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昔の国会議員の漢詩の素養についてのエピソード

何の本で読んだのか、どうしても思い出せません。 たしか戦後の国会で、ある閣僚が辞任を迫られたときに、漢詩を引用して答弁したのです。「悠然として」とか何とか。質問した野党側は、それが漢詩の引用だということがわからず、愚弄されたと思っていきりたったのですが、その引用された漢詩の意味するところは、「役職を辞して隠棲する」というものでした。 どの本に紹介されているのか、あるいはだれの逸話なのか、ご存じの方がいたら教えてください。ほかのカテゴリーで回答が得られませんでした。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Ganymede
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回答No.3

私は直接の答を知りません。じゃあ回答するなって話なんですが……ご質問者は「ほかのカテゴリーで回答が得られませんでした」、また、ここでも今のところ的中回答がないようです。そこで、二つばかりエピソードを紹介したいと思います。 1.美濃部・元東京都知事 1975年、美濃部知事(在任1967-1979)は2期目を終えて3期目の知事選を前に、野党(この場合は自民党その他)に失政を追及されました。美濃部は記者会見に臨み、陶淵明の『帰去来辞』を引用します。 「帰去来兮 田園将蕪 胡不帰(帰りなん、いざ、田園まさにあれなんとす、なんぞ帰らざる)」 野党側は、愚弄されたと思っていきり立ちました。野党側から見れば、次のようになります。 (1) 陶淵明も『帰去来辞』もポピュラーなものであり、「漢詩の素養」などという大層なものではない。戦後の高校の漢文の教科書にも載っている。知事は学者出身(経済学者)だか知らないが、中途半端な教養をひけらかすな。 (2) しかも、引用が全く不適切である。陶淵明は下級官吏だが超俗の人、年少の上役の前に膝を屈するを潔しとせず、さっさと官を辞して故山に帰った。 「五斗米の為に腰を折らず」 http://www.geocities.jp/tomomi965/ko-jien02/ka21.html#koto6 ところが知事は、大官で高禄を食み、なかなか辞めずに長期政権だ。陶淵明は不遇な扱いに辞職で応えたが、知事は我々野党の追及も理不尽だというのか? (3) しかもしかも、てっきり出馬断念の表明かと思ったら、3期目も出馬するというじゃないか! この後美濃部は当選して、3期目も務めました。なお、関係ありませんが、私は美濃部より石原が嫌いです。 さて、他のご回答者がおっしゃるように、「悠然として」の句が見えるのは、陶淵明『飮酒二十首 其五』です。故郷・廬山に引っ込んだ後の、悠然とした境地を詠じたものです。したがって、(国会で)まさに野党の追及を受けて答弁する時に、引用していい詩句ではありません。「ふざけてるの? そんな句は引退してから引用しろ」ということになってしまいます。 また、『帰去来辞』は「役職を辞して隠棲する」を意味するとしても、「悠然として」という言葉で「役職を辞す」を示唆するのは、無理があるでしょう。「『慌てて辞めるのではなく、悠然と退く』とでも匂わせたいのか? みっともない小細工をするな」と言われても仕方ありません。 2.映画『惑星ソラリス』(タルコフスキー監督、ソ連、1972年作品) 美濃部知事のエピソードは一つの例に過ぎず、他にも、やめるにあたって『帰去来辞』を引用した政治家はいるようです。それほどポピュラーな知識ということでしょう。 ただ、ここで申し上げたいのは、ご質問者の記憶違いでなくても、お読みになった本の著者が、「あべこべ」に書いていたかも知れないという可能性です。 話は飛びますが、ある保守系政治家のエッセイに次のようなくだりがありました(本が手元にないので、ご質問者以上にうろ覚えですが)。 「ソ連は、いかに遅れていたか。巨匠監督の『惑星ソラリス』というSF映画がある。その中で、未来都市の情景として、東京の首都高速(高架の立体交差)を映したものを借用している。日本人にとってはもはや古臭い、見苦しくさえ感じられる首都高速の姿が、ソ連の感覚では最先端の未来的なイメージなのだ」。 おそらくこの人は、当の映画も見ずに書いたのでしょう。しかし実際は、タルコフスキーの撮影チームが来日したのは大阪万博に合わせてで、映画の「未来の地球のシーン」に使うため、何らかのパビリオンを撮る予定でした。 日本万国博覧会 http://www.suitajc.jp/99/expo70/ ところが、タルコフスキーの審美眼は、これ見よがしの万博の「未来のイメージ」に満足しなかったのです。逆に、醜悪でゴチャゴチャした首都高速の高架を撮影して、「科学は発達しているのに人間はちっとも幸福そうでない、暗鬱な未来都市」のイメージに使いました。 このように、政治家や(書き飛ばすタイプの)評論家による引用は、あべこべの意味になっていることがあります。まあ、『惑星ソラリス』は「悠然として」に全く関係ないし、二つのエピソードがそうだったからといって、ご質問者のエピソードもそうだとは、言えないわけですが。 「辞任を迫られたときに」、「悠然として」とか何とか「漢詩を引用して答弁」するのは、(おそらく陶淵明の『飮酒二十首 其五』であろう)元の漢詩の意味内容から考えて、おかしいのです。また、『帰去来辞』を引用するなら、辞任を迫られる前に、早過ぎるくらいのタイミングで、恬淡として辞めないと。 閣僚というものは、野党に辞任を迫られただけでは、辞めません。仮に本人が辞めたくても、内閣の政治的威信にかかわるから、辞められないでしょう。辞職するのは、おそらく首相や与党にまで見放された(因果を含められた)時です。詰め腹を切らされたのに、体裁を取り繕って『帰去来辞』を引用するようでは、皮肉にもなりゃしません。

