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「が」と「は」の使い分けについて
何度も「が」「は」の議論はされているのでしょうが、まだわからないことがございますので、お付き合いください。 (1)手続きを済ませないと入室 できません。 (2)手続きを済ませないと入室ができません。 (3)手続きを済ませないと入室はできません。 とりあえず議論を簡略化するため(1)を忘れてください。ある日本語の解説書によりますと、上例では「は」が「が」よりよく使われるそうです。実際、上例で「は」と「が」で意味の違いは生じるのでしょうか?(私の意見では、意味の違いはないと思います) 普通、「私はスケートはできない」という場合、「スケートは」の「は」はいわゆる"topic marker"でしょうか?それは別にして、この文で使われる「スケートは」の「は」は、別の補足文、たとえば「でもスキーはできる」などが必要ではないでしょうか?どうも私には、"subject marker" の「は」がどうしていわゆる「補足文」を要求する傾向にあるのかが、いまいちピンときません。そのあたりのすっきりした解説をぜひお願いします。
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#1#3#8です。 #8の後半で書きました「法則」を、#9さんのご説明にあてはめて、検証してみました。 私が仮定している法則 AはBする/である ⇔ A⊆B 象は鼻が長い 「に」「で」の代用と思われますが、文末に「動物だ」が省略されていると思えば「が」の代用と考えられます。(むしろ「動物だ」が省略されていると考えるほうが自然だと思われます。) 象 ⊆ 象が長い動物 (つまり、象以外に鼻が長い動物がいないということを暗示するものではない) 父は、この本を買ってくれました 「が」の代用。 父 ⊆ この本を買ってくれた人 「父は、この本を買ってくれた人の一人」 →おかしい →法則から外れる(※) 日本は温泉が多い 「で」の代用とですが、文末に「国」が省略されていると思えば、「が」の代用ともいえます。 日本 ⊆ 温泉が多い国々 この本は父が買ってくれました 「を」の代用ですが、「くれました」が「くれたものです」と脳の中の言語思考では同じなので、そう考えるとすれば、「が」の代用 この本 ⊆ 父が買ってくれたもの 昨日は大風が吹いた 「に」の代用とも言えますが、文末に「日」が省略されていているとすれば「が」の代用とも言えます。 昨日 ⊆ 大風が吹いた日 牡蠣料理は広島が本場です 「については」の代用。しかし、言語思考的には「牡蠣料理は広島が本場の料理です」と全く同じなので、「の料理」が省略されているものと考えられます。 牡蠣料理 ⊆ 広島が本場の料理 (広島は、お好み焼きの本場でない、とは言っていない) というわけで、仮定した「法則」に関して、 「父は、この本を買ってくれました」 の1文が問題点として残ってしまいました。 この問題点をどう考えるか? まず、 このような例を挙げましょうか。 「僕は国語が嫌い。 そして、僕は数学が嫌い。 そして、僕は英語が嫌い。」 ここで、全ての「は」を「が」に戻してみると、 これらの性質を持つ人間が、「僕」しかいないかのように聞こえます。 たしかに、 「父は、この本を買ってくれました」 と 「父が、この本を買ってくれました」 の1つの文同士の比較だけで考えますと、あまり違いが分かりにくいかもしれないですが、 上記の「僕は」の例のように書くと、どうなるでしょうか? 「父は優しくしてくれました。 そして、父は色々なことを教えてくれました。 そして、父はこの本を買ってくれました。」 (ちなみに、これを 「父が優しくしてくれました。 そして、父が色々なことを教えてくれました。 そして、父がこの本を買ってくれました。」 と書いてしまいますと、「父に限定」ですね。) さて、 「この本を買ってくれる」という部分は、一見、「一つの行為」に限定して書かれているように思えますけれども、実は、そうではありません。 「(本を買い与えるという行為をしてくれるような)性質」を表しています。 よって、 「父は、この本を買ってくれました。」 という文は、実は、 「父は、この本を買ってくれるような性質の持ち主だ。」 の略です。 (「性質の持ち主だ」の部分のバリエーションは、色々ありますが。) そして、「買ってくれる」という行為が、この本に関しては過去のことなので、「買ってくれた」に補正しているだけのことです。 