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伊達=だて?いだて?いたつ?

伊達政宗(戦国時代)の当時は伊達を(だて)とは読まなかったそうです。いだて?いたつ?どっちかわかりませんがなんと呼んでいたのでしょう? また、いつ頃からダテと呼ぶようになったのでしょう?その辺について詳しく載ってるHPなどあれば一緒に教えてください。

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  • poccuru5
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回答No.3

 中世以降のことはよくわからないのですが、少なくとも古代ではイタテ、あるいはイダテと読んでいたようです。奥州に伊達、色麻の二つの郡があるのは、播磨国飾磨(シカマ)郡伊達郷に射楯兵主神社があり、その氏人が移り住んだためであると『地名辞書』は述べています。播磨国とは現在の兵庫県ことで、事実、陸奥国色麻郡に伊達神社、気仙郡に衣太手神社があります。もっとも衣太手神社は現在、イダテ、エダテ、キヌダテなどと呼ばれて一定していませんが。 参考文献:谷川健一『白鳥伝説』

その他の回答 (4)

  • 1582
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回答No.5

ローマ法王?に使節を出したときのことを書かれた書物に ローマ字でIDATEと書かれていたと思った

回答No.4

いだて、と読んでいたそうです。 それは、東北大学教授であり元仙台藩士でした人が証言していました。 とすれば、明治維新まででしょうか。 あくまで記憶ですが。

回答No.2

余談になりますが、日本語では、語頭の「い」が脱落するのは意外によくある現象なのです。 「茨いばら」→「薔薇ばら」 「いづこ」→「づこ」→「どこ」 など、探せばいくつか出てきます。 話し言葉ですが、 「いやんなっちゃう」→「やんなっちゃう」 なんてのもあります。

noname#15569
noname#15569
回答No.1

いだてと読んでいたそうですよ。 いつから変わったのかは書いてないかもしれませんが、参考にURLのせておきます。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%B0%8F

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