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目覚まし時計が無い時代
目覚まし時計が無い時代って、どうしてたのでしょうか? 寺子屋とか、一時間目は何時から、とか無かったのでしょうか?
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例えば江戸時代、庶民は鐘の音で時刻を知ったりしてしていましたが、その大元となる時刻は、江戸城の中にある機械時計で決められていました。 当時の日本標準時ですね。 なので、江戸城内では1時間刻みのスケジュールくらいでしたら十分組めたのですが、やはりたいていの人たちは鐘の音です。 寺子屋の場合、タイムスケジュールを組んで教えるというプログラム形式ではなく、随時生徒が来てそれにあわせて先生が教えるというスタイルです。とにかく形を真似ることが学習でしたから。 一斉の素読などもされてはいましたが、それは時間を約束して生徒を揃えてというよりも、「今日は沢山揃ったから素読をしよう」という形で行なわれるものです。 40人学級なんて規模ではありませんからね。
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- buchi-dog
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「正確な時刻を基準にして生活する発想がなかったから、正確な時刻が不明でも問題なかった」 というのが答になるでしょう。 時間の経過は、太陽が出ていればその動きで分かります。寺の鐘や、「時の鐘」と言われるものがあり、そこからも大雑把な時刻が分かりました。それ以上の情報は特に要りませんでした。 例えば、「商店の営業時間」なんてのはありません。適当な時間に店を開けて、適当な時間に閉めていました。 農民が農作業をするにしても、日が出て朝食などの準備が済んだら仕事に行き、日が暮れて暗くなったら帰ったでしょう。当然、日が長い春から秋はいくらでも仕事があるので長く仕事をしなければなりません。冬は、外での仕事はあまりできません。 職人であっても、今のように拘束時間を基準に手間賃をもらう訳ではありません。あくまで、やった仕事の量で手間賃をもらいます。時間は関係ありません。 誰も正確な時刻など知りませんから、「何時にどこで待ち合わせ」なんてことは成立しません。人に会う際は、どちらかの家を訪ねるしかありませんでした。もしくは、使いを出して「今ここにいるから来てくれ」でした。これは明治以降も同様で、「相手に負担をかけないため、何も予告せずに訪ねるのが礼儀」だったそうです。 武士がお城で仕事をする場合、始業と終業は太鼓を叩いて知らせたと聞いています。これも、始まる時間と終わる時間が分かれば十分です。 正確な時間の経過を知る必要がある場合として、遊女や芸者と遊ぶ際の料金は、時間単位でした。その場合、線香を燃やして時間の経過を測ったそうです。今で言うストップウォッチですね。
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へ~、なるほど、面白いですね、有難う御座いました。
まず現代と違って夜の生活がまったくなく照明に使う 油も貴重品だったので人々は早寝早起きが習慣、というか動物の本能で夜明けと共に自然に目が冷めていたと思われます。 多少疲れていて寝込んでいても明け方にはニワトリが鳴き小鳥が騒ぐので自然に目が覚めたはずです。時代が下ってからは鐘つき台が設けられて定期的に時刻を 告げるようになりました。昔は目覚まし時計など縁のない生活だったのです。
お礼
有難う御座いました。
- tatsumi01
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花の雲 鐘は上野か 浅草か 何時に撞いたかは知りません。大寺で撞いた鐘を聞いて他の寺が撞いて伝えたようです。 なお、江戸時代は不定時法で、日の出と日の入りを6等分して一刻としていたそうです。つまり、季節によって時刻が変わります。
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なるほど、有難う御座いました。
天智天皇の頃から時計(漏刻)はありましたし、太陽の高さなどで時を調べたのではないでしょうか。
お礼
なるほど、有難う御座いました。
- 60sFlower
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1時間=60分 と決まったのは、ついこの頃です。 昔の、一時(いっとき)は、今の2時間程度の長さです。お寺の鐘の音で毎日のサイクルを過ごしていた時代。
お礼
そうか、 鐘がありましたね、有難う御座いました。
お礼
なるほど、有難う御座いました。