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秀吉の五七桐紋について

信長の後を襲って天下人となった秀吉ですが、彼の紋所は通称「五七の桐紋」と呼ばれています。 もっと早く気付くべきでしたが、最近織田信長の肖像画を見て、疑問に思う事があります。教科書やTVでよく見る信長の肖像画の裃の紋、どう見ても五七桐紋ですよね。 合戦などに見る信長の紋所は確か「五つ(五葉)木瓜紋」だったと思うのですが、どうして装束の紋は五七桐紋なのでしょうか? また、秀吉が五七桐紋を採用したのは、この信長が由来なのでしょうか?詳しい方教えて下さい。

みんなの回答

  • Matudono
  • ベストアンサー率30% (3/10)
回答No.1

第一に、桐は菊と並んで天皇家のものです。桐の紋を使うには天皇から拝領しなければならなかったのです。つまり桐が使えるという事は、天皇公認と言う訳なのです。信長の肖像は死後描かれた物ですが、木瓜よりも桐のほうにどう考えても権威があります。権威の為の肖像といえましょう。合戦の場合は信長軍とわからねばなりませんので木瓜と永楽通宝の旗を用いたわけです。 第二に、秀吉の場合も同じで天皇から桐を拝領しましたが、桐は桐でも太閤桐というものを使っていました。天皇拝領の桐に、オリジナリティーを加えたといえましょう。 取敢えず、知っている事を。

kaiju-gaogao
質問者

お礼

遅くなりました。 お説によりますと信長像に描かれているのは死後、権威を高める為、天皇家の許しを得て描かれたという事ですね。 ありがとうございました。

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