罪を行ったのか疑問に思えます。逆に言えば、こういう未熟な人格者にはまだ十分に矯正の余地が有るように思えるのです。 例えば、いま幼稚園児ぐらいの子供達にピストルを持たして遊ばせてたら、ちょっとしたケンカで簡単に人を殺すような子もかなり出てくると思います。でも、当然、そんな子供に十分な人格教育を施せば、自分のしてしまった過ちの重さを理解出来るようになると思うのです。 いま、有名人や社会的貢献の大きい人たちの中にも、若い頃に犯罪を犯したり犯罪者相当のことをやっていたという人は珍しくありません。 若い頃に暴走族だった俳優さん、元暴力団員の作家、ヤンキーだった歌手...しかし、今は昔の自分の行為の愚かさを知り、深く反省して真面目な大人になっています。若い頃の過ちの中には、イジメ、レイプ、カツアゲ、集団暴行など殺人一歩手前のような犯罪も有ったかも知れませんし、その被害者からすれば簡単に更正しましたなどという言葉で許せないものも有るでしょう。 でも、彼らの昔の過ちの時点で人生を終わらせてしまっていては、今の彼らは存在しないわけです。殺人行為にのみ更正の可能性が無いと考えるのは、不合理に思います。 この矯正効果以外にもう一つ死刑執行に注意したい観点が、判断の難しさです。良く言われる審判の誤審の可能性は当然大問題ですが、それ以外にも「情状酌量の余地がない」をどう判断するか。 例えば、 1.現在の政治体制の腐敗に憤激して、社会改革を意図した大量殺人。本人は、あくまで社会正義のためだと信じている。狂信的な宗教などもこれに近いですよね。 2.被害意識などによる報復殺人。社会的イジメや人種差別、部落差別、などで社会自体に恨みを持った大量殺人。本人は、殺人行為も正統な報復行為だと信じている。 3.倒錯的な殺人。現実社会の認識があまり正確に出来ず、殺人という行為の重要度が認識できないケース。病的な人格欠落者かどうかの判断が非常に難しい。また、そもそも病的な人格欠落者であっても、死刑対象外とするのかどうかという問題もある。 こういうケースの「情状酌量の余地」をどう判断するのか? 死刑執行というのは、社会の力で誰が責任を感じることもなく一人の命を奪う行為であり、全くやり直しが出来ないことを考えれば、極めて慎重に行うべき刑罰だと思います。出来れば、死刑の替わりに、終身刑の導入を考えるべきではないかと思っています。

noname#43713
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 刑罰の目的の詳細を教えていただき、大変参考になりました。 参考にさせていただきます。 >死刑執行というのは、社会の力で誰が責任を感じることもなく一人の命を奪う行為であり、全くやり直しが出来ないことを考えれば、極めて慎重に行うべき刑罰だと思います。出来れば、死刑の替わりに、終身刑の導入を考えるべきではないかと思っています。 そうですね、終身刑についても考える必要がありますよね。 とても参考になりました。

回答No.11

量刑が死刑・死刑以外の二元論で片付けられない次元であり、個別のケースによっては死刑相当の場合もあるし、そうでない場合もあるわけです。

noname#43713
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • NCU
  • ベストアンサー率10% (32/318)
回答No.10

社会防衛や被害者の感情を考慮すれば刑は重いに越した事はないのでしょう。 極端にいえば死刑以外の刑は要らないかもしれませんね。 そうなったら私はさっさと海外に逃げますが。 人間は月ロケットは作れてもハエ一匹作れないくせに、人を意図的に破壊するのはどう考えても野蛮で粗雑で暴力的で無神経なので、反対です。あり得ません。 当然、戦争にも行きません。バカじゃないからです。

noname#43713
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人の命について考えさせられちゃいました。 参考にさせていただきます。

