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恋する男はピエロ

恋愛詩集を読んでいて素朴な疑問がわいてきました。 恋をした男性が自分のことを「ピエロみたい」と感じるという話をよく聞きます。そういう詩も洋の東西を問わず多いようです。 ところで、恋をするとどうして男性はピエロ的になるのでしょうか。 女性だって多少はピエロと感じることがありますが(わたしは女性です)、男性ほどではないのはなぜでしょうか。 ★哲学的あるいは心理学的に、どなたかわかりやすく説明していただけないでしょうか。 ★また、恋する男はピエロという表現を最初に使った人は誰でしょうか。 よろしくお願いします。

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noname#107878
noname#107878
回答No.1

 男性の思考や行動というものは論理的で経験的で常識的で社会性に富み、しかもある程度の自信とプライドに満ちているものでしょう。女性だってそういうところはありますが、男性のほうがはるかにこうした理性に頼って生きているものだと思います。  しかし、恋はそのすべてを無にしてしまいます。「恋は埒の外」というぐらいですから、そこには拠り所としていた「埒」、つまり経験や常識やそれに基づいた行動規範では理解も解決もできない状態になってしまうということでしょう。  拠り所が論理的で常識的で経験的で社会性に富んでいる男性ならばこそ、逆に、それらの拠り所を見失うと、もはや人格そのものまでもが不安定な状態に陥ってしまう。  それはあたかも飛行中になんらかの不備が発生して自分の飛行位置も高度も方位や進路も見失ってしまったパイロットのようなもので、拠り所をなくしてしまった男性に残されたものは、未経験ながらそれなりに賢明な判断と結論を探し導き出すことよりも、往々にして自身にも理解できないような思考と判断と、それによる突飛な行動をしてしまいやすいもの。  そんな姿は、もう理性とはかけ離れたものでしかなく、もとより普段の知的な姿もそこには見られない。つまりはナンセンスで珍妙な、いかもにまるでピエロのように可笑しくももの悲しい・・・・と、つまりそういうことではないのでしょうか。  さて、最初は誰、シェークスピアあたりは言いそうですが、それともジュリアス・シーザーあたりかなあ。  

tummy0715
質問者

お礼

janvierさん、丁寧な回答をありがとうございました。 「恋をした男性がどうしてピエロと感じるのか」についてのご説明、 大変説得力がありました。 女性もピエロ的に感じないわけではないですが、ふだんから 理性一本槍ではないため、恋愛という特殊な事態になっても 男性より柔軟性があるのでしょうね。 ところで、次のの回答と合わせて読んで、興味深いと思ったことがあります。 「ピエロ的」とはjanvierさんも書かれているように「滑稽でもの悲しい」 ということですが、どちらかというと、日本では「滑稽」の方が重いと わたしは感じていました。ですが、anapaultoleさんの説明を読んで、 (もしフランスのパントマイムが始まりだとしたら) 「悲しい」方が重要なのではないかと思いました。 特に西洋の詩を読む場合、「滑稽」に重きがあるのか「悲しい」に 重きがあるのか、前者だと思って読むと、少しずれがあるのかもしれません。 シェイクスピアですが、たしかに戯曲の中には「道化(fool)」がよく出てきますし、 いかにもありそうですね。 ただ、(わたしはシェイクスピアはちゃんと読んだものは少なくて あまり詳しくないのですが)実際に恋する男を道化にたとえている個所を知りません。 これからも注意して読んでみたいと思います。 ありがとうございました。

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回答No.2

フランスのパントマイムの黄金期を作った ドビュローからではないでしょうか。 彼(Jean-Gaspard Deburau)は、1796年にチェコのコーリンに、フランス人綱渡り芸人を父として、チェコの女給仕を母として生まれ、1811年に家族と共にパリに登り、1846年パリで死す、所謂ボヘミヤンフランス芸人です。 フランス語があまり上手でなかったことが、かえって幸いし、パントマイムで、彼が作り上げたぶかぶかの白い上着とパンタロンの衣服を着るピエロの形を作り上げ、一人物静かに恋に悩む人物を、月に誑かされて狂ったように演じる姿は、当時の曲芸劇場(Theatre des funambules)で大絶賛を浴びました。 このスタイルが、彼の息子を経て、あの有名な Marcel Marceau へと影響を与えています。

参考URL:
http://en.wikipedia.org/wiki/Jean-Gaspard_Deburau
tummy0715
質問者

お礼

anapaultoleさん、なるほど、興味深い指摘です。 マルセル・マルソーと言われてみれば、まさに「恋するピエロ」ですね。 ドビュローという人のことは初めて知りましたが、リンクしてくださったサイトによると、 この人が元のイタリア式ピエロから、フランス風の詩的でもの悲しいキャラクターを 確立したとのことです。 これが源とすると、下のjanvierさん宛てにも書いたように、ピエロ的とは、 「心が清らかな男が恋をして、その思いを受け入れられずにかなしい思いをする」 という点が重要なのではないかと思いました。 そして、それはひょっとしたら中世からの騎士道(騎士が貴婦人に真心を捧げるが、 冷たくあしらわれる)にも通じるところがあるような気がします。 ところでドブローが源とした場合、彼は19世紀前半の人ですので、それまでの詩には ピエロ的な恋する男は登場しないことになりますね。わたしが先日読んだイエイツの詩に 恋するピエロが出るのですが、その詩が書かれたのは20世紀初頭なのです。 ということは、イエイツもドブローのピエロのイメージが頭にあったのかな。 アイルランドにまで評判は伝わっていたということでしょうか。 ということで、これからもこのモチーフに注目していきたいと思います。 本当にありがとうございました。

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