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鎌倉彫のルーツは奈良仏師なのですか?
JRのCMに惹かれて奈良に行こうと思っています。ある人が、 「源頼朝は平氏に重宝された京都仏師を遠ざけて、当時マイナーだった奈良仏師の運慶や快慶に東大寺南大門の金剛力士像をつくらせた。そして、これらの仏師を鎌倉に呼び寄せ、これが鎌倉彫の始まりだ」と言っていました。 本当ですか?何かワクワクする話です。 だとしたら、奈良に行く前に鎌倉のどのお店を見て勉強したら良いですか? 宜しくお願いします。
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鎌倉武士が、京都仏師を遠ざけて 奈良仏師を鎌倉に招いて仏像をつくらせたのは事実です。 頼朝自身は、奈良仏師直系の成朝を呼んで勝長寿院の造仏を行わせました。 また、有名な運慶(成朝の傍系である康慶の息子:康慶に連なる奈良仏師を「慶派」と呼ぶ)は、 北条時政の依頼で願成就院(伊豆の国市)の造仏を行い、 有力御家人の和田義盛の依頼で浄楽寺(横須賀市)の造仏を行っています。 このうち願成就院、浄楽寺の仏像は未だ健在です。 あらかじめ見ておくのもいいかもしれません。 (ただし浄楽寺は3/3,10/19のみ) また、鎌倉国宝館にも慶派の仏像が展示してあります。 円応寺の初江王なんてなかなか立派なものです。 ただし、時代は鎌倉時代の半ば以降という感じです。 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/index.htm なお、東大寺の再建は頼朝がさせたものではなく、 俊乗房重源という中国帰りの坊さんがプロデューサーとなって 再建事業を行ったものを頼朝が支援したという形になります。 また、時系列的には、金剛力士像をつくったのは先ほどの造仏の後になります。 鎌倉彫の来歴としては質問にあるような来歴はあるようですが、 創始の次期は、鎌倉時代後期と思われます。 先ほどの鎌倉国宝館及び鎌倉彫資料館に 古い作品も含めていろいろとあるようです。 http://www.kamakuraborikaikan.jp/siryokan.html