  • buchi-dog
  • ベストアンサー率42% (757/1772)
回答No.9

ハムラビ法典の話は、一般には誤解されております。「目には目を」というのは、 「やられたらやり返せ」 という意味ではなく、 「相手の目を潰した者を殺してはならない。許されるのは、その者の目を潰すところまで」 という意味です。 さて、私は 「殺人罪は、減刑する理由がなければ死刑。減刑の理由があれば刑を減ずる。執行猶予も有り得る」 で良いと考えます。このようにすれば、No4さんが紹介された「尊属殺」のケースも処理できます。質問者様の言う 「私は、殺人を犯したからといってぜったい死刑というのはおかしい。という意見」 というのはそういうことではないのですか? そもそも、殺人によって奪われた他人の命は決して戻りません。 現在は 「一人殺したら死刑にはならない。三人殺したら死刑になる」 という裁判所の量刑基準が存在し、光市の母子殺人や広島の少女殺人で世論が沸いております。当たり前です。故なくして他人の生命を奪った者が 「酌むべき情状はなく、犯行は悪質極まりない。しかし、死刑とするのは躊躇されるので懲役刑に処す」 と判決されるのがおかしいのです。 裁判所が、独りよがりの量刑基準を変更し 「被害者が一人でも、酌むべき情状のない殺人は死刑」 という判例を確立することを望みます。

noname#43713
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうなんですか。ハムラビ法典、わたしも勘違いしていました。 「殺人罪は、減刑する理由がなければ死刑。減刑の理由があれば刑を減ずる。執行猶予も有り得る」 その通りです。 「とにかく人を殺したらぜったい死刑にする」というのが友達の意見だったので議論になっちゃいました。。 「裁判所の量刑基準」というのが存在するのを今知り、びっくりしてます。 とても参考になりました。

  • linus1974
  • ベストアンサー率19% (71/370)
回答No.8

情状酌量の余地が全くない殺人の 場合は、死刑でもいいんじゃないかと 思います。 根拠は遺族の感情の問題です。 家族を殺されて、犯人は死なずに済む というのは納得いきませんから。 少数派の意見だと思いますが、 回答しました。

noname#43713
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「情状酌量の余地が全くない殺人の場合は」ですよね。それを友達に言っても聞く耳を持ってくれなかったので議論になっちゃいました。

回答No.7

 かつて「ハムラビ法典」というものがありました。ご存知と思いますが、「目には目を」ってやつですね。これは、現在では古代の野蛮な法律という評価しかないかもしれませんが、実際は、この法律の精神は「あだ討ちが横行すると国の治安が際限なく乱れるので、『私刑』を禁止して国家が代わりに裁く」という、一歩進んだ法精神に基づくものです。  現代の日本の法社会は、果たしてハムラビ時代の精神より進歩していると言えるかどうか。正義が貫かれているといえるかどうか。もしかすると、インターネットが普及してきた現代、ハムラビ朝以前の野蛮な時代に逆行するかもしれませんよ。

noname#43713
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ハムラビ時代のお話ですか、すごく前からの問題なのですね、この問題って。人間社会として避けて通れないということを痛感しますね。ハムラビ朝以前の野蛮な時代に逆行、ありえるかもしれませんね。。 結果、友達との議論の最後は、お互い意見が違うね。で終わったので、どちらにしろ、友達とこのような社会問題で議論したことはとっても有意義だったととっています。

  • black2005
  • ベストアンサー率32% (1968/6046)
回答No.6

ケース by ケースでしょう。 全く罪や非の無い人間を殺したら、即死刑・・・大賛成です。 犯人の人格なんてクソ食らえです。 無差別殺人や弱者に対する殺人は、これに相当すると思います。 しかし、現実にはこのケースは非常に稀で、被害者にも少なからず罪や非があるのが一般的でしょう。 例えばNo.1さんの挙げられた例なら、加害者は無罪でも良いと思います。 殺されたのは人間じゃありませんから・・・ となると、難しい問題ですね。 ただ、犯人の人格矯正を目的とするために死刑を廃止するのは、絶対反対ですね。 罪状は、あくまでも被害者側の立場に沿った判決であって欲しいと思います。 よって、時と場合によっては死刑も有りです。

noname#43713
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ケース by ケースということを一生懸命説明しようとしたのですが、友達はわかってくれませんでした。そのため、議論となってしまったのです。つまり死刑を反対しているのではないと説明したのですが、だめでした、議論になっちゃいました。。 結果、友達との議論の最後は、お互い意見が違うね。で終わったので、どちらにしろ、友達とこのような社会問題で議論したことはとっても有意義だったととっています。

回答No.5

死刑にする理由から考えてみるとよいです。 (1)社会に復帰すると危険なので死んでもらう。 (2)因果応報、「目には目を」 (2.5)被害者にかわったあだ討ちである。 (3)抑止力として働き、犯罪自体を思いとどまる。 みたいなところで、それなりに説得力もあると思います。 しかしそれぞれ弱点もあり、例えば抑止力がはたらかない人がいるのも事実といえるでしょう。

noname#43713
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 死刑にする理由ですか。また考えさせられてしまいました。とても参考になりました。 結果、友達との議論の最後は、お互い意見が違うね。で終わったので、どちらにしろ、友達とこのような社会問題で議論したことはとっても有意義だったととっています。

