多世界解釈と人間原理の解釈について
量子力学における多世界解釈では、可能性の数だけパラレル世界があるということになります。
つまり、自分自身もほかのパラレル世界に多数存在しているわけです。
とあるパラレル世界では私はすでに死んでいるかもしれません。
でも、この世界での私はまだいきています。
私の意識が数あるパラレル世界のうち、この世界に存在しているのはなぜなんでしょう。
人間原理的な考え方を個人に置き換えて解釈すると、自分に都合のよい世界に私の意識があるということでよいのでしょうか。とすれば、わたしはこれから先、私の意識は自分が存在するために都合のよい世界にあり続け、思いのほか長生きするのではないだろうかと思えてしまいます。
この考え方は物理学における多世界解釈と人間原理の考え方に一致しているのでしょうか。
お礼
どうもありがとう。