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躁鬱病の父が自殺未遂をしました
処方された薬(+α?)を大量に飲み、心肺停止状態で発見され、 救急車で運ばれた病院のICUに入り、人工呼吸器をつけています。 離婚した私の母の家の留守電に、 「今から薬を飲んで死ぬ」というメッセージが入っていたそうで、 仕事から帰った母がそれを聞き、心配になって見に行ったところ、 いびきをかいて寝ていたので、とりあえず近くの消防署の方を呼びに行って戻ったら、 もう脈がなかったそうです。 意識回復の可能性は低く、 このまま植物状態になる可能性が高いというのがお医者様の診断でした。 私が子どものころからおかしいな、という時期があり、躁状態でひどいときは 母が首を絞められて殺されそうになり、夜逃げ同然で逃げました。 躁状態がおさまれば、普通に話もできるのですが、 やはり波があり、薬漬けのこともあり、時々おかしな言動をしていました。 私は父と母が別居してからほとんど父とは会っておらず、 何か変なことを言われるのが嫌なので、電話もほとんどしませんでした。 住所も突然押しかけられてはこまるので、教えていません。 (以前私の学校に用もないのに勝手に来たり、異常な行動をしていたこともあるので) 私自身も少しうつの症状があり、父が苦手な部分もありました。 父は、どうしたかったのでしょうか。 死なせてあげるのが、父にとって幸せなのでしょうか。 少しでも意識が回復する見込みがあるのなら、 父は意識を回復すること、目覚めることを望むでしょうか。 延命治療はいらないという手紙もありました。 意識のない父を見て、どうすればいいかわかりません。 私はどのように心を持てばいいのでしょうか。 もう話せないかもしれないのなら、 何か、話がしたかったな、と思ったりもします。 今からできることってあるんでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
専門家でもないのでえらそうなことを言う資格はありませんが、 文章から想像すると、お母さんのところに電話をしてきたのなら お父さんはやはりいつも自分の妻と子供のことを考えていたのだろう と思います。 はじめからそんなに暴力的だったということもないと思います。 あなたのお母さんから、お父さんのことについて話を聞いてみては どうでしょうか。どういうふうに知り合ったとか、あなたが産まれ たときの話、なぜ変わってしまったのかなど。 これまでとは少し違った接し方ができるかもしれません。 鬱で自ら命を絶つことをえらんでしまった人が、どういう思いで あったのかはわかりません。 今までのことを忘れるのは難しいかもしれませんが、できることなら もし目をあけることがあればそのときにはそばにいてあげてほしいと 思うのですが。
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- peko_pee
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No2です。返事をいただいたのでほかの方へのお礼も併せて読ませてもらって 自分が軽々しく書き込みをしたことに反省しなきゃいけないなと思いました。 返事の中に、あなたのお父さんはプライドが高いとありましたが、同時に強い 責任感も持っていた人だと想像します。それゆえ、いろんな問題を自分でなん とか解決しようとひとりで抱え込み、次第にがんじがらめになってしまったよ うに思います。 問題があるときに家族や知り合いにうまく振り分けて荷を軽くできると切り抜 けられることもあるのでしょうが、周りにあまり迷惑はかけたくないという 思いもあったのか、あなたのお父さんはそういう振り分けがあまりうまくなかっ たのかもしれません。 そういう状態の反動が躁鬱の病とか後の暴力的な言動に表れてしまうんでしょうが、 男は感情を抑えられなくなった時の言動について、冷静になったときに結構 後悔することがあって、それと鬱ということが合わさって今回のようなことに なってしまったような気がしています。 あなたについて考えてみても、一般論をのうのうと書いた僕のほうが恥ずかし くなるくらいいろんなことを経験して悲しいとか辛いとかと思うことが多かっ ただろうと思います。 弟さんの世話なども大変なことが多かったでしょうに、これまでよくがんばって きましたね。 