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認識の違いですか?

 大学の授業で先生(物理の教授)が、 「・・・これは、『耳に入っている音』と、『聞こえてる音』との違いと同じで・・・」 と、さも当たり前のようにスラ~っと流して話をされていました。  講義の間は別に気にも留めず、何気なく聞き流していたのですが、よくよく考えて見ると 『耳に入っている音と、聞こえている音の違いってなにかあるの?』 また、同じように 『目に入ってくる映像と、見えている映像の違いは?』 という素朴な疑問がわいてきました。 自分なりの解答としては、 「その耳に入ってくる音や映像を意識しているかどうか」の違いだと思うんですが、これで間違いはないですか?もっと、大きな違いがあるんですか? 物理の講義の内容をしっかりと覚えていたら、その内容から推測できたんですが、どの話をしていた時に話題に出たのか覚えていません^^; 別に、この疑問があるために、講義の内容の理解に苦しんでいるというわけではないのですが、この疑問が解けないとなんだか気持ちがすっきりしません。 この二つの疑問に対して明確な違いを教えてください。

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  • starflora
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回答No.9

    >『耳に入っている音と、聞こえている音の違いってなにかあるの?』     哲学的に言えば、根本的に異なるのは、「聞こえている音」は、主体の主観「体験」で、他方、耳に入っている音というのは、経験と知識と推論の結果構成された、超越的な外界の「物理現象」、この場合「音波」であるということです。     音波が、「音という感覚」の原因であろうというのは、推論であるのですが、外界の存在を確実とする準客観主義では、音波が、音の感覚の原因です。音波という物理現象から、音そして音楽などの「聴覚空間体験感覚」までは、どういうモデュレーション過程があるのか、いかにして、音波という物理現象が、聴覚感覚という心的現象となり、更に、それに快いとか楽しいとか不快とか、また「共感覚現象」と言って、大人には珍しいのですが、「色や光」などが付いているのか。     この過程について、モデルがあり、それなりに解析され、ある部分ではよく分かっている部分もあるのですが、まったく分からない部分もたくさんあります。     目で見る光の波のパターンと、視覚感覚において構成され体験される、主体的主観的な視覚空間世界の知覚認識は、やはり、距離があり、そのあいだの変換機構や翻訳機構がどうなっているのかという問題が、大脳生理学や、知覚心理学や、解剖学も含め、色々研究され、モデルが立てられ、認知の理論や、視覚空間の多次元性などの議論となっているのですが、よく分からないというのが現状です。     「聴く」と「聞く」の違い、あるいは「視る」と「見る」の違いは、「意識の注意機能の起動とその目標捕捉」に関する話です。人は、注意という意志と無意識で調整される機能で、知覚の感受レンジまたは、要素集合を、「知覚の原入力」から焦点化し収束して把握するのです。「知覚の原入力」というのは、もっと適切な言葉があっていいのですが、「知覚」として把握できる、例えば「聴覚信号群の集合体」です。注意機能は、この集合から特定のものを選択的に「意識」に感受するのです。また、「意識する」のです。     しかし、感覚信号の処理あるいは変換あるいは翻訳機能において、「聴覚信号群の集合体」に作用するのは、ただ「注意機能」だけではないのです。オートコンプリート機能ではないですが、「意識」には、感覚の源泉からの入力について、フィルタリング機能と、音補完機能が、最低でもあります。また、「意識にとての相対的感度」というものもあります。「意識の覚醒度」とも、この「相対的感度」は関係するのですが、意味了解への「意識の志向性」によっても、影響されます。     フィルタリング機能というのは、感覚段階にまで変調された、音信号であっても、更に、「聞くという意識行為」の場において、フィルタリングされるのです。意識的と無意識的があり、大勢の人がいる場所で、色々な会話が交わされていて、それでも、前の友人との会話が成立するのは、友人の声だけを、特別に拾い出して、背景の会話は、存在は知っているが、フィルタリングで、ほとんど聞こえないようにしているのです。しかし、意識は働いているので、時に、関心ある言葉をとなりの人が発すると、おやと聞き耳を立てます。また、このフィルタリング機能も、S/N比で限界があり、あまりに背景ノイズが大きいと、相手が何を言っているのか聞こえなくなります。もっと大きな声で言って、とか、場所を変えましょう、となります。     「音補完機能」というのは、人は、そのままの「感覚素材」を聞いてはいないのです。言語なら、意味的に通じるように「聞く」機能があります。フィルタリング以外に、「意味的フィルタリング」と「意味的音補完」というものがあります。これらは、わたしがいま仮にこういう言葉を使っているので、研究者は別のタームを使っているはずです。会話をしている時、相手の言葉がよく聞こえなかった時、あるいは聞こえたが、意味的に通じない音である時、意味的フィルタリングで、聞こえないようにし、補完機能で、聞こえていない音を、意識において作り出し「聞きます」。ワープロのオートコンプリートは、この機能の原始的な形です。     補聴器のノイズの問題は、フィルタリングや、意味的フィルタリング、意味的音補完機能の円滑な活動に支障を来すほど、ノイズも大きく感覚要素として意識に入ってくるので、厄介なのです。     上の機能は、本当は、音として、聞こえていない音を、自分で補完して聞き、聞こえている音を、意味了解から無意味だとして、聞こえず、「意味が通る会話」を聞いている状態を実現する機能なのです。     音補完とか、視覚映像補完は、おそらく、幻聴・幻覚と関連があるはずです。また、正常な人でも、幻聴は疲労した時や、睡眠に入る時起こることがあり、幻覚は、やはり疲労した場合など、見えることがあります。映像補完は実は、実際の視覚映像とは独立に進行しているとも言え、これが夢を「見る」であり、幻覚を見るで、実は自然な過程なのです。     本を夢中で読んでいると、周囲の雑音を忘れるのは、フィルタリングと意味的フィルタリングです。つまり、本を読むのに熱中していても、その本の内容にまさに関係のあることを誰かが言うと、ぱっと、その声だけが耳に入ることがあります。     また、時計の音が気になると、段々高く聞こえてくるというのは、音補完機能もありますが、その前に言った、意識の志向性による、感覚の「相対的感度」の問題だとも言えます。物理的な音波の入力値は変化しないのに、時計の音の「相対的感度」が高まり、通常より大きい音に聞こえ、また、それに注意集中するので、記憶が反響の音補完をして、ますます大きな音になります。このフィードバックがおかしくなり、時計の音が、何千という鐘を鳴らすように一晩中聞こえるとなると、一時的な精神病の疑いが強くなります。雑踏のなかの音フィルタリングと補完でも、心のなかで、他人が言っていると思っている言葉を、音補完して聞くようになると、街を歩くと、人がみんなわたしの悪口を言っているとなり、妄想症か心気症の精神疾患の兆候だとなります。     以上の話は、すでに、「感覚集合・構造」の段階まで、変調された聴覚空間の信号集合ですが、聴覚器官つまり耳や鼓膜から、どう音が、神経繊維に伝達され、それが処理され、知覚としての音の構造集合になるのか、この変換過程にも色々なものがあり、知覚の物理-心理分析あるいは、知覚の生理学として、研究されています。     もっと色々話はあるのでしょうが、きりがないとも言えます。音を処理している大脳の領野の有名な話もあります。日本人は、虫の声や、楽器の音楽を、言語を処理する左脳で聞くという話です。日本人以外の例えば西欧人は、虫の声や楽器の音は、他の音と同様、右脳で処理するのです。日本人は、コンサートでの楽器の音を、人が話す話のように「聴いている」のに対し、西欧人は、音として「聞いている」のだとも言えます。     余計な話題をたくさん、中途半端に書きましたが、回答はしました。また、余計な話も、回答の背景を描くために、述べたので、より、知覚と認識、意識と注意、音波としての物理的現象と知覚器官と、その信号変調過程、神経繊維内の生電気信号への変換と、信号の感覚への翻訳、感覚の意味への解読……こういう過程の錯綜した構造の一旦を垣間見るによいでしょう。     自分で色々調べられ、勉強されれば、一層興味深いことが色々とあることでしょう。以上の話では、あまりに省略し過ぎていますから。  

