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想像について
頭に描く映像というのは、情報が多ければ多いほど鮮明なものになりますよね? 逆に情報が少ないと、曖昧で大まかな映像しか描けないと思うのですが、 どんなに曖昧で何が何だか良く分からない映像しか描けなくても、自分ではきちんと「○○を想像している」と感じますよね? (まぁ余程意識しない限り、自分の想像が曖昧だの何だの思わないと思うのですが) 大まかに言う想像というのは、頭に描いた映像を見ているのではなく、 いろいろな情報を使って考えているところに、ちょっとした映像が付いてくるというものなんでしょうか。
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どもども.とても興味深い質問ですね. 「想像」に詳しいという訳ではないのですが,私なりに考えてみました. >頭に描く映像というのは、情報が多ければ多いほど鮮明なものになりますよね? >逆に情報が少ないと、曖昧で大まかな映像しか描けないと思うのですが、 このことにはちょっと疑問を持ちました.例えば,今部屋を見回した場合には,線分やら色やら形やら音やら香りやら様々な情報がありますが,だからといって頭に描く映像(視覚的イメージと置き換えさせて下さい)が鮮明かと言われると難しいと思います. むしろ,単純な四角形(□)の方が,視覚的イメージとして鮮明なのではないかと思いました. またこの頭の中の視覚的イメージの「鮮明さ」をどうやって定義するのかも非常に難しそうですね(^_^;) >どんなに曖昧で何が何だか良く分からない映像しか描けなくても、自分ではきちんと「○○を想像している」と感じますよね? これは経験上そう感じます.要は視覚的イメージをする時には「○○というものを想像している」ことが重要になるのかも?例えば,7のマークのあるコンビニのマークを想像した時に,視覚的イメージと実物は(おそらく大きく)違うかもしれないですけど,自分ではそれと理解できるし,それをイメージしていると思えるわけです. また,ちょっと話がそれますが,単純な線分(だったと思いますが…)を想像する時には,実際に線分を見ているときと同じ視覚領野が活動していたという報告もあります. >いろいろな情報を使って考えているところに、ちょっとした映像が付いてくるというものなんでしょうか。 色々書きましたが,想像する対象の意味的情報がどこかにあって(e.g.記憶など),そこから視覚的イメージを生成する時には,実際に外部からの入力がないために,複雑な情報ほど(脳内での)再現が困難になり,単純な情報ほど再現が容易になるのかなぁと. しかし,想像する時に意味の情報が先か,視覚的イメージが先か?ということは全く私はわかりません.並列的に行っている可能性もありますよね…また視覚的イメージを伴わない想像もあり得ると思いますので(音色を思い浮かべる,など),どちらが先か?ということを考えることは難しいかなぁと思います. 回答らしい回答ではなくて申し訳ないです.
お礼
ありがとうございます!!ちょっと変なこと書き込んだかなぁ…と思ってたので興味を持っていただけただけで嬉しいです。 >>頭に描く映像というのは、情報が多ければ多いほど~ というのは、ちょっと書き方が悪かったです。 例えば…部屋を想像した時に、部屋の情報を多く持っていれば部屋について「詳しく」想像できますが、あまり持っていないと大まかで曖昧にしか想像できませんよね? 確かに、単純な形ほど想像し易いと思いますし、他の意見にも同意です。 一緒に考えていただき、ありがとうございました。