またひとつ大きな出来事があって、何をどうしたらいいのかわからなくなって ここで質問したのに、こんな回答では満足な結論は出ませんよね。 でも、ここにメッセージを書いた他の方も同じだと思いますが、あなたのこと を考えて少しでも役に立てればと思って書いたものです。僕は的確なアドバイ スはできませんでしたが、ほんのちょっとでも気持ちを楽にしてもらえたなら ば嬉しいです。 ぜひ気丈なお母さんを支えてあげてください。 それと「また鬱もしくは躁の状態になってしまったら…」と心配していますが あまり悪いほうにばかり考えないほうがいいですよ。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。 たくさん思っていることを書いてしまいましたが、全部読んでくださったなんてうれしいです。 すごく重い話で申し訳ないです。友人にも重過ぎて話しにくく、ここで相談させていただきました。 そうですね、父は結構一人で抱え込むタイプだったかもしれません。 最近は、祖母の介護のことで兄弟と話がまとまらず、ひとりで悩んでいたようです。 私は全然がんばってなくて、母の方がすごいんですよ。 少し前までは、小さいころ母が弟の世話で忙しく、かまってくれなかったことや、家事がおろそかなことを根に持っていたり、自分がうまくいかないことをすべて母のせいにしてしまったりしていました。 甘えたくてもうまく表現できない、素直に甘えられないんですよね。 ただ、普通の、サザエさんのような家庭に本当に本当に憧れていました。 家庭科の宿題で、夕食のことを書かされたときは、ほんとに悲しくなりました。 みんなで食卓を囲んで食事をする、そんなことに憧れていました。 2回も回答をくださったpeko_peeさん、そしてここでお返事くださった皆様、最後まで読んでくださった皆様にとても感謝しています。 本当にありがとうございます。
- sinkyou
- ベストアンサー率39% (212/531)
回答・補足いただきありがとうございました。拝見しました。 わたしは、カウンセリング研究会で学んでいるのですが、今質問者さんのお母様の姿勢には学ぶことが多いように思います。 質問者さんもお母様の気持ちを尊重され、お母様をサポートされ、お父様に対する意志などを学んで行かれれば今後につながると思います。 今しかできないことは沢山あります。ご自身に出来ること、思っていることを実行することで、悔いの残ることがないようにしていって下さい。
お礼
回答ありがとうございます。 母は慈悲の気持ちが強いのでしょうかね? 弱い人間をほっておけないのかもしれませんね。 病院にいき、反応のない父に声をかけ、 何もしてあげられることもなく、 正直父を見ているだけでも辛いです。 今しかできないこととはなんなのでしょう? 申し訳ありませんが私にはわかりません・・・
- cian
- ベストアンサー率10% (32/315)
父親にとって楽になれる方法を考えてあげたほうがいいと思います。 もう何十年も苦しんできたのだと思います。 私もその系の病気ですのでわかるのですが、とても苦しいです。 病院の医者でも治せなくて、警察も頼りになりません。 何度も自殺未遂してきました。 もし意識が戻っても、苦しい状態には変わらないのです。 ただただ苦しい状態をもっと続けるだけなのです。 これで楽になれるのだと、あなたにはつらい事だと思いますが、そう考えてはもらえませんか?
お礼
回答ありがとうございます。 私も正直、このまま意識がもどらないのであれば、 もう死なせてあげればいいのではないかと思います。 ただ、母はそうは思っていないようですが・・・ やはり、自分が自殺を止められなかったという気持ちがあるのでしょうか・・・
- aoki_momoto
- ベストアンサー率38% (98/257)
No.4です。そみません。舌足らずでした。 >あなたには、お父様を恨む気持ちもお持ちかと思いますが、 >それは正常な気持ちだと思います。それで良いのだと思いますよ。 ↑ あなたの心の中にそういう感情が芽生えたとしても、それはあなたの心の中から沸きあがった純粋な気持ちですので、ご自分を責めたりなさらなくてよいと思います。 ・・・そういう意味で書きました。
- aoki_momoto
- ベストアンサー率38% (98/257)