slash-slash
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  ご回答の内容の幅広さに、感激しています! そのどれもが、興味深く、またこの質問をしてstarfloraさんに ご回答いただかなければ一生知ることもなかったかもしれません。 西洋人と日本人の音を処理する大脳の話は驚きました。 文化の違いで脳にも影響が出るんですね。(これは文化の違いの影響ですよね?) >自分で色々調べられ、勉強されれば、一層興味深いことが >色々とあることでしょう。 これからも、脳のアンテナを伸ばしていろいろなことに興味を持って勉強して いこうと思います。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (11)

  • ryuiti
  • ベストアンサー率22% (42/185)
回答No.1

音や光にはご存知の通り波長がありますよね。 低い音から高い音まであるように、光も同じことが言えます。しかし人間の耳や目はそれらすべてを感じ取ることはできません。 たとえば犬笛などがいい例です。犬には聞こえても人間には聞こえません。つまり意識していても聞こえない波長のものもあるのです。また光も同じです。人間には見えなくても昆虫などには見えている色や映像があるのです。

slash-slash
質問者

お礼

早速のご解答ありがとうございます。 なるほど、人間が感じられる音というのが 『聞こえている音』となるわけですか。  では、例えば勉強に集中しているとき、周りの雑音があるにも かかわらず、それが聞こえていないときってありますよね? また夜、寝付けないときなど、「ふ」とした瞬間から時計の針の 『チクタク、チクタク・・・』という音が聞こえ出したりする時 がありますよね? これは、「耳に入っていた音が聞こえ出した」という時といえますか?  おそらく、物理の先生はryuitiさんご解答くださった意味で 話していたのだと思いますが、もしよろしければ、お礼の内容に対する ご解答もお願いします。

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