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「癒し」と「悟り」について
「癒された人間」とは、どのような状態を指すのでしょうか。 リラクゼーションではなく、真の意味において生命が癒され、 全てを受け入れることができる境地にある、とすれば 「悟った人間」という表現でも良いと思うのですが…。 色々な方のご意見をお伺いしたく投稿させていただきました。 どうぞよろしくお願いします。
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真の意味で生命が癒され、全てを受け入れることができる境地。 これは心と体の健康があり、生きていく目的がより多くの人々の幸福に繋がる志を持って生きれることではないかと、思います。心にしろ体にしろ病気でなければ元気に働くことが出来、お金の心配もさほどなく、そうなると自然と人のために何かをしたい、優しくしたいとなれるそういうものではないかと思うからです。 だからといって人間って悩んだり、苦しんだり、迷ったりするから向上があると信じたいですね。 よく魂という言葉を聞きますが、もしも魂に神様のような意志があるとすれば、動物である人間の中に美しい神様のような性質である魂が入っているという事は凄いことと思われないでしょうか? 真剣に悩んだり苦しんだり迷ったりすることが、向上していくという事ではないかとも思います。結局、一生懸命生きていくその積み重ねの上に、本当の悟りも真の癒しもあるのではないかな??? 修行三昧して悟りをひらいたりしても、人とかかわりない中に悟りを開くことって、少し寂しいかな、と個人的には思います。 日々の生活の中に飛び込んで勇気をもって生きることが大切だよね、きっと。
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- a6524
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癒された人間という状態と悟った人間というは違うと思います。 癒された人間と言うのは欲をなくせば、死に対する境地を超えられなくても出来ますが、 悟ると言うことは、死を超越した無限の境地です。 生きている世界は、とても狭く地球の誕生した時間の45億年から見れば、瞬きでしかありません。 その、とても狭く短い時間なかで人は奪ったり、憎しみあったり、また喜んだりしているのです。 しかし、死んだ後ももし次の世界があると考えられたならばどうでしょう? しかもそれは、肉体のない心の世界なので、時間をも超越した無限の世界なのです。 しかし、その世界があることを人は見たことがないのですから人は信じられないでしょう。 自分が死んだら、もう全ては終わりと考える人がほとんどです。 ですから、見つからなければ、迷惑さえかけなければ何をしても良いと言う風潮があるのだと思います。 恐らく今、日本中の僧侶を探しても、立派な法話や経典を語れても、次の世界があることを本気で信じきれる人は多分いないと思っています。 それは僧侶ではなくても良いのですから、もしかしたら余命を宣告されてから奇跡的に回復した人の方にいるかもしれません。 釈迦やガンジーのように欲を(王子という名誉さえも)捨てて、 肉体が死を感じる位まで追い込まれなければ、その強さををもてるなるのは出来ないではと思います。 見えないものを100%信じきれる、それは簡単なことではなく凄く難しいことです。 しかし、無限の世界が死んでもあると本気で心から信じられたならば、 この世の世界で今起こっている出来事は、あまりにも小さく儚く見えるでしょう。 それを信じきれた時(悟り)は、もうこの世の中では悩むことはありません。 死さえも次の素晴らしい世界への旅立ちになるのですから、 例えば、愛する親族の死でさえも悲しむことはないでしょう。 もしそれが難しく非現実的であると思うならば、今日、1時間後に自分が死んでも後悔しない心構えと行動ができるようになることだと思います。 それは、それほど難しいことではありません。 もしそれが出来たならば、理想とした人間らしい素晴らしい生き方になるものと思っています。
お礼
「悟る」というものにもレベルがあるのかなという気がしていましたが、お話しいただいたのは、究極の境地のように思います。 それだけの体験ができれば素晴らしいですよね。 おそらく人類の歴史上、数人しか達していない境地かも知れないなと思いました。 どうもありがとうございます。
- ipa222
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悟りというのは、永続的な癒しというものとは違います。 癒しというのは、自分の負の状態を正常値に戻すという意味があると思いますが、悟るという状態は、癒すとか癒されるという娑婆の論理を超えた境地に達することです。
お礼
「娑婆の論理を超えた境地」とは、「宇宙や森羅万象の全てを知る」ということでしょうか。 「癒し」が、私にとっては「全てを受け入れられる状態」という感じだったのですが、やはり違うものなのですね。 迅速なご回答をありがとうございました。 お礼が遅くなり、大変失礼いたしました。
お礼
お礼が遅くなり、大変失礼しました。 ご丁寧な回答に心から感謝です。 「一生懸命生きていくその積み重ねの上に、本当の悟りも真の癒しもあるのではないかな?」との言葉は、なんだか受け入れていただいたような暖かい気持ちになりました。結局は、やはり、一生懸命生きててゆくことしかできないし、その延長にある日「悟りとはこういうものか」と気付くことができればいいなと思います。 本当にありがとうございます。