お父様は、自分の辛さや苦しさ、寂しさを打ち明ける相手がだれもおらず、ずーっと一人で考えていたのでしょうね。 この結末は、「自分がどれだけ苦しく、寂しかったのかを分かってほしかった」という最後の意思表示だったのかも知れません。 でも、自殺は犯罪です。絶対やってはいけません。 あなたには、お父様を恨む気持ちもお持ちかと思いますが、それは正常な気持ちだと思います。それで良いのだと思いますよ。 お母様は、お父様の事をよく分かっているだけにとてもとてもお辛い気持ちを抱えていらっしゃると思います。 あなたがただ傍にいてあげるだけでも支えになると思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに、うつ状態の時は、自分の気持ちを誰かにわかってほしい、 しかしうまく人に頼れないときもありますよね。 私もうつ状態だったことがあるのでわかります。 恨む、というようりは、どうしようもない、という感じですね。 でも父なんですよね。 この人がもしいなければ、私は産まれていなかった。 母が父のことをよく理解しているのかどうかはわかりません。 被害妄想気味で、異常なことを口にする父に、「自分の方がおかしいのか?」と思ったこともあるそうです。 ただ、父は友人もおらず、仕事もしていなくて、 そういう意味では時々だけれども一番話を聞いてあげていた相手だったのかもしれませんね。
- sinkyou
- ベストアンサー率39% (212/531)
日頃から薬を飲まれていたということで、経緯をお母様に聞いておかれた法が、お父様の今の現状を受け止める方法だと思います。 お母様もお父様のことをどれだけ理解していたかが気になるところです。お父様は、薬を飲みつつも正気を保とうと必死になっておられたのではないでしょうか、辛い思いをお母様が受け止めきれなかったのかもしれませんね。 首を絞めた行為も、夫婦間でのコミュニケーションの不足があったのではないでしょうか。 離婚という結果になったあとも、お父様にとっては、「家族に見捨てられた」という辛い思いが一層のしかかり、「消えてしまいたい」「自分なんかいない方がいいのだ」という結論になってしまっての行為ではないかと推察します。 ケースとしては、家族さんが理解を示し、関わっていくことが望まれますが…。難しい問題ですね。
お礼
回答ありがとうございます。 薬は、いわゆる抗うつ剤とか、精神安定剤だと思います。 薬の副作用か、目はとろんとして、表情もあまり良くなかった気がします。 プライドが高いので、 「精神科に行くのははずかしいことだ」「こんな薬がなくても大丈夫だ」と勝手に思い込み、 薬をやめてしまうことがありました。 それを繰り返す、学習しないことに、母も疲れてしまったのでしょうね。 夜逃げから別居状態になり、しばらくして母から正式に離婚したことを告げられました。 ただ、母は時々弟を預かってもらったり、行ったりきたりはしていたようです。 双子の方の下の弟が、別居して4年後ぐらいに突発性心臓発作で死んでしまったのですが、 その時ずっと会えずにいた父が、もう死んでしまっている息子を見て、つらい気持ちだったのでしょうね。 それから、時々は上の弟を父に預けるようになったようです。 話はそれるのですが、その下の弟が亡くなったときも、私も、母も、もちろん父も 立ち会えませんでした。 上の弟だけが、そばにいました。家で、2人そろって寝かせている状態だったので。 休日で、母は趣味の会に出かけており、私は家にいたのですが、 母の日だったので、少しの間近所にカーネーションの花を買いに行き、 帰ってきたときは、もう冷たくなっていました。 母は大変後悔し、趣味も辞めてしまいました。 私は突然のことに驚き、一人でどう対処してよいのかわからず、パニック寸前でした。 心臓の音が聞こえなかったときの衝撃は、今でも忘れられません。 それを思うと、意識はなくても、まだ生きている父に対面できたことは、 良かったかもしれません。 首を絞めたのは、もう躁状態で、夜どこかに出かけて帰ってこず、 鍵を閉めて寝ていたら、父が帰ってきて、鍵を持ってなかったようで、 ドアを叩きまくり、ついにはドアの硝子を割り、ドアを壊して中に入ってきて、 母の首を絞めたのです。 私は怖くて、母を助けにいくこともできず、布団の中で泣いていました。 それから、硝子の割れる音や、男の人が大声でどなったりするのが怖いです。
補足
