- ベストアンサー
サハリンって・・・日本?
世界地図で北海道の北や東を見ると、宗谷海峡に一本、さらに北を見るとサハリンの北緯50度のところにも一本国境線が引いてあります。 日本は戦後に南樺太(サハリン)を放棄して、政府もその地域は日本のものでないと認めている(在外公館あり)のにどうしていまだに不要な国境線が引かれているのでしょうか?教えてください。 ※千島列島も同様です。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
日本国との平和条約 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/heiwajyouyaku.htm 第2章 領域 第2条【領土権の放棄】 (c)日本国は、千島列島並びに日本国が1915年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する となっていますので、ご指摘の地域は日本の領土ではありません。 一方で、国際法の大原則で、「条約等に参加していない国は当該条約から利益を得られず、権利を主張できない」というものがあります。「日本国との平和条約」に参加している国で、当該地域の領有を主張している国はありません。よって、日本国の公式な立場としては、「日本国との平和条約の第2条(C)で放棄した領土の帰属は未定」という状態が継続しています。 なお、将来的に日本とソ連が平和条約を締結し、北方4島の帰属が確定すれば、その平和条約の中には「日本国との平和条約の第2条(C)で放棄した地域は、ロシアに帰属することを日本国は認める」旨の条項が入るでしょう。その段階で、「サハリンの北緯50度のところにも一本国境線が引いてあります」という状況は消滅します。
その他の回答 (4)
- takashimadaira
- ベストアンサー率45% (25/55)
こんにちは。 これは北方領土の話とは違いますよ。 サハリンの50度線上に引かれている線と、千島列島北端のカムチャツカ半島との間に引かれている線は、いずれもここまで旧日本領であったものですが、サンフランシスコ講和条約で旧連合国側と領土の最終確定を行った際、旧ソ連が調印に参加しなかったため、国際法上、(1)サハリン50度線~宗谷海峡、(2)千島北端~択捉北側の部分がどこにも帰属していないということから、このような線が残っているということです。ですからこの部分は日本が領土を主張しているのでなく、国際法上どこの国でもないという解釈になるでしょう。
- tnk8210
- ベストアンサー率52% (9/17)
いわゆる北方領土、樺太の国境(境界)には、各政党毎に見解が異なっており、国際法上認められた(と言われている)国境と日本政府が主張している国境との間に大きな隔たりがあります。某政党は南千島(クリル)列島の2島のみが北方領土であり、また別の政党は南サハリンも北方領土(日本の領土)であるという見解を崩していません。一般的には南樺太はロシア領、北方四島は日本に所属と(日本国内では)教えられていますが、各国の見解はまちまちで、南クリル諸島はロシア領という解釈をしている国も多々あります。地図はある意味、発行国の都合の良い見解をそのまま図式化していますので、隣国の地図を見ると「日本の領土(島)」と我々が教わったところが違う色で塗られていることはごく普通のことです。
- Zozomu
- ベストアンサー率22% (123/545)
正確な話は忘れてしまいましたが、日露戦争に勝った日本が、分捕った南樺太と北方四島などをロシアに泣付かれて交換した経緯があります。 その後、日本は太平洋戦争で負け、そのドサクサでロシアは「日露戦争で取られた領土を返せ」とのたまわり、北方四島を支配下においてしまいました。 この様に、北方領土問題には南樺太も関りがある為、ご覧になったような国境線となっています。
- tatsumi01
- ベストアンサー率30% (976/3185)
まだ、ソ連(ロシア)のものと決ったわけではないというのが政府の考え方なのでしょう。 正式には平和条約を結んで国境を画定するまではどこの領土でもない、という主張だと思います。
お礼
今まで、どんな社会科の先生に聞いても回答が今ひとつだったのですが、これで心のもやもやが消えました! 有り難うございました。