  • thor
  • ベストアンサー率35% (600/1682)
回答No.4

そういうことをいう人には、私は二つのことを言います。 1)〉そうすれば平和な世の中になる 「と言うのは、死刑になるのが嫌だから殺人をする人間がいなくなる、と言うことですね?」の確認した上で、 「あなたは殺人をしたことがありますか」と聞きます。 「ない」と言われたら、「それは、死刑とは言わないまでも刑務所に行くのが嫌だからですね? 法律とは関係なく、自分の中に、人を殺してはいけない、というルールはないんですか?」と聞きます。 「はい」と言うようならおつきあいはやめますね。 2)もうすぐ導入される裁判員制度では、ご友人も裁判員として裁く側にまわることになるでしょう。 そのような状況として、次の事件について判断してください。 ・事件は、殺人事件。ある女性(29歳)が実の父親を絞め殺したというものです。 ※ご友人の意見では、被告人は死刑ですね。 ・被告人は、14歳になったばかりの頃、実父(被害者)にレイプされました。母が別居した後は特にレイプされ続け、5回妊娠しました。 ・29歳になった彼女には、職場で恋人ができました。 結婚したいと被害者に言ったところ、被害者は激怒し、翌日から10日間ほど、外出を禁止して昼夜とも監視し、脅迫・暴行し、夜も安眠させないほどの虐待をしました。 ・そして、10日後の夜、泥酔した被害者と口論した被告人は、首を絞めて殺しました。 「この人は死刑ですか? それがあなたの正義ですか?」 ちなみに、実際に昭和43年10月5日に日本で起きた事件です。  当時の法律では、死刑か無期懲役にしかなりません。 大議論になって、最高裁までいった事件です。 法律を勉強した人間ならたいてい知っているはずです。

noname#43713
質問者

お礼

さっそくありがとうございます。 そのような事件があったのですね、#1さんと同じ事件でしょうか?呼んでいるうちに涙が浮かび、胸が熱くなってしまいました。まったく私は法律について知識がない人間ですが、この事件、一生胸に留めておきたいと思いました、ありがとうございます。 ちなみに友達との議論の最後は、お互い意見が違うね。で終わったので、どちらにしろ、友達とこのような社会問題で議論したことはとっても有意義だったととっています。

  • hanzo2000
  • ベストアンサー率30% (552/1792)
回答No.3

議論になると削除対象になってしまうみたいなので、 このような話題は、質問者と回答者で議論になってしまわないように、 お礼や補足で、あなたがうまくリードしてくださいね。 このような内容は、あるいは議論にしないためには アンケートカテが適切かもしれませんが、まあいいや、ということで。 私もどちらかというとあなたの意見に賛成ですが、 いろいろな意見があることも大切だと思っています。 たとえば、考えようによっては、 「殺人を犯したら絶対死刑」という考え方もできなくもない、と思います。 それは、「殺人の定義を狭くすればいい」というものですね。 明らかに殺意があって、情状酌量の余地がないものを「殺人」という狭義の定義にしてしまえば、 殺人=死刑、という法制度も検討に値するかもしれません。 もちろん裁判も弁護士も必要、という前提です。 もちろんこの考え方が正しいとは思いませんが、 いろいろな意見があって、みんなが触発されあって、 新しい結論が見つかることもあるので、 あなたとお友達の意見が違うことは、 決して悪いことではありませんし、 どちらが合っている、と決めちゃうのももったいないと思います。 どちらが正しくてどちらが間違っているかという考え方じゃなくて、 それぞれの正論の部分を汲み取って、 よりよい結論に到達できるように考えてみてはどうでしょう。 ねじ伏せることが議論じゃないですからね。 議論で、相手をねじ伏せようとしてしまったんじゃないですか?

noname#43713
質問者

お礼

さっそくありがとうございます。 議論したら削除されちゃうんですね。今知りました、情報ありがとうございます。 たしかに…ねじ伏せようとした部分がありました…反省です。 結果、友達との議論の最後は、お互い意見が違うね。で終わったので、どちらにしろ、友達とこのような社会問題で議論したことはとっても有意義だったととっています。

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