父 ⊆ この本を買ってくれるような性質の持ち主 これは、屁理屈でも何でもないです。 おそらく皆さんも、頭の中でそう考えながら、話したり書いたりしているはずだと思いますよ。 ですから、依然として、「は」は「が」(格助詞)とは明確な違いがある「副助詞」なのです。 -------------- 「私はスケートはできない」 については、 前回まで回答していませんでしたね。 これは、 A「私(は/が)スケート(は/を)できない」 B「私(は/が)スケート(は/が)できない」 という2通りに考えることができ、いずれも、上述した私の「法則」に当てはまります。 (文末を「できない人だ」に代えれば良いです。) なぜ、 わざわざA(スケートを)とB(スケートが)とに分類したかと言いますと、 この「スケート」という名詞は、サ行変格活用の動詞になる名詞(MS-IME の単語登録で言えば「サ変名詞」)であるか否かが、明確になっていないからです。 これは、下記の比較で分かると思いますよ。 「私は英語はできない。」 「騒音があると、私は集中はできない。」 正解は、前者がB、後者がAです。 つまり、厳密に言えば、 A「私は、スケートをできない」 B「私は、スケートができない」 としたとき、 Aの「スケート」とBの「スケート」は、(極端に言えば)同音同字異義語です。 しかしながら、サ変名詞であるか否かについては、日本人の脳みその中では明確に仕切られているわけではなく、現代語でも、両者の混同が見られます。 <例> ・お茶する ・エッチする ・トリートメントする ------------ 私「は」以上のように考えました。 → 私 ⊆ 以上のように考える性質の(理工系の)人間 (笑)
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- he-goshite-
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助詞「は」は,「が」との違いばかりが注目をあびますが,「が」だけでなくそのほかの助詞「の」「に」「を」「_」などの兼務あるいは代行をするのだというのが,名著「象は鼻が長い」(三上章)の主張です。 そして,「は」が「が」の代行・兼務をする場合が最も多いのでよく知られ,この場でも議論がたびたび行われています。 「は」の本務は題目の提示(提題)です。例文(3)で言えば「入室ができないこと」をこの文は示しています(だから質問者さんには「意味の違いはない」と映るのでしょう)が,「は」を使うことによって「入室に関して言えば」という中身の予告と話者の態度の宣言を示します。そして上述のように「は」は,兼務あるいは代行として「が」の役目も担っています。 ・象は鼻が長い(「象の鼻が長い」ことを言っている)。 ・父は,この本を買ってくれました(「父がこの本を買ってくれた」ことを言っている)。 ・日本は温泉が多い(「日本に温泉が多い」ことを言っている)。 ・この本は父が買ってくれました(「父がこの本を買ってくれた」ことを言っている)。 ・昨日は大風が吹いた(「きのう_大風が吹いたこと」を言っている)。 ・牡蠣料理は広島が本場です(「広島が牡蠣料理の本場である」ことを言っている)。 以上の例文で,いずれも, 「象に関して言えば…」「父に関していえば…」「日本に関して言えば…」「この本に関して言えば…」「昨日に関して言えば…」「牡蠣料理に関して言えば…」という言い方(意味)あるいは題目の提示と話者の態度 が「は」を用いることによってなりたっています。 「入室」文の解説はすでになされていますので, 「スケート」の文は, 「私は」の「は」も,「スケートは」の「は」も,ともに提題(および「が」を兼務)の「は」(topic marker)と言えます。 「私に関して言えば,そして更にスケートに関して言えば,できない」ということです。「ほかの人は(スケートが)できるだろうし,私はスケート以外のものができる」ことを示唆しています。(必ずしもこの文に引き続いて「補足文を」明記する必要はありません)
お礼
緻密に解説していただいたおかげで、「スケート」の文についてもすっきりしました。 その文で使われている「は」は、thematic wa と contrastive wa の両方になりうる、と解釈します。その後か前で対比されているときは後者、そうでないときは前者、と。 とても勉強になりました!