shiremono
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 美濃部知事のエピソードは、わたしも陶淵明を教示してもらってから Google で検索してみつけましたが、それが辞任ではなく再出馬の表明だったことと、引用が「帰りなん、いざ」だったらさすがにだれにでも通じるだろうということから、これではないと思って捨てていました。 しかし、それがおそらくはべつの政治家のエピソードであるとしても、陶淵明の引用という行為には通底するものがあって、野党の議員が憤激した理由は漢詩の引用が通じたからこそだったかもしれないということですね。引用が「帰去来辞」なり「飲酒」であるとすれば、その解釈は筋が通っていると思います。 エピソードの出所はたいした本ではなかったのかもしれませんが、それをみつけたときに読み返す楽しみが増しました。このカテゴリーに質問してみてよかったです。もう少し待ってみてそのものズバリが出てこなければ、これで納得します。

その他の回答 (3)

  • code1134
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回答No.4

 私が想起する"無類の読書家で、国会議員経験者"は大平元首相(1910-3/12~1980-6/12)と前尾繁三郎(1905-12/10~1981-7/23)の両氏です。 (但し作家から転向した人物は除外扱いになりますが) しかし、(質問者さんは)No1さんへお礼の中で、 >田中角栄ほど有名ではない云々と明示されていますから、消去法で残すなら前尾繁三郎氏と言う感じがするのです。  前尾氏は総理の座こそ射止めていませんが、衆議院議長の経験はありますから、この類のエピソードを有する人物に含めても差し支えないと私は捉えています。  因みに、前尾氏には http://www.tirukuru.jp/reference/ なる著書(遺稿集)がありますが、如何でしょうか?

shiremono
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 当時の自民党に前尾繁三郎氏をはじめとする「昭和の三賢人」とよばれる人たちがいたり、前尾氏の著書『十二支攷』が南方熊楠ほど広くはないが深いと評されていることなど、はじめて知りました。 たとえば、「三賢人」の椎名悦三郎氏の「反省」答弁や「番犬」発言には、質問したエピソードに通じるものがありました。 国会会議録で前尾氏が衆議院議長を辞任した時期の発言を検索したりしてみましたが、辞任のいきさつはわかりませんでした。 No.1 finneganswake さんが挙げておられた疑獄関連のものと併せて、昭和の政界史を地道に調べてみます。

  • walk-hawk
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回答No.2

こんばんは。 直接の回答ではありませんが、「悠然として」の句がある有名な漢詩で、陶淵明(とうえんめい)という人の「飲酒」という作があります。 ・・・ 菊を採る東籬の下 悠然として南山を見る ・・・ これは結構有名な詩句ではあるし、作者の陶淵明は、役人生活がいやになって田園に帰り、隠逸詩人として非常に名をなした人です(「帰去来辞」帰りなんいざ、の詩が有名)。日本の漢詩好きの政治家が、いかにも引用しそうな詩人に思えます。この線が何かご参考になりませんでしょうか。

shiremono
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 詳細の記憶がまことにあやふやで手がかりが限られ、申しわけありません。 くだんの政治家の答弁の意味あいとして、「飲酒」の引用はぴったりです。 そこでご紹介の陶淵明の有名な詩にあたってみたところ、  舟は遥遥として軽くあがり  風は飄飄として衣を吹く       (「帰去来辞」) が引用されていたような気がします。

回答No.1

田中角栄でそういう話があったような。でも辞任をすすめられたって話ではなかったなぁ。 造船か昭和電工の疑獄ですかね。たしかに聞いたことはあるなぁ。

shiremono
質問者

補足

早速のご回答ありがとうございます。 田中角栄ほど有名な政治家ではありませんでした。

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