母は、父の面倒をみていくことを覚悟しているようです。 父方の母も要介護状態で、男3人兄弟なのですが、だれも奥さんがいません。 父の兄も父と同じように離婚しました。うつかどうかはわかりませんが、 性格的にも似た部分があり、酒乱のようでした。 また、父の実家も他府県で遠いので、祖母の面倒をそちらで看てもらうかわりに、 父はこちらで面倒みます、ということになりそうです。 祖母の面倒をどうするか、ということで、男3人兄弟で、いろいろもめたのかもしれません。 父もいろいろ考えてしまうので、そのことに疲れてしまったのかもしれません。 母はとても強いと思います。 父の兄弟が祖母の面倒を看るのは、当たり前だと私は思います。息子なのですから。 母は、父と離婚したにもかかわらず、父の面倒を看ると決心できたのが、すごいと思います。
- yow
- ベストアンサー率23% (181/782)
お辛いでしょうね。。。 お父様の過去のおかしな行動や、今回の自殺未遂も、すべて病気のせいでしょう。あなたやあなたのお母様のせいではないです。これだけはきちんと理解しておいてほしいのですが、あなたが何かしていたら、あるいはしていなかったらば防げていたかも、ということはないのです。 お父様に対する想いというのは、いろいろあるでしょうが、そこはまずおいておいて、自分が幸せになってください。親のなによりも願いは、子供が幸せになることです。 >父は、どうしたかったのでしょうか。 さあ、こればっかりは本人でないとわかりませんね。でも、お母様にわざわざ連絡をしてきたといことですから、『自分の存在をわすれないでほしい。』ということかもしれませんね。治療などについては、あなたとお母様にとって(でも、特にあなたにとって)一番納得のできる形であればいいと思います。 お父様にいいたいこと、いいたかったことなどお父様あてに手紙に書いてみることをおすすめします。心が整理できるとおもいますよ。
お礼
回答有難う御座います。 温かいお言葉に、涙があふれました。 父は、躁状態と鬱状態を繰り返していました。 きちんと薬を飲み続ければ、コントロールできるのに、 躁状態に入りかけのときに、勝手に薬をやめてしまう。 その繰り返しでした。 薬をやめることにより手の付けられないくらい躁状態になり、 誰も父を抑えられませんでした。 無理矢理、男性の看護師さんに手伝っていただいて、 入院させたこともありました。 父に言いたいこと・・・ 今の気持ちとしては、助かってよかった、という思いと、 どうしてまたこんなことをして、私達に迷惑をかけるのか、という 相反した思いがあります。 とくに後者は、良い感情とはいえないため、どう抑えていいのか・・・。
お礼
回答ありがとうございます。 父と母は見合い結婚でした。 田舎から二人で都会に出てきました。 父と母の考え方があきらかに違ってきたのは、 弟が産まれてからではないかと思います。 弟は生まれてすぐはわからなかったのですが、先天性の脳性まひで、 歩くこともしゃべることもできませんでした。 しかも、双子で2人とも同じ障害をもっていました。 父はプライドの高い人でしたので、 そんな状況を受け入れられず、なんとかなるはずだ、 と教育の本を買いあさったりしたようです。(昔見ました) また、母が昔手術をして、輸血をたくさんしているので、 そのせいで障害のある子どもが生まれたのだ、という言い方もしたようです。 母は、すくすくと育ってくれればよい、とおおらかでした。 子どもの頃は見た目もかわいらしく、笑ったりないたり表情も豊かでしたし、 母も大変な状況のなか、一人がんばって弟たちと私を育てました。 私は思春期になるとともに、父親がいやになり、 またさらに離婚騒動で父が浮気をした疑いがあったり、 異常な行動をしたりで、 父親に対し「こわい」「関わりたくない」と思っていました。 父は一人になってから、やけにお金のことばかり考えていたようです。 リフォーム会社からの電話に、神経質になったり、 「遺産はやらん」と訳の分からない電話をしてきたりしていました。 まぁ、娘の私の心配もしてくれてはいました。 変な男にひっかかるなよ、とか・・・はいはい、って感じでしたが。 もし、目をあけることができるようになる、その時がきたら、 そばにいてあげたい、と思います。 ただ、目が覚めたとしても、脳に障害は残るでしょう。 体も動かないかもしれません。 そんな状態で、生き返り、そして生き続けなければならないことを、父は喜ぶのか・・・ 目覚めて、そしてまた鬱もしくは躁の状態になってしまったら・・・