- sanori
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#1#3で回答した者です。 私は、#1で「は」を「(限定を表す)一種の強調」と書きました。 一方、#2(=#7)さんは、「が」が強調であるとされています。 これは、どちらが正しいのでしょうか? その答えは、「どちらもあり得る」です。 ただし、強調のしかたは、全く異なります。 理屈よりも先に、実例のほうがいいですね。 「この意見に賛成ですか?」 という問いかけに対しては、 「僕は、そうです。」 「私も。」 「僕も。」 「私も。」 となります。 一方、 「この問題の解答を誰か黒板に(1名)書いてくれますか?」 とか 「このクラスの(1名の)委員は誰がやりますか?」 に対しては、 「僕が書きます。/やります。」 「いえ、私が書きます。/やります。」 「いえ、僕が。」 「いえ、私が。」 となります。 再び国語辞典を調べましたが、上記の2例の違いを明確に説明している箇所はありませんでした。 ですから、ここから先は、理工系の私の勝手な考え方です。 【“強調表現”として使われるときの「が」と「は」】 「AがB(する/である。」 → Only A is/does B. 数学の記号で書けば、A≡B(合同)、 例えば「僕が正しい。」という言い方はありますね。 しかし、世の中に正しい人・事象は沢山あります。 この場合は、その場に、正しい人が1名しかいないので、実質的には、やはりA≡Bです。 また、「A⊇B」とする考え方もあります。 例えば、 「僕が(1人制の)当番をやります。」 と立候補するのは、極めて普通の表現ですが、この人は、他の当番(C,D,E・・・)も掛け持ちすることはありえますから。 「AはB(である/する)。」 → A is(/does/can do) B only. あるいは A is in B. 数学の記号で書けば、A⊆B おおむね、このような法則に従っていると思います。 今、私の頭の中で、その他の色々な例を思い浮かべてみましたが、全部、この法則に従っているように思います。 いかがでしょうか? 私「は」こう考えます。 こう考える人: 私、Aさん、Bさん、Cさん・・・ 「私」⊆「こう考える人」 (笑)
- hakobulu
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#2です。 みなさんのご回答を拝見していてもう少し補足してみたいと思いますので、再度おじゃまいたします。 ◆ 「は」が弱く発音される場合は「が」と殆んど同じ機能を持つという見解も一理あるのかもしれませんが、私はやはり明らかな違いがあるように思います。 適切かどうかわかりませんが、次のような場面で考えてみます。 <テーブルに10点ほどの試食品が並んでいて、wirbelさんは、その中で一番おいしいと思うもの一点を選ぶように頼まれた。>という設定です。 順番に試食していくと、3番目に食べた品がおいしいと感じました。 この場合、「これがおいしい」ではなく、「これはおいしい」と言うように思います。 これ以上のおいしい品があるかもしれないので、まだ「おいしいのは3番目だ」と特定(強調)できないからです。 「は」が弱く発音されたとしても、特定(強調)のニュアンスは持ち得ないような気がします。 逆にこの場面で「これがおいしい」と言ったとすれば、「他のは試食しないつもりだろうか ? 」と依頼者から訝しく思われるのではないでしょうか。 ただ、3番目の品を少なくともおいしいという評価をするための【主題として取り上げた】ということ自体が、特定(強調)の意図を含むという解釈もできなくはないでしょう。 ◆ とはいっても、(ここで原文に戻りますが)大きな違いは、「が」と言う場合会話の内容が「入室」ということのみに収束しているということです。 他の事柄を話題にする意図の全くない表現だということです。 『収束させるために特定(強調)する』のが「が」の機能かもしれません。 仮に、「は」に似たような意味があるということを認めるとしても、あくまで話題に上らせること自体を特定(強調)と捉えることも可能だろうという程度のことに留まり、他の要素を排除してまでこの話題に収束するという強い意図は含んでいないだろうと思うわけです。
- kani_pon
- ベストアンサー率54% (52/96)
