「臥(ふ)す」「伏(ふ)す」は「ふ」は訓読みです。
「賦(フ)す」「付(フ)す」の「フ」は音読みです。
本来はこれだけで、
「臥(ふ)す」文語四段・口語五段
「賦(フ)す」文語サ変で、口語では「賦する」となる。
と断定できたのです。
ところが、漢字一字に文語「す」/口語「する」を附けたサ変動詞の五段化が現在進行中で、私は口語に関しては「サ行混合活用」と呼ぶべきだと思っています。
(そもそも未然形の「さ(-れる)」は五段、「し(-ない)」は上一段で、純正のサ変は「せ(-ぬ)」だけです)
最近では、「意に介さない」「法的手段も辞さず」などは普通になってきました。
「権利を有さない」はまだ抵抗がありますが、いずれは市民権を得るでしょう。
今のところ、連体形「する」が健在かどうかが目印ではあります。
「愛しない」より「愛さない」が普通になっても、「愛すこと」より「愛すること」が優勢である限りはサ変(私のいう「サ行混合活用」)としていいでしょう。
「訳す」はほとんど五段化を完了しました。
「訳しない」と言う人はほとんどいませんし、「訳すること」も古風な響きがあります。
私は「属すること」「託すること」と言いますが「属すこと」「託すこと」が多くなりました。
漢字音によって差があります。
「課す(る)」「付す(る)」「処す(る)」などは五段化への抵抗が少ないでしょう。
「属す(る)」「臆す(る)」がその次。
「介す(る)」「廃す(る)」がその次。
「有す(る)」「称す(る)」がその次。
「反す(る)」「関す(る)」は抵抗があるでしょう。
「達す(る)」「罰す(る)」は最も抵抗が強いでしょう。
新聞の見出しで「次代に託す」とあった場合、私のような年寄りは、「【文語】サ変」と受け取りますが、
若い世代の方は「【口語】五段」と受け取られるのかも知れません。
質問者さんの疑問が生まれた理由は次のように推測されます。
文語サ変「課す。」「課すること」「課せず」
口語サ変「課する。」「課すること」「課せぬ/課しない」
であるはずのものが、五段化した結果、
口語五段「貸す。」「貸すこと」「貸さぬ/貸さない」
と同じく「課す。」「課すこと」「課さぬ/課さない」
と使われるようになってきたため、
なぜ「課す。」は文語サ変で、「貸す。」は文語四段なのか? どこが違うのか?
と疑問に思われたものでしょう。