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3D
最近、3Dを体験してきました。正直、ビックリしました。実体はないのに、まるで何かが存在しているように感じました。この手法を拡張すると、日常生活を完全にその世界で再現することが可能なのでしょうか(あたかも、普通の世界で暮らしているかのように)。実体がある世界と、3Dの世界の区別ができなくなるようなことが起こることはあるのでしょうか。 もし、そのようなことができたとすれば、我々人間の物事を認識する能力とは、究極的には当てにならないものなのでしょうか。
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音楽のステレオというのは、ご存じですよね。 あれは音楽に関してのみのものですが、適切な配置でスピーカーを並べて目を閉じて聞いてみると、あたかもあたかも演奏などが、目前(目を閉じているのですが)で行われているように感じるはずです。 でも、実際の演奏を聞きにいくとやはり、疑似体験はあくまで疑似体験で、実際の演奏のすばらしさに心を打たれるはすです。 音楽というデータ量の比較的少ないものでも、そのデータのいくつかは捨てて保存されたり、再現されています。 ましてや、3Dという視覚的な分野に関しては、その情報量は音楽と比較にならないほどの膨大な量になります。ヴァーチャルというのは、その現象の顕著な部分を再現しているにしか過ぎず、現実のものと区別が出来なくなるということはないはずです。また、単に視覚にのみ頼って情報を得ている訳ではないはずです。 しかし、ここで、また1つの問題があります。人間の認識ということです。「正しく認識する」ということがありますが、本当の意味で正しく認識しているかということです。例えば、「三角の上に丸を書いて下さい。」という言葉で想像するのは次のどちらでしょうか。これだけですでに2パターンの違いが生じます。 ○ ○ △ ▽ また、トイレなどの略号で、左は「女性」、右は「男性」であることをイメージさせていることが、多いですが、あくまで、これは、「三角の上に丸」を書いた図形でしかないのです。 言葉という媒体を使った認識であるので、ずれが生じると言うことをおっしゃるかたがいますが、1つの色を見てその色をどのように判断するかは、人それぞれによって異なってくるはずです。 「薄い黄緑色」(これも言葉ですので、ずれがあるかもしれませんが‥)を見て、単に「緑色」という人がいるはずです。通常の緑はかなり濃い色ですし、また、絵の具等で使い分けをしている色の「薄い黄緑色」とは、かなりのずれがかなりあるはずです。でも、「緑」と答えた人の頭の中では、「赤でも青でもなく緑」という認識だといえるでしょう。 ですから、我々の認識する能力は、興味のある部分を中心に形成されていきます。完全な形で、現実のものを3Dのヴァーチャルに変更することは、不可能だと思います。しかし、興味の方向性を付けて(人の意識を誘導して)3Dで人を現実世界との区別が解らなくすることは可能だといえるでしょう。このようにするのが、たぶん詐欺の手法やあるいは集団催眠によるカルト宗教への誘導ではないでしょうか。 認識という問題は、心理学でもいろいろ論争されていておもしろと思っています。そちらも含めて考えると、訳が分からなくなるのと思いますので分けて考えれらる方が良いと思います。(といっている本人がかなりかいていますが) とにかく、私は、完全な形で、3Dバーチャルで再現することは不可能だと思います。 参考にでもなれば幸いです。 tukitosan でした。
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- lamop
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瀬名秀明の最新作「8月の博物館」はまさに「未来ではそのシステムを利用して・・・」 というお話です。そして、再現をしていくうちに、とんでもないことが起こります。 ネタばらしになってしまうのであまり書けませんが。 しかしこのお話もbigseaさんと同じような体験を作者がして、 同じ感動を味わったことによりできたのだと思います。 作者の瀬名秀明をご存知でしょうか。「パラサイト・イブ」で有名になった 理系作家です(乱暴な言い方ですが)。 科学の驚きを伝える彼の作品が大好きで、こんなに書いてしまいました。 オススメデス。
- y45u
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他の方が言うように、3Dの世界ではあくまでもそのように見えるだけであって、その見える物を実体化する事は不可能でしょう。もし実体化させる(っていうかあたかも実物があるようにする)としたら、各神経に直結させれば可能になるでしょう。映画マトリックスなんかはそういう事でしたよね。 SF小説でも似たような話がたくさん出てきます。でも、それはbigseaさんにとってもう現実かもしれません。bigseaさんが現実と思っている事が全て3Dの作り物かもしれませんよ。頭の中だけで完結している可能性もあります。bigseaさんは前しか見れませんよね?後ろはbigseaさんは見えない訳ですから表示されてないかも。窓の外の風景はただの絵かもしれませんね・・・もちろん、回答者の私達も人工知能から生み出された文なのかも・・・でも絶対にbigseaさんは気付きません。だって生まれてからすぐに装置につながれているのかもしれません。そして私も・・・・
- ARC
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仰ることを実現するには、人間の五感全てをだまくらかさないといけません。 視覚情報では船の上に乗っていて、激しくゆれているのに、実際には足元の地面が揺れてない、といった程度では、究極のVR(バーチャルリアリティ)とは言えませんよね。 同様に激しい雷雨の只中では、目を閉じていても凄まじい雨と風を体験できなくてはならないし、春のそよ風、うまそうな料理にしたって同様です。 究極のVRにおいては、ステーキを食ったら、外見はもとより、その味、香り、食感が楽しめて、肉汁がのどを下っていく感覚まで味わえないといけない、ということになってしまいますね。 実世界と区別がつかないっていうんであれば、ついでに満腹感も得られなくてはならないでしょう。 はっきり言って、機械的な手段でそこまで再現するのは、かなり無理があると思いますので、SFじみた話になりますが、脳みそに刺激を与えることにより、これらを脳みその内部においてのみ擬似的に再現する、というのが究極のVRへの近道になると思いますね。 脳みそが外界を認識する手段についてはいろいろと研究もされており、そういった本を読んでると本気でこういったことが実現できるんじゃないかって思えてきます。
- tullio
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私の研究室では,バーチャルリアリティや画像処理について研究しています. 認知心理学的に,まさに人間の認識能力はあてにならないことが確認されています. 脳みそをだます,と言うのですが,ランダムドットステレオグラムなんかが良い例です.
補足
あのパラサイト・イブの作者の作品ですか。当時、彼は大学院生だったと思うのですが、新たに本を書いていたんですね。知りませんでした。機会があったら読んでみようと思います。