他の言語を勉強しているときに、「は」と「が」の違いを考えたことがあったのですが...。 助詞とかいうのを忘れて、辞書的なものや定義とは一切関係なく勝手な思い込みとニュアンスで書きますので読み流していただけると幸いです。 (2)の文章だとまず頭に 「手続きを済ませないとできないのは「何??」」という図式があり、それに対する文として 「入室ができない」といえると思います。 つまり、「が」のはいった文章を単独で使うときは、頭の中ですでに「無意識の疑問」があるので、できないのは「何??」⇒「入室ができない」と疑問対答えの一対一対応になるので、補足文を要求しないのかなあと。 それに対して(3)では 手続きをしない場合は、いろいろできないものもあるかもしれないが、とりあえず「入室」できない⇒「入室はできません」となるのかなと思いました。 だから、「が」に比べると、補足文が可能になるのでは、と勝手に想像しました。 「何ができませんか?」と実際疑問形で聞かれたら「入室ができません」といったら、一対一(できない「何」=入室)の意識を持った答えになりますが、「入室はできません」と答えたら、入室以外の話題はさておき(触れるにしろ触れないにしろ)、できないものとしては、とりあえずは入室が挙げられる、というニュアンスになるのではないかなと。「は」では、できない「何」かの、「何」を意識的には限定する役目をしていないので、「入室は」とつかうと、補足文が、よりとりやすい傾向にあるのではないかと。 なおこの文章の「は」や「が」は意味上、一種の動作の対象のようであり(できる、は正確には動作、ではないかもしれないけど)、 「あなたは何人ですか?」の主格の「は」とはまた議論が違ってくるように思います。(あなた=何人)ですが、(入室=できる)ではないですから。 「あなた「が」何人ですか」とはいえないのはなぜだろう、とたまに考えます笑。 これらを議論しつくしたら、見えるものがあるかなあと思っています。
お礼
さすが、ゲーテが語ったように、「外国語を勉強しないものは自国語のことを知らない」、ですね。共感します! さて、みなさんに提案があります。どうも「が」の用法には「総記」と「中立叙述」があるようですが、「総記」を「みのさんのが」と改名しませんか?ミリオネアのみのさん、の意味です。答えに注目が集まっていて、そんななか、主語にくっつける「が」です。 明日戻ってきて読ませていただくつもりです。皆さんに、感謝!
- nhu
- ベストアンサー率41% (19/46)
「が」と「は」の違いってほんとややこしいですよね…。 すでにかなり勉強されているようで、 お役に立てるかは分りませんが、参戦をば。 基本的な性質を示すと、 「は」 ・テーマをあらわす ・比較・対象をあらわす (ちなみに私の持っている本には、「は」は系助詞となっています) 文を「主題」と「解説」に分ける機能がある。 「が」 「が」のついた名詞が述語に対してどんな意味(格)を持っているか示す ・総記(述語が恒常的状態・意志・義務) ・中立叙述(述語が動作・存在・一時的な状態) (原則的に初めての話題に使う) これを踏まえたうえで考えてみると、例文全て 手続きをすませない→入室できない という内容を伝えているので、 意味的には大きな違いは感じない…というのは、 普通の感覚だと思います。 ですが、もちろん伝わるニュアンスの違いと言うものはあり、 すでにみなさんそれぞれ言われてますが (2)入室ができない おそらくこの「が」は総記に当たるのだと思います。 この場合「が」で示された名詞は、限定(というか強調と言うか)されます。 他は問題にされないのです。 とにかく「入室」=「できない」ということのみ注目されます。 (3)入室はできない 「は」の用法を主題か比較かに分けるのは 結構な難題なのですが、結局連動しているらしいです。 同じできないことを伝えていても、 こちらは「他のことができるかもしれないこと」を 言外にかもし出しています。 (入室はできないが、入り口まではいけます、とか) ☆…☆…☆…☆…☆…☆ 先に分る部分から言ってしまうと 「は」の発音の強弱で、その用法も違っているはずです。 弱いとき→主題 強いとき→対比・対照 ちなみに主題とは、主語や先に出ているものを受けるときに、2つ以上「は」があるときの最初の「は」がそれに当たります。 そうですね。 この場合(弱く発音するとき=主題)、 「が」と機能的な差があっても、 意味的な差はほとんどないのかもしれません。 ただし、言葉と言うのは単文だけで存在するのではなく、 会話の流れや場面と言った要素も受けて発せられるので、 それぞれ使うに相応しい場所は違います。 (例えばずっとスケートの話をしていて、「あなたはどうです?」と聞かれ「私はスケートがきらいです」と言うことはまずないでしょう。) ☆…☆…☆…☆…☆…☆ >どうしていわゆる「補足文」を要求する傾向にあるのか とのことですが、これは、む、難しいです。 というより、そういう状況のときに使うのが「は」だからではないでしょうか…? どうも機能面の話になり、質問の回答になったかは不安ですが、こんな感じでどうでしょう?
お礼
すごく分かりやすく論理的にきちんと通った説明です!皆さんの回答のレベルが高くて正直驚いています。今日中に読みきれないのですが、お礼と感想をできるだけ書くつもりです。 問題の例文で「が」が総記である、というのはおかげさまではっきり認識しました。「答えはどれか?」「肉、が答えだ!」の中の「が」と全く同じ機能なんですね。みんなが、みのもんたさんの顔の表情に注目するように答えに注目が集まるわけで、こういった「びんびんに注目が集まっている主語」に対しては「が」が使われる、と理解しました。 「は」が「主題」か「比較」かはコインの裏表のようなものと理解しました。つまり、比較も主題のバリエーションのひとつ、と。でも、おっしゃるように「比較」の方が発音としては強調されなくてはいけません。
大学で国語科を専門に勉強したものです。また塾でも教えていました。 色々文法的なことをあげてもわかりにくいのですが一応あげてみますね★ 「は」は副助詞、「が」は格助詞といいます。 簡単にいうと「私は行きます」と「わたしが行きます」では 「は」のほうはどちらかというと他の人は行かないが「私だけは」行きますというような強い意味を持ちます。それに対して、「私が行きます」の場合は、他の人も行くことが想定されるのです。 つまり「が」より「は」は強く、他とは違う区別的な意味があるのです★ (例)わたしは好きだ。(他の人がなんと言おうとわたしだけは) わたしが好きだ。(他の人も好きかもしれない) こんな感じでいかがでしょうか(*^_^*)
お礼
すっきりした簡潔な回答で好きです。 「ぼく、きみ、好き。」 の場合、省略されている助詞は「は」ではなく「が」でしょうね。いま、ふと思っただけですので無視してください。 ありがとうございました!
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
>>> たとえ辞書や文法書におっしゃるような説明がされていても、実際には「は」がとても弱く発音されることもあります。そのようなケースでは「が」との差異はないと思うんです。いかがでしょうか。 ----- その通り! もしも広辞苑・国語辞典が全てであるならば、広辞苑も国語辞典も改版することなく、いつまでも増刷していればよいことになります。 日本語は「生きて」います。 確かに、 ♪意味は無いけれど、 ♪むしゃくしゃしたから(?) 女子の、いえ、助詞の「が」を「は」に代えてみる人は、いらっしゃるでしょう。 現代の若者言葉でもそうです。 「修二ぃ~、彼女とか、いるぅ?」 これは、「とか弁」と言われています。(もはや文法用語?) 本来、「とか」という言葉は、複数のものを列挙する場合だけに使う言葉です。 辞書そのまんまの解釈をすると、 「修二ぃ~、彼女とか、(遊びだけの女とか、ホモ達とか)いるぅ?」 となってしまいます。 しかし、そうではないですよね? 「修二ぃ~、彼女、いるぅ?」 と、ダイレクトな言い方を避けて、柔らかい表現にしているだけのことです。 「俺ぇ~、数学って、不得意だしぃ~。」 これもそうですよね。 「だし」は、本来、複数の理由を列挙する場合に使う言葉です。 同様に、無意識に「が」を「は」に変える人というのは、 「入室ができない」 というダイレクトな表現を避けて、 「入室はできない(けど、他には出来ることが残ってるんじゃない?)」 というニュアンスを出すことによって、 入室禁止! ビシッ! という断定的な感じがしない表現をしようとしているのではないでしょうか。 ちなみに、 私、言語学者でも何でもなくて、理工系大学卒です。
お礼
すばらしい! 実を言うと、ここ数日間、女子(おっと、助詞です)のことばかり考えていたんです。寝ても覚めても、助詞、助詞、助詞! めっさ笑わせてもらいましたわ!お気に入りに追加しました。ちなみに他のお気に入りには sono さん(日本語の古い文体で回答をくださる方です、多分有名かと)。 回答内容もすばらしいです(ジョークセンスは超一流です!)。直截的な物言いは避けられる傾向にあり、文法も変わってきています。その一環が、日本語のまさに根幹ともいうべき格助詞「が」と副助詞「は」に現れていたとは驚きです。まさに自分にとっても自覚がなかったです。 理工系の方ですか。哲学や歴史カテで超一流の回答をなさるa..なんとかさんもどうやら理系の方らしいです。脱帽!
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
◆ 以前、このカテで『kobarero』さんというHNの方から教えていただいたのですが、「は」は「主題(あるいは話題)の提供」という意図を持つそうです。 これは非常にわかりやすい説明だと思うのでお勧めしたいと思います。 つまり、 <(3)手続きを済ませないと入室はできません。>の場合、 「入室に関して言ってみれば、それはできません。」という意味になります。 この場合【は】は、「手続きを済ませないと」の後、「入室」という『主題に関して言及しますよ、という宣言』になっているわけです。 ですから、入室についてはできないがその辺で座っているということに関しては構いません。 などという意味の言葉が続いても会話としては自然な流れになります。 ◆ これに対して、 <(2)手続きを済ませないと入室ができません。>の場合、 【が】は『強調』を意味します。 ですから、先の(3)のように「その辺で座っていても」など他の要素について言及されることは無い状況での言い方でしょう。 つまり、話し手・聞き手共に「入室に関して」の会話、あるいは「入室が必須」であることを了解している場合の表現になります。 「最も重要である入室という件に関して、不可能になります」 というニュアンスを強調する意味での【が】というわけです。 別の視点から述べると、「できない」ということよりも「何が(できないのか)という主体」の方に力点をおいた(強調した)表現だということもできるでしょう。 ◆ 英語は苦手なので該当部については言及できませんが、 「私はスケートはできない」と言う場合、 スケートに関して言ってみれば~、という宣言をしているわけです。 ですから、「でもスキーはできる」などの補足が必要ということではなく、宣言をやり直せば他のこと(スキーなど)について言及しても不自然ではない、ということだろうと思います。 「>すっきりした解説」とはとても言えませんが、私は以上のように解釈します。
お礼
なるほど、すっきりした解説です!ありがとうございました。
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
「が」と「は」には明確な違いがあります。 文法用語では、 「が」=格助詞 → 単に主語vs述語 といった関係だけを表します。 「は」=副助詞 → これは一種の強調であって、そのことに限定されることを表します。 つまり、 (2)は、単に入室できない、の意。 (3)は、他の事は出来るけれども、入室(だけ)は出来ない、の意。 となります。 国語辞典で「が」や「は」を引けば、「格助」とか「副助」とか書いてあるはずですから。
お礼
目からうろこが落ちました!今まで、「入室ができません」と「入室はできません」は意味の違いは無い、と思い込んでいました。 でも、ん?といま思いました。たとえ辞書や文法書におっしゃるような説明がされていても、実際には「は」がとても弱く発音されることもあります。そのようなケースでは「が」との差異はないと思うんです。いかがでしょうか。
お礼
とても面白い解説を読ませていただきました。 でも最後のほうの解説は私には難しすぎてついていけませんでした。スケートをできない、あたりからさっぱりわかりません。すみません。みなさんの解説を読んでからウィキペディアの解説を読んだらすっきり理解できたような気がしました。thematic wa, contrastive wa, exhaustive ga の3つを押さえておけば何となく。 勉強になりました! http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_grammar#Topic.2C_theme.2C_and_subject:_.E3.81.AF_.28wa.29_and_.E3.81.8C_.28ga.29