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「熟語」の分類について
教えてください。 「熟語」と言われているものは、機能的にみて、 (1)動詞 (2)副詞 (3)接続詞 (4)前置詞 の4つに大別されると教わりましたが、それで正しいのでしょうか。 例えば、 She paid no more than $100 for the wristwatch. という文の場合、「no more than」の部分は形容詞的に働いていると思います。 皆さんの考えをお聞かせ下さい。
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アメリカに37年半住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 >皆さんの考えをお聞かせ下さい。 と言う事で私の個人主張的なコメントを書かせてもらいますね。 日本で中学高校と6年間、それも「一生懸命」勉強しているのに英語を実際生活で使うことができないと言う事実は、この「大別」することに、つまり、文法と言う分類学的姿勢で言葉であるはずの英語を別な物として教えているからだと私はこのカテで4年間(今日でちょうど5年目に入りました)言い続けてきました。 大別すると言うことはその「表現(今回の場合熟語)」をどのように学問的に「別けるか」という事ですね。 今回の文章でも、このno more thanをpaid no more thanなんだと解釈(理解ではなく)すれば副詞「的」でしょう、しかし、no more than $100としてunderなんだと解釈すれば前置詞的ですね。 そして、あなたが言われる形容詞的と言う$100を形容していると考えれば十分「正しい」としてもまったくおかしくないはずです。 しかし、私に言われせれば「だからどうだって言うのだ」と言う事になってしまうのです。 大学院の英語学科で文法解釈の研究をしているわけじゃないはずなのです。 中学で、高校で「若ければ若いほど英語に慣れやすく英語をしゃべれるようになる」と常識的に言われているにもかかわらず6年間を「英語研究の土台作り」に精を出しているとは矛盾も矛盾のいいところなのではないでしょうか。 国際国一線を走っているとする日本のtopの政治家が満足に英語をしゃべれないで恥ずかしいと思わないこと自体が誰もおかしいと感じないのはなぜでしょう。 それも「一流の大学を卒業しているのです」。 言葉を使えなくてその言葉を10年も勉強したと言えるのでしょうか。 学校の英語教育の主旨が違う、現在では改善している、しゃべれるようになる事が目的ではない、等の言い訳は聞き飽きていませんか? 私は40年前の日本の英語教育を見ています。 その40年間にどれだけ英語をしゃべれない「犠牲者」を作っていたでしょうか、そして、どれだけ毎年英語を使える高校卒業生を育ててきたでしょうか。 今年の高校卒業生に何パーセントの人がしゃべれますか? 40年前とそれほど変わらないですね。 そしてしゃべれる人たちを見れば、留学経験がある、帰国子女である、英語を使えるように教えることが出来る先生にめぐり会えた、多額のお金を払って塾や会話学校にいけた人、たちなど、直接学校教育に関係なく英語での伝達能力をつけることが出来た人がほとんどと言っていいのではないでしょうか。 熟語とはそのひとつの表現方法で、もともとの単語そのものから出るフィーリングとは違うけど慣用句的にひとつの(あるいは複数の)フィーリングを出すと一般的に理解された表現だと言うことに過ぎません。 比喩的表現もそうですね。 分類することに時間をかけることなく、100ドル以下を払った、と言いたいときに、under, less thanと言う表現をする代わりにこの表現を使って同じようなフィーリングを出すことが出来ると身につけたほうが結局「6年間も英語を勉強したのに」と恥じることなく、自分が伝えたいことを伝えられる自分を作り上げることが出来るのです。 霙雪と言う単語を「学問的に」ほかの人に理解してもらいたいですか? 霙は雪を名詞でありながら形容しており品詞としては形容詞と解釈すべき物である、と感じて欲しいですか? それとも、私が感じたように、情緒深い日本的言葉で何かうっとりする名前だなと感じてもらいたいですか? 御岨麗・由紀という由緒ある名前なのかもしれませんね。 と言う事で、副詞、前置詞、そして形容詞と解釈して、学術的に認められなければ「あなた個人の理解」のひとつとして形容詞的使用法であるとして私は決して間違いではないと思います。 間違いだとする人はその人の個人的固定観念によるものに過ぎないのです。 それとも、英語学としてこれからも研究を続けて生きたいというのであれば、「学術的固定観念」にしばらく固着していく必要はあるかもしれませんね。 まったくの私個人の考え方ですが「もっとより多くの日本人が自由に英語をしゃべれるようになって欲しいとこのカテで書き続けてきてから5年目には言った私として」書かせてもらいました。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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- Chicago243
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私はそういうのは全く意識しません。「熟語」はある種習慣的な言い回しで、文法的に間違っていると考えられるものまであるようです。分類するよりは、うまく使えるように声を出して読んだりとかして語感を感覚的に身につけるほうがいいと思います。そうするとこれは形容詞っぽいなとかいうのが感覚的に分かってきます。でも、意味が分かり、使えるようになってからこれは形容詞的だとか考えてもあまりそういう解釈が助けになってないことに気付きます。 英語を語学として勉強していればこの話は別です。
お礼
回答、ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
お礼
早速ご回答いただき、ありがとうございました。 参考にさせていただきます。