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法曹3者の方に聞きたいのですが。
勉強しているときに嫌な言葉をよく習いますよね。 例えばcatastrophe(災害)とか収賄罪(197条)とか・・。 自分はこんな言葉を習うたびにこんな言葉を使う日が無くなれば・・。 と切に思ったりしますが、現実にある以上、また勉強の目的である以上知っていかなければなりません。 そして、勉強していく上でよく人間の負の面を勉強する機会が多いのですが、 人間の負の面をよく勉強することは、結局は何のためなんでしょうか? これは、どういう風に思って乗り越えたらいいでしょうか? 少し文脈が硬くなってしまったのですがよろしくお願いします。
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人間の負の面をよく勉強することは、結局は何のためなんでしょうか?これは、どういう風に思って乗り越えたらいいでしょうか? 私は法曹3者ではありませんが、法曹3者でなくても人間の負の面をいやというほど勉強させられています。 人間の負の面をよく勉強すると、人間の正の部分がはっきりと見えてきます。正を強くし負を弱くするために、自分ができることは何かと考えると自分の存在理由が見え、それを追求することが生きがいになるでしょう。 >例えばcatastrophe(災害)とか収賄罪(197条)とか・・。自分はこんな言葉を習うたびにこんな言葉を使う日が無くなれば・・。 そのために自分は何をなすべきか、何ができるかを考えるとよいでしょう。 体当たりでこういう問題に取り組んだのが、宗教家でしょう。仏陀とかキリスト、親鸞、などの書物または解説書を読むと良くわかります。 私は親鸞がこう書いているのを忘れることができません。 インドに昔大金持ちであるが頭のおかしい人がい居た。その人が、旅をしていたら3階建ての建物を見て大変気に入って、帰ってから大工を呼んですぐ3階建ての家を建てるように依頼した。あるとき工事現場に行ってその大金持ちは大工にこういった。「私は3階建ての家を建てるように頼んだのに、どうして地面を掘り、土台を作るようなことをするのか?すぐ3階から作りなさい。そうしないと私はこの発注取り消すよ。」(私の記憶が入っていて、原文は少し違うでしょう) 「例えばcatastrophe(災害)とか収賄罪(197条)とか・・。」という負の面なんて、親鸞の挙げた例にくらべれば、かわいいものです、と私は思います。 夏目漱石は親友の恋人が好きになって、私が自分の愛を貫くのが何が悪いと思って結婚したら、その親友が自殺してしまった事件を小説に書きました。「それから」という小説です。「猫」とか「坊ちゃん」とか、人間の負の面を傍観的に眺めていたのですが、人間の負の面がもっと救いようの無い所にありそうだということに気がついたのです。 やはり、法律とかその他人間科学は人間の負の面を向き合うと同時に、正の部分との調和を図る使命と役割を負っていると考えざるを得ないでしょう。 人間の正の部分を見れば、負の部分と同様に無限でしょう。私は、法曹界に携わる人は、深い法律と共に幅広い人間学を身に着けてほしいですね、と思います。 この間テレビを見ていたらある、コメンテーターだこう言っていました「「裁判所に正義なし」と皆言っていますよ」 私が調べたところでは、司法研修所が行っている「要件事実主義教育」が問題のようです。「正義とか常識とか脇においておいて、要件事実を明らかにしてそれを法律に当てはめれば、問題の殆どは円満に解決する」という考えが、複雑で高度化した市民意識に遅れを取る時代になったようです。 質問者以上に、文脈が硬くなってしまってすみません。
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私は弁護士の先生に、 「弁護士の仕事をかっこいいと思っている人が多いが、弁護士の仕事はどぶさらいだ」 といわれました。 確かに人生に行き詰らなければ普通の生活をしている人は法律のお世話になんかならないことのほうが多いですもんね・・・。
お礼
そうですね。自分も本の中で弁護士とは『世間ではかっこいい職業だと言われているが、1つ1つ泥臭く事件にあたり問題を修正していくものだ』と読んだことあるような気がします。でも社会秩序を正せることが出来る職業だと思うので頑張って勉強します。
- macadamia
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えーっと、法曹になることを目指して勉強中でしょうか? 法曹になるのでなければ、そこを乗り越える必要もないかと思うのですが・・ 負の面を勉強するのは何のためか? → マイナスをせめてゼロにすることを仕事にするため ここを乗り越えるのがしんどいなら、無理に法曹になる必要はないかと思います。 ゼロからプラスを生む仕事はいくらでもありますから。
お礼
そうですよね。参考になりました。ありがとうございます。
>人間の負の面をよく勉強することは、結局は何のためなんでしょうか? 1の方も書かれておりますが、人間に負の面が無ければ法律など不要です。皆が皆、行儀よく生活していればそれを縛るルール(法律)を決める必要がないでしょう。 少し大袈裟ですが、法律というもの自体が負の部分から生まれているとすれば、法律を学ぶ者が負の部分を学ぶのは当然でしょう。
お礼
確かに社会のニーズに応えて、既存の法律では対処できなくなったり新たな問題が発生すると法律が改正したり施行されたりします。でもそんな勉強ばかりでは気が滅入っていました。でも確かに負の面から出来てることは認めます。いい考える時間が出来ました。
この世が善人ばかりなら法律など必要ないのですが、 現実にはズル・不正をする人がたくさんいるので、 法律という複雑な技術がないと 人が殺し合う・奪い合う 悲惨な世の中となり、快適な社会はできない と思います。 農業技術がないと大勢の人が餓死し、医療技術がないと多くの人が死に、工業技術がないと車がなくて不便 というのと同じ問題ともいえます。 負の面 とは例えば何のことでしょうか?
お礼
人間のコミュニティーがある限り法律はあり、それを運用する側は人の生死を扱うので(刑法など)結構激しい論争があるので疲れてました。でもやっといつの答えが見つかりそうなのでご意見ありがとうございます。
お礼
コメントありがとうごあいました。参考書の中の事件・事案を想像すると少し怖くなったので質問させていただきました。こんな事件ばかりとは限らないのですが、少々、勉強のしすぎで気が滅入っていたと思います。だいぶ自分なりに答えが見つかり始めました。